答え合わせ
最初に月長石が感じたのは闇への恐怖だった。この地下は視界が利かず、手探りで進むしかない。壁は固くひんやりと冷たい。その内、スイッチらしきものに触れ、それを押す。
ジジッという音と共に電気が点いた。
急に明るくなり、今度は先程までとは別の意味で一瞬、目が見えなくなった月長石だったが、徐々に明るさに慣れた。
そこは凡そ十畳程のスペースの空間だった。調度類が置かれてある。とても静かに、それらは鎮座していた。埃を被っている感が余りない。木の机の上には写真立てと本が置いてあった。写真立てに納まっているのは、家族の肖像だ。青金石、翡翠輝石、藍晶石、緑柱石、桜石。
同じ写真を邸のアルバムで見たことがある。
この密閉空間で呼吸が出来ることが月長石には不思議だった。どこかに通風孔でもあるのだろうか。微かに風の流れを感じる。心臓がどきどきする。早く誰かに知らせたい思いと、秘密にしておきたい思いが、月長石の中でせめぎ合った。もうすぐ皆がリビングに集まるだろう。夕食も作らなくてはならない。
月長石は後ろ髪を引かれる思いで二重になった地下をあとにした。
スイッチや写真立てに触れた指には汚れも埃もついておらず、それが却って不自然だった。
ビーフシチューはつけあわせのポテトサラダと合わせて好評だった。賞賛の声を受けながら、月長石の思いは今日の発見に飛んでいた。まだ、明かされていないことは多くある。だが、あの地下室を綿密に調べれば、それらも解き明かされるのではないだろうか。
皆が寝静まった頃を見計らって、月長石は動きやすい恰好に着替え、再び地下室を訪れた。コンクリートの壁は無機質で殺風景だ。布の仕切りが所々にある。誰かが生活していた形跡は確かに認められる。徴兵から逃れた人たちだろう。問題は空気をどこから取り入れているのか。
月長石は机の抽斗を開けて藍晶石の日記がないか探したが、見つからなかった。
「おい」
いきなり呼びかけられて、月長石は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り向くと紫水晶が立っている。
「紫水晶。驚かさないで」
「こっちの台詞だ。夜中にこそこそ何をしてるのかと思えば」
「どうして気づいたの」
「水を飲みに台所に行ったら地下食糧庫が開いてたから」
閉めることを失念していた。月長石は、紫水晶にここを見つけた経緯と、自分の推測を打ち明けた。紫水晶は黙って聴いていた。
「もう一度、二人でよくここを捜してみよう。日記があるとすれば恐らくここなんだ」
月長石は頷き、紫水晶と手分けして日記を捜した。だが、日記は見つからず、二人は徒に疲弊しただけだった。
「ここが徴兵忌避した連中の隠れ家だったとして、隠れ方としては甘いように思う。軍人がここまで踏み込まないという保証はない」
「……紫水晶。もしかしたら壁の隙間は、その保険だったのかもしれない」
「どういうことだ?」
「つまり、この部屋の中に壁の隙間の空間への通路があって、本当に危険な時だけ、そこに避難したのでは。ここには明らかに生活臭があるけれど、肝心の対象者が見つからなければ軍人も引き下がらざるを得ない。それでなくても相手は鉱石家」
紫水晶は顎を引いて同意を示し、布で仕切られた一箇所の向こうに回った。布は二重で箪笥を隠すように置いてある。紫水晶は箪笥の抽斗を引きずり出していった。
三段程、出したところで、彼は動きを止める。
「――――ここだ」
紫水晶が示した箪笥の向こうにはぽっかり穴が開いている。彼はその中に入って行った。
「梯子がある」
上のほうから、紫水晶の声が響いてくる。月長石も後に続いた。
梯子を上ったところには、一畳の畳を二枚、縦に並べたような狭い空間があった。ここが一階部分で、更に上の二階部分にまで梯子は続いている。空間にはほとんど物がなく、本当に非常時用に作られたスペースだということが判る。二人は手分けして全ての空間を隈なく捜したが、日記はやはり見当たらない。二人は諦めて地下室に戻った。
「……空気はどこから来ているんだろう」
そう呟いた月長石の脳裏に、枯れ井戸が浮かぶ。もしもあれが井戸ではなく、空気を地下に取り込む為に作られたイミテーションだとしたら。井戸に近づくなと言った珪孔雀石。彼はこのことを知っていたのだろうか。月長石の推測を聴いた紫水晶は、確かめようと言った。彼は地下室を出て屋外に向かい、枯れ井戸に歩み寄った。夜に鳴く虫の声がした。澄んだ空気の中、ぽつねんとある井戸の底に向けて紫水晶は「おーい」と声を放った。
それは確かに地下室にいる月長石の耳に届いた。本棚の上からそれは聴こえた。非常に解り辛い場所に、井戸と繋がる穴が開けてあるらしい。
これでこの別荘の謎は解けた。
残すは日記だけだ。別荘の謎を全て解けば日記も見つかると、漠然と考えていた月長石だが、ここに来て打つ手がなくなった。ひとまず、地下室を出て、戻って来た紫水晶と合流する。空気の取り込み口が枯れ井戸だという事実を二人で確認し合い、そしてこれからどうするかという話になった。ぎし、という床の鳴る音に、二人が振り向く。彼らはまだ地下食糧庫の傍に立っていた。足元には果実酒やピクルスの入った瓶。そこにいたのは珪孔雀石だった。
「辿り着いたんだね」
そう、告げた珪孔雀石は、あらゆる感情を押し込んだような無表情だった。
あと二話で完結します。どうぞ最後まで彼らの行く末をお見届けください。