ダイアリー
珪孔雀石の纏う気配はどこか悲し気なものだった。諦観にも似た空気。
「珪孔雀石。知っていたの。全部」
「うん。ここに来る前、輝水鉛鉱さんから聴いた。輝水鉛鉱さんはその時、僕に言った。もし、月長石たちがこの別荘の謎を解くようであれば、藍晶石の日記を読ませるようにと」
「あんたが持ってるのか」
「持っている。普段は管理人さんたちに保管してもらっているのだけれどね。彼らも事情を知っている。と言うより、徴兵忌避してここに匿われた人の子孫なんだよ、彼らは。だから鉱石家には恩義を感じて良くしてくれているんだ。地下室の管理もしてくれている」
そう告げて、おいでと珪孔雀石は二人を手招いた。
珪孔雀石の部屋の作りは基本的に月長石と一緒だが、置いてある調度には微妙な違いがあり、男性の部屋らしさがあった。珪孔雀石は机の抽斗を開けて、深緑色の分厚い書物を取り出した。明らかに年代物と判る。
「藍晶石の日記だ」
月長石が受け取ると、それはずしりとした重みを彼女の腕に伝えた。珪孔雀石が勧めてくれたので、彼のベッドに腰掛け、ページを開く。彼女を挟み、両隣に珪孔雀石と紫水晶が座る。
鉱物は長い時を経ても美しくあり続ける。
そこには永遠という理想がある。
しかし人の身は、例え鉱物の名を冠しようとも、やがて絶える。
絶えないのは人の、想いのみである。
日記の最初にはそう記されていた。ぱらり、とページをめくる。
日記は藍晶石が戦地より生還したところから始まっていた。
四月二十日
生きて帰ったことが今でも信じられない。これは僕の個人的な日記だが、もし後世、これを読む鉱石家の人がいるのなら、最初の文言をどうか心に留めて欲しい。
六月八日
翡翠輝石が徴兵された。父上の抗議も功を成さなかった。
青金石の為にも、生きて戻ってくれることを切に望む。
五月四日
翡翠輝石の戦死報告が届く。
それを読んだ月長石の胸に痛みが走る。その簡潔な記載は、文字が僅かに歪み、簡潔である分、藍晶石の嘆きがより深く感じ取れた。
十一月十九日
青金石が、沈んだままだ。
僕にはどうしてやることも出来ない。いっそ死んだのが僕であれば良かったとさえ思う。青金石は、近頃、僕のことを翡翠輝石と認識するようになってきている。嘆きが深い証拠だろう。
二月三日
青金石が身籠った。
僕の子供だ。
「…………え?」
月長石は、今、読んだ文章が信じられず目を瞠った。思わず珪孔雀石を見る。紫水晶も息を呑んでいる。
三月一日
青金石は、自分が翡翠輝石の子供を身籠ったと思っている。
十二月十六日
青金石、男女の双子を産む。
「珪孔雀石。これ……」
「生まれた子供は分家に里子に出された。ばらばらにね。その一方が、輝水鉛鉱さんたちの流れで、もう一方が、金剛石さんたちの流れになった」
二月二十八日
僕は青金石が哀れでならない。彼女は今も夢の中に生きている。僕たちの人生は戦争に狂わされた。徴兵忌避する人たちへの援助は、一種の意趣返しだ。
鉱石家は、もう、ぼろぼろだ。
この記述のあとは、専ら青金石への愛情と憐憫、そして藍晶石自身の苦悩が綴られていた。読み終えた月長石は、自然、肩に入っていた力を抜いた。溜息がこぼれる。驚くべきは兄妹の禁忌の恋、そしてその延長上にある出産という事実だった。青金石の、翡翠輝石への追慕は、単なる兄へのそれではなかった。激しく深い愛情がそこにはあった。そして、それゆえに藍晶石を代わりとして愛した。その結果、存在するのが自分であると思うと、月長石は空恐ろしいような心地になった。紫水晶も驚愕していた。
「珪孔雀石はこれも知っていたのね」
「うん。別荘に来る前に。だから、僕は、出来ることなら、月長石に別荘の謎を解いて欲しくなかったんだよ」
珪孔雀石は言いながら、月長石の頭を優しく撫でた。珪孔雀石も複雑だっただろうと月長石は推し量る。彼は青金石に恋しているのだ。果たしてこれは暴いて良いものだったのか。パンドラの箱は本当にパンドラの箱だった。希望は残されているだろうか。
「さあ、もう夜も随分更けた。冒険して疲れてもいるだろう。二人共、おやすみ」
珪孔雀石は優しい微笑で二人を促した。
珪孔雀石の部屋を出て、自室に戻る途中、月長石は、呟いた。
「私、よく、解らない」
「何が」
自身も考え込んでいるようだった紫水晶が、尋ねる。
「何が悪かったのか。戦争だと、断じることは容易いけれど……。それだけでは簡単な答えに逃げてしまうような気もして」
「殺し合いに、良いも悪いもない」
「……そうだね」
月長石の頭は飽和状態だったので、部屋に辿り着きベッドに潜り込むと、夢も見ない眠りに就いた。
翌日、薔薇と黄玉には紫水晶と月長石からそれぞれ真相を伝えた。蛍石に言うにはまだ憚られる。どこか面持ちの変わった月長石たちを、蛍石はきょとんとした目で眺めていた。
そうして夏の盛りと共に、彼らは別荘を去った。
残すところあと一話。明日で完結します。