あの子を捜して
緑柱石は氷晶石の出した紅茶の入ったティーカップを優雅な仕草で持ち上げた。成り行き上、尖晶石も一緒だ。緑柱石の隣で小さくなり、けれど月長石のことは親の仇のように睨んでいる。輝水鉛鉱と月長石、氷晶石が緑柱石と尖晶石の向かいのソファーに座る。応接間には上等のクッキーやチョコレートが花柄の皿に盛られ、一族の長老に対する敬意を表現していた。
「アールグレイ。良いね。私の好みを憶えておいでだね、氷晶石」
真っ赤なマニュキアの塗られた爪を氷晶石に向けて旋回するように動かしながら、緑柱石がにこやかに言う。氷晶石は黙って頭を下げる。彼女は娘を害した尖晶石に不愉快な思いを抱いていた。それを見抜いた緑柱石が柳眉を動かす。
「氷晶石。気持ちは解るが、ここは私の顔を立てて収めておくれでないか。尖晶石には私からもこれの姉からも、あとでようく言って聴かせるから」
「姉?」
反応したのは月長石だった。もう鼻血も止まり、制服から着替えて応接間に来た。父に呼ばれたのだ。緑柱石がお前に会いたがっていると。長老に対する敬意を払う為、衣服も朝焼けのような鮮やかで淡い青の上下で、シャツは絹地だ。ズボンは緩やかにストレートラインを描き、月長石の美脚をそこはかとなく露わにしている。
「これは双子でね。姉がいるのだよ。穏やかな、良い子だ。『双晶』だね」
鉱物の結晶には双子もあれば三つ子もある。こうした結晶を『双晶』と呼ぶ。
穏やかな良い子であれば妹とは真反対の人物なのだなと、月長石は些か辛辣に心中で評する。
自分が暗に批判されたと思った尖晶石はまなじりを吊り上げて、ティーカップを手荒く置いた。ガシャン、と響いた不作法に緑柱石が眉をひそめて、チョコレートに手を伸ばす。
「それで緑柱石様。今日はどういったご用でお出でになられたのでしょうか。お呼びくださればこちらから出向きましたものを」
緑柱石が濃い口紅の塗られた唇のあわいにチョコレートを入れ、咀嚼する。
「コランダムを捜しておいで。あのはぐれ者を」
「コランダム」
コランダムは酸化アルミニウムの鉱物で、硬度は九と高い。研磨剤など工業用途も広いが、一般的に馴染みがあるのはルビー、サファイアという宝石としてであろう。赤系色で淡いものはピンク・サファイアとし、濃いもののみをルビーとする。
「渡したい物があるのだよ。私が生きている内に、引き継がせたいものが。だがあのはぐれ者、いっかな姿を見せない。以前、青金石、月長石、紫水晶には珍しく興味あるようなことを言っていたから、その内、月長石の前に現れるかもしれない。とにかく、あれを捜しておくれ。お前も幼い頃にはよく遊んだ仲だろう?」
輝水鉛鉱は難題を押し付けられた生徒のような顔をしている。事実、難題だった。鉱石家の人探しには髪や目の色を手掛かりに行われることが多いが、コランダムは特例で、時期により青にも赤にも変じるのだ。
「見つからなければそれまでだよ。その時は輝水鉛鉱、お前に引き継がせる」
「金剛石は」
「あの図体の大きな坊やかい? 論外だね」
は、と緑柱石が短く鋭い呼気を吐いた。
その後は緑柱石は特に何も喋らず、お茶と菓子を味わうと帰って行った。尖晶石は最後まで、月長石を敵意ある眼差しで睨みつけていた。
「コランダムってどういう人?」
月長石が応接間のテーブルの片づけを手伝いながら輝水鉛鉱に尋ねる。
「とても繊細で臆病な、でも自由な子だ。文章の才能があって、舞台の脚本なんかを書いたりもしているらしい。……月長石はムーンストーンの中でもロイヤルブルーレインボームーンストーンだ。希少だから、コランダムも興味を持っているようだった。大人になってからも年に一、二回は顔を合わせていたんだが、そう言えば最近は音沙汰がなかった。緑柱石様はあの外見だがもうお年だ。焦っておられるのだろうな」
