薔薇の警告
少年の、長めの髪はやや紫を帯びていた。両目の色といい、鉱石家の関係者だろう。
白い面に浮かぶ表情は月長石を探るようで、目鼻立ちは整っていた。色白で、まなじりの上がった瞳は気が強そうだ。眉尻も上がり、少年の勝気な気質を物語っている。
「貴方、誰」
ようやく、月長石が硝子超しに誰何する。心臓は忙しない。
「紫水晶」
少年は一言名乗り、傍にあった桜の枝をぼきりと折り取った。あ、と月長石が声を上げる。少年はそのまま身を翻して去った。月長石は窓を開け、無惨に折られた桜の枝を、腕を伸ばして拾い上げる。まだ蕾も残るそれを、せめても花器に活けようと思い、月長石は部屋を出た。花器や掛け軸などを納めている部屋で、白磁のものを選ぶ。部屋に戻る途中、蛍石に出会った。
「あれ? 月長石。お花、活けるの?」
「うん。桜の枝が……折れていたから」
「そうなんだ」
なぜだか紫水晶のことは告げなかった。秘密にしたほうが良いような気がした。洗面所で白磁の花器に水を入れる。さわさわと水が満ちてゆく。部屋に持ち帰り、桜の枝を活ける。折り取られた状態では良くないかもしれないと思い立ち、剪定鋏を持って来て枝の断面を伐る。水を吸い上げやすいように切り込みを入れた。窓の外を改めて眺める。満開の桜の樹々は、春霞がかかったようにどこかもったりした空気が流れている。紫水晶の存在は、そんな円やかさの中の鋭利だった。年は同じくらいだろうか。そんなことをつらつら考えてから、月長石は文庫本を手に取り、布団に横たわると読書を始めた。
翌日も快晴だった。花散らしの雨が降る様子もなく、この分であれば今年の桜は長く楽しめそうだ。月長石は黄玉と一緒に家を出た。桜並木の下を歩く。
「黄玉。紫水晶って知ってる?」
「アメジストだろ。何で?」
「ううん。何でもないの」
黄玉の中では紫水晶が人名として認知されていない。桜に狼藉を働いた少年の謎は深まる。粗暴な真似をしたというのに、不思議と月長石の中で、紫水晶は悪い印象を残していなかった。桜折り取るような、詮方ない悲しみか憤りがあったのかもしれない。そう、良いように受け取ってしまう。桜の花びらがはらはらと散る。
「うん? 紫水晶……」
「知ってるの?」
一考した黄玉が呟いたので、月長石は尋ねた。そんな時でも弾まない声、物静かな口調は月長石ならではだ。
「うちのじいちゃんがそんな名前だった気がする」
「そう」
ではあの少年とは別人だ。
月長石は取り立てて落胆もせずそう断じた。
青の中、舞う花びらは自身も薄い青を孕んでいるように透き通っている。
膨らみ、綻び、咲いて舞い散る。
学校という檻に今日も月長石は従順に入る。入った途端に息苦しさを感じる。こんな中、快活に振る舞う黄玉が羨ましい。教室に入ると、いつもより空気がざわついていた。
「あ、月長石。おはよう」
「おはよう、緑子」
緑子は級友の中でも特に親しい少女だ。さばけた人柄で屈託なく、彼女と話すのは疲れない。
水槽の中、窮屈に泳ぎ回るのが生徒たちだとしたら、緑子は月長石の居場所を押し広げてくれる存在だった。真っ黒で長い髪の毛は、月長石のように虹を放つでもなくただひたすら深い闇夜の艶がある。
「転校生、来るって」
「そう」
「美少年らしいよ。興味ないでしょうけど」
緑子は月長石の性分をよく解っている。含み笑いしながら、付け加える台詞に陰湿なものはない。事実を事実と指摘したまでで、実際のところ、月長石に興味はなかった。美形は鉱石家で見慣れて免疫もついている。溌剌とした黄玉も、顔立ちは整い、大きな目に宿る生気が人を魅了する。一時期、月長石は黄玉ファンの女子に嫌がらせを受けたことがあった。被害に遭った月長石より黄玉が憤慨し、彼女たちに怒鳴り込んだ為、嫌がらせは止んだ。
ホームルームが始まり、転校生の登場を待つ生徒たちの期待と興奮で教室内は普段より熱を帯びている。こうした熱気は月長石の苦手とするところで、内心嘆息していた。
「もう知ってると思うが、転入生を紹介する。入ってきなさい」
担任の杉本が教室の外に向けて手招きする。
ガラリと戸が開き、入って来たのは華奢な少年だった。
「空閑薔薇と言います。よろしくお願いします」
明るい髪色は光を受けてところどころ深紅に見える。双眸も赤味の強い茶色だ。白皙の頬に、紅を置いたかのような唇。嫋やかな中にも華やかさを背負う美少年の登場に、教室中がざわめいた。空閑という苗字に反応したのは月長石だけではないだろう。薔薇。薔薇石か。そんな親戚は知らない。父である輝水鉛鉱なら知っているだろうか。ホームルームが終わると、早速、薔薇の周りに人の群れが出来ている。可哀そうに、と月長石は思う。興奮混じりの好奇心の質問攻めに遭うことは、月長石であればとても耐えられない。質問の中には、当然、同じ苗字の月長石との関係を尋ねるものもあった。薔薇はちらりと月長石を見た。その紅めいた眼差しは、色と相反して極寒の冷たさで、月長石はたじろいだ。
「苗字が同じなのは、親戚だからだよ。と言っても、あちらのほうが本流で、うちは末端だけどね」
極寒の冷たさは一瞬だけで、薔薇はにこやかに尋ねた生徒に答えた。今の言葉が本当であれば、薔薇は月長石の把握していなかった親戚ということになる。それにしても、彼が自分にぶつける冷たさ、嫌悪と言って良いようなものは何だろう。話の輪に加わっていた緑子も敏感にそれを感じ取ったらしく、心配そうな顔で月長石を見ている。予鈴が鳴り、薔薇に群れていた生徒たちもそれぞれの席に散って行った。
一時限目の終わり、緑子が月長石の席に来た。
「薔薇君って、何か月長石に厳しいよね」
「そうみたい。どうでも良いけど」
「醒めてるわね。私だったら、あんな美少年に嫌われるのってきついわ」
「関係ないもの」
「でも親戚でしょ?」
「初耳だったし。遠縁ならほぼ他人」
月長石は徹底して薔薇を意識下で遠くに置くことにした。自分に敵意を持つ存在を、いつまでも気にしても仕方ない。昼休みになって、昼食を終えると、黄玉がやって来た。どうやら薔薇の検分らしい。
「あれが転校生かー。派手だな」
「黄玉も負けてないと思うけど」
「あんな女みてえじゃねえよ」
薔薇は黄玉を一瞥した。それは無機質なもので、月長石に対する負の感情の派生といったところだった。黄玉も察知したらしい。不遜な眼差しで薔薇を見る。
「気に食わないな。苛められたらすぐ俺に言えよ」
「大丈夫」
恐らく黄玉の懸念は当たらないだろうと月長石は思っていた。薔薇はそんな幼稚なことはしないだろう。徹底して月長石を無視する可能性のほうが大きい。そう思っていると、薔薇が自分の席から立ち上がり、月長石の元まで来た。
一言、告げる。
「紫水晶に関わるな」
月長石とソメイヨシノに挿絵を入れています。
薔薇は薔薇石から取りました。