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パンドラの箱

 珪孔雀石の運転する大型のバンは、街の煩雑な通りを過ぎて都市高速に乗った。しばらく高速を行き、途中で普通車道に降りる。新しい家並みが目立つ中を右に左に進み、山の麓、林の広がる場所に出た。同乗者は月長石、蛍石、黄玉、そして薔薇に紫水晶だ。チ、チ、と鳥の囀る声が樹々の間から漏れ聞こえてくる。緑の醸し出す濃厚な匂いを胸いっぱいに吸い込み、月長石は別荘の前に降り立った。

 チョコレート色の、和洋折衷、瀟洒な建物。歴史は古く、建てられた当初の気鋭の建築家によるものだと言う。昨日、雨が降ったので、チョコレート色は艶やかに濡れていて、それが建物の気品を損なわず、より引き立てていた。

 真鍮の鍵を、扉の鍵穴に差し込む。カチリ、とした確かな手応え。


「秘密の鍵だな」


 紫水晶が(うそぶ)いた。

 珪孔雀石の指示の元、薔薇や紫水晶の部屋が割り振られる。月長石や蛍石、黄玉、そして珪孔雀石は例年通りの自室に向かう。別荘は、普段は管理人夫妻が管理してくれて、月長石たちの滞在中の世話も引き受けてくれる。だが、それだけでは申し訳ないからと、月長石たちは炊事くらいの負担は減らすべく、食事当番を交代ですることにした。


「俺、料理出来ない」

「紫水晶に同じく。家庭科の授業とかでしかしたことない」


 紫水晶と薔薇の、薄々予測されていた申告に、月長石たちは溜息を吐いた。


「食器洗いだけでも良いからやって」

「解った」


 スペックとして料理が最も出来るのは珪孔雀石。次いで月長石と蛍石、黄玉。紫水晶と薔薇は論外だった。月長石はこの別荘を愛していた。それは什器も含めてで、骨董的価値もある皿が紫水晶たちに割られるのではないかと危惧した。


 自室に戻り、荷物の整理を続ける。張り出し窓を開けると、清爽とした風が吹き込んだ。窓枠には埃もなく、管理人夫妻の勤労が窺い知れる。珪孔雀石に呼ばれリビングに行くと、蛍石が慣れた手つきで紅茶を配っていた。大理石のテーブルを中心に、各々、ソファーに納まる。


「クッキーも焼いたよ!」

「え、この短時間で?」

「簡単レシピがあるもん。材料が揃ってたら出来るよ」


 にこにこ笑顔で答える蛍石に、薔薇たちが驚きの眼差しを送っている。クッキーはシンプルなプレーンで、程良い甘さだった。薔薇たちは無邪気な少女に対する認識を改めたようだ。天井のシャンデリアは小振りで品が良く、華美過ぎない。そのシャンデリアを見るように珪孔雀石が上を眺める。


「今晩は僕が作るよ。何が良い?」

「ハヤシライス」


 紫水晶がすかさず答える。好物らしい。


「良いよ。他にリクエストがなければ。じゃあ、僕はこのあと、スーパーまで買い物に行くから、君たちはゆっくりしておいで」


 悪戯しちゃ駄目だよ、と珪孔雀石は言って片目を瞑った。

 珪孔雀石が別荘を出て、薔薇と紫水晶がティーカップを洗ったのだが、彼らは早速やらかした。年代物のカップを割ってしまったのだ。その片付けをしながら、月長石は低い声で、次に割ったら棒で叩く、と厳かに宣言した。紫水晶と薔薇は機械仕掛けの人形のようにこくこくと頷いた。


「あ、やっぱりピクルスがあるー」


 台所の床にある、地下食糧庫の蓋を開けて、蛍石が歓声を上げた。


「まめだね。柴漬けまである」

「管理人さん、お料理大好きだものね。私たちが食事当番決めるって言った時も、少し寂しそうだった~」


 あはは、と蛍石が笑い、食糧庫に入っていた胡瓜のピクルスの瓶を一つ取り出した。赤い蓋に製造日を記したラベルが貼ってある。


「これは明日の朝に食べよう! サンドイッチと一緒に食べたら良いよね」


 薔薇と紫水晶は、年下の少女が自分たちより明らかに炊事慣れしている様子を見て、驚きと気まずさを隠せないようだ。

 そんな彼らの様子に、月長石はくすりと笑みをこぼした。


「ん?」

「どうしたの、蛍石」

「ううん、何だかちょっと……、いや、気のせいみたい」


 蛍石はえへへ、と笑うと、包丁とまな板を使い胡瓜のピクルスを手際よく切っていった。

 月長石は自室に戻り、さらさらと紙に別荘内の地図を描いた。部屋数はそれなりだが、大邸宅と言う程でもない。この中のどこかに、藍晶石の書いた日記があるのかと思うと、自然、気が引き締まる。