月長石は部屋に戻り、応接間への入室を許されなかった黄玉に事の次第を話して聴かせた。黄玉は口をへの字に曲げる。
「厄介事だな。お前が無理することないんだぞ」
「無理も何も。捜す手立てを私は知らない。緑柱石様もそれをご存じの上で、もし私に会いに来るようだったらと保険を掛けたのだろう」
「コランダムって男?」
「中性体だって言ってた」
黄玉の瞳が丸くなる。
「マジかよ。本当にいるんだ」
「とても綺麗らしいよ」
「そりゃ、うちの一族だしな。その上、最長老のお気に入りだ」
「うん」
月長石はそれから夕食を済ませると入浴し、草木染紬織の淡い緑と紫のグラデーションの入り混じる着物に、花車亀甲文の淡い色の袋帯を合わせた。紫水晶は来る気がした。部屋で一人、グワッシュ画を描いて、宝石の陰影と輝きの妙、そしてそれを表わす難しさに夢中になっていた。
こつんと窓が鳴ったので、ペンを置いて立ち上がる。やはり来た。
「緑柱石のばあさんが来たって?」
紫水晶は開口一番そう言って、断りもせず窓から室内に入った。靴は脱いであるあたり、一応の常識はあるというところか。それにしても一族の最長老を随分とぞんざいな呼び方をすると、月長石は半ば呆れた。
紫水晶は肩に桜の花びらの名残の一枚をつけていた。月長石がそれを取ってふう、と息を吹きかけて窓の外に放つと、不思議そうな顔をしていた。
「来た」
「コランダムを捜せって?」
「知ってるの?」
「俺んちにも少し前、来たからな。あの親父がそこそこ、敬意を払う相手はあのばあさんくらいのもんだ」
「自由に生きたいなら、そうさせてあげれば良いと思う」
「ああ、俺もそう思う。でも、最長老の命令は絶対だからな」
もう桜はほとんど散ってしまっている。濃紺の夜が鉱石の名を持つ少年と少女を閉じ込めている。
「もう暴力は振るわれてない?」
「――――――――最近はな」
嘘だ、と月長石は思った。金剛石は家の内情を話した紫水晶に怒っていた。きっと体罰を受けたに違いない。
「ごめんなさい」
「何が」
紫水晶は話が解らないといった顔をする。これは月長石を思い遣ってのパフォーマンスだろうか。
「お前、頬が腫れてるぞ」
「ああ、これは」
「尖晶石か。来たんだな」
「…………」
「あいつ。困った奴だ」
「大丈夫。やり返したから」
「そうか」
そう言って愉快そうに紫水晶は笑った。
彼が笑うのを見たのは初めてだ。月長石は自然界の美しい野生動物が懐くにも等しく、貴重な瞬間を味わっている気になった。それから二人はストーンセッティングの難しさなどを話し合った。鉱石家の一員らしく、紫水晶は鉱石、宝石の装飾品となるまでの過程に詳しかった。
「ばあさんはな、『矢車』をコランダムにやりたいんだよ」
「『矢車』?」
「パリ万博を賑わせた帯留め。昭和の傑作と言われた。左右対称のグラフィカルなデザインで、サファイアとエメラルドが使われセンターにはあこや真珠の8・75mmの大粒がある。専用の工具を使って解体して、十二通りに使い分けることを可能にした複雑な構造だ。細工の完成度の高さから、日本ジュエリーのレベルの高さを国際社会に知らしめた」
「本物を緑柱石様が持ってるの」
「まさか。本物はミキモトが持ってる。ばあさんのはイミテーションだが、本物との違いは寸分もない。至宝だよ」
紫水晶は立ち上がると、月長石に許可を得てから紙にさらさら『矢車』を描いて見せた。繊細で緻密な筆致は、紫水晶という、一見、粗暴に見える少年の内面を表わしているようにも思える。だが月長石は『矢車』に余り興味が持てない。彼女が好むのは髄を凝らした逸品より、シンプルだが石の魅力を最大限に発揮させるものなのだ。月長石は紫水晶にそう言うと、俺もそう思う、と、意外なことに同意を得られた。
コランダムは『矢車』が欲しいのだろうか。