 ――――過去へ手を伸ばそうとする試み。


 もしかしたら自分は、パンドラの箱を開けようとしているのかもしれない。父も母も、そして緑柱石も、分別を弁えた良識ある大人たちだ。彼らが黙して語らないものを、暴き立てようとする自分は、罪深いのかもしれない。

 青金石の意思を尊重しているのだと言った輝水鉛鉱は苦し気だった。一体、何が成熟した大人をしてそのように苦悩せしめるのだろう。そして、父を苦悩させてまでも、謎を解きたいと望む自分の残酷さ。輝水鉛鉱の、娘に対する愛情を盾に取り。ぐ、と拳を握り締める。


「それでも知りたいと思う私を軽蔑する? コランダム」


 今はもう亡い想い人に問いかける。月長石の中で、コランダムは困ったように微笑していた。

 まずは別荘中の抽斗という抽斗を開けて回る。紫水晶や、薔薇の部屋の机の抽斗も例外ではない。彼らも、そして黄玉も日記の探索に加わった。書棚ももちろん捜したが、それらしい物はない。蛍石も途中から加わった。


「……なあ。この壁、変じゃないか?」


 紫水晶がぽつりと漏らした声に皆が注目する。紫水晶は自分に割り当てられた部屋の、漆喰の壁をこんこん、と叩いている。


「変って何が?」

「音がさ。何か、普通と違う」


 月長石たちにはよく解らない。とりわけ聴覚の優れた紫水晶だからこそ、解るものがあるのかもしれない。


「どう変だと思うの、紫水晶」

「一枚板じゃない感じだ。お前たちの部屋の壁も調べさせろ」


 そう言って紫水晶は、月長石たちの部屋の壁も調べて回った。それから彼は急に無口になって考え込んだ。月長石たちが話しかけても答えない。彼の中で目まぐるしく思考が行われているのが見て取れた。

 珪孔雀石が戻る前に、入浴を済ませておこうという話になった。相変わらず考え込んでいる紫水晶も上の空で返事する。

 広い浴槽に月長石と蛍石は一緒に入った。続けて黄玉、薔薇と紫水晶が入る。買い出しから戻った珪孔雀石も汗を流し、台所に立った。月長石はその手伝いに、玉ねぎの皮を剥いて薄くスライスした。


「紫水晶がね、」

「うん?」

「壁が変だって言ってる」

「――――へえ」


 珪孔雀石はフライパンにバターを落とし、月長石の切った玉ねぎを入れる。じゅわあ、という音が匂いと共に立つ。換気扇が弱だったので、強に切り替える。


「あの子は鋭いみたいだねえ」

「珪孔雀石、何か知ってるの」

「うーん。大きな声では言えないけれど」

「うん」

「この別荘は戦時中、徴兵(ちょうへい)忌避(きひ)した人を匿っていたっていう話を聴いたことがある」

「徴兵、忌避……」


 肉とトマトの匂いが台所に充満する。


「そう。愛息子を戦争で亡くした当時の緑柱石の意向でね。……子供をね。自分よりも早くに亡くした親の悲嘆っていうのは、ちょっと今の僕たちには想像出来ないものだと思うよ。青金石は兄を亡くしたけれど、緑柱石と、その妻である桜石は息子を亡くした。彼らが、自分たちのような親を生み出さないようにしようと奔走したとしても、何も不思議なことはないんだよ」

「知らなかった……」

「余り公に出来る話でもないからね」


 月長石にとってこの別荘は、愛情に包まれた楽しい思い出しかなく、生死の問題で懊悩した人々が関わっていたなど、露程も思い及ばなかったことなのだ。





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― 新着の感想 ―
[一言] いよいよ――と言う感じですね。はたして別荘に秘された日記に何があるのか……、今から期待させていただきますね。
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