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あなたにあいに

 夏が本番になるより前に、月長石は快復した。

 邸の誰もがそのことを喜び、快気祝いを催した。主役である月長石は照れ臭くて、いつもより小さくなって席に着いていた。黄玉が時折、自分を意味ありげな目で見るのも気になる。月長石の髪は、今では元の虹色の光沢を頂くように戻り、亜麻色は見受けられない。けれど、月長石は亜麻色の髪であった時の、自分が自分でないような感覚を憶えていた。だから、黄玉もそんな目で月長石を見るのかもしれない。優しい味のクリームシチューを食べながら、月長石はそう考えた。彼女は輝水鉛鉱と氷晶石の眼差しに宿るものには気づいていなかった。一人だけの教室で、期末試験を受けた日の夜。月長石は久し振りに着物に着替えた。樹々の緑、爽やかな風を思わせる青、華やかに咲き誇る桃や桜のピンク色など、多彩な色使いの着物は、本来であれば春の物なのだが、今の自分の意気を上げるには相応しいと思い、選んだ。合わせた帯は深い緑。水色の帯締めと帯揚げに、硝子で小鳥を象った帯留め。やはり、着物を着ると気持ちが変わる。澱のようなものが清かに一新される。暑かったので冷房を緩く入れ、机に向かいグワッシュ画を描いていた。

 こつり、という小さな音は、もう耳慣れたものになっていた。月長石は作業を中断して、立ち上がると窓を開けた。紫水晶がひらりと入ってくる。蚊が入らないように急いで窓を閉める。


「身体はもう良いのか」

「うん」


 思えば紫水晶とこうして向かい合って話すのも久し振りだ。


「玄関から来れば良いのに。父さんの許可が出たと聴いた」

「面倒臭い」


 紫水晶らしい言いようだった。紫水晶は、じっと月長石を見る。訝しく思った月長石が彼に理由を尋ねると、紫水晶は黄玉と一緒に輝水鉛鉱から聴いた話を語った。月長石の、異変も含めて。


「翡翠輝石。その人が亡くなったことが、鉱石家の人間の外見に変化が生じた遠因なの」

「そういうことになるらしい。だが、その繋がりが解らない」


 月長石も考え込んだ。とりわけ、自分が「翡翠にいさまの行方」を追ってコランダムの行方を捜してと頼んだということは寝耳に水であり、なぜ自分がそんなことを紫水晶に言ったのかも、皆目見当がつかなかった。


「緑柱石のばあさんなら何か知ってそうだよな。一族の長老だし」

「……何を言ってるの? 紫水晶」

「え?」

「緑柱石は、お父様でしょう。女性ではないわ」


 紫水晶は言葉に詰まった。

 確かに緑柱石は男性だった。戦前の鉱石家においては。つまりこれは。この月長石は。


「青金石か」

「そうよ?」


 見れば月長石の髪が亜麻色に染まっている。まただ、と紫水晶は思った。

 また、月長石に、青金石が〝憑依〟している。快復し、この現象も治まるものとばかり考えていたのに。だがこれは好機でもあった。


「……青金石。どうして、コランダムなら翡翠輝石の行方を追えると思う?」

「だって彼はコランダムだから」

「だからその、コランダムだから何なんだ」


 苛立つ紫水晶に、「青金石」は自明のことを言うように不思議そうに告げた。


「コランダムは巫覡(ふげき)。あちらとこちらのあわいを漂う者。だからきっと、翡翠にいさまの行方も知っているのよ」


 紫水晶の中で、不可解だったことが一つ、解けた。つまりコランダムは、巫女や神官に類するような存在であり、その力を持つのだ。その力を持つからこそ、青金石に憑かれた月長石の、命を救うことも出来た。


「だからコランダムに訊いて欲しいの。翡翠にいさまのいるところを」


 紫水晶の胸に、湧き上がる強い感傷があった。

 喪った兄を。

 今でも青金石は捜し求めているのか。その、魂を。戦禍の中、兄を亡くした青金石の悲嘆が、癒されず、それどころか傷口からまだ新しい鮮血が溢れるようでいることに、紫水晶は深く打たれた。望みを叶えてやりたいと思った。けれどその術は解らない。コランダムの居場所は浮雲のように漂い知れないのだ。


「紫水晶? どうしたの?」

「何が、」

「泣いてるわ」


 紫水晶は自覚なしに涙を流していた。「青金石」が心配そうに紫水晶を見ている。華奢な指で、紫水晶の涙を拭った。


「なぜ、泣いてる」


 口調が変わる。ああ、これは月長石だと、紫水晶は察した。月長石に戻ってからも、心配そうな視線は変わらない。紫水晶は、今起こった出来事を語った。月長石の髪は今では亜麻色の名残もない。


「そう。コランダムは巫覡。それは、あの人に相応しい」

「如何にもだよな」


 目元をごしごし擦り、紫水晶も頷く。しかし、巫覡だから流浪しているというのは理屈に合わない。一体、これはどういうことか。紫水晶は改めて、緑柱石に尋ねてみることを提案した。先程は、月長石は月長石であってそうではなかったので、もう一度言う必要があった。


「緑柱石様か……」

「どこに住んでるか判るか」

「うん。小さい頃、父さんたちに連れられて何度か行ったことがある。一族の最長老の住居とは思えない程、小さな和風住宅。季節の花々を、緑柱石様手ずから育てていらしたように記憶している」

「今度の日曜、行くか」

「うん」


 学校では月長石が青金石になることはなかった。緑子は、月長石が不在だった頃が余程寂しかったらしく、接触が以前より増えた。


「月長石、今度の日曜、買い物に行こうよ」

「ごめん。先約がある」

「え~。じゃあ、土曜日。て言うか、先約って誰と?」

「土曜日なら良いよ」

「ねえ、先約って誰と?」


 どうやら逃がしてはくれないらしい。月長石は観念した。


「紫水晶」

「え! 紫水晶先輩と?」

「緑子、声が大きい」


 案の定、大声を上げた緑子に、クラスメイトたちが注目する。放っておかなかったのは薔薇だ。


「どういうことだ。紫水晶とどこに行くんだ」

「……緑柱石様のお宅に」

「どうして」

「訊きたいことがあるから。大人は隠し事が多い。うちの両親が話してくれないことも、緑柱石様なら話してくださるかもしれない」

「ふざけるなよ。俺も行くぞ」

「ブラコン」

「何だと?」


 月長石はげんなりした。育った家庭環境のせいもあるだろうが、薔薇は紫水晶に依存する傾向が強い。面倒なことになった。また、これらの会話に聞き耳を立てていたクラスメイトたちの間で、自分や薔薇、紫水晶の関係がどのように憶測されるかと思うと、今から疲労を感じるようだった。雑多な気配を振り切るように、月長石は図書室に向かった。昼休みが終わるまでにはまだ間がある。

 以前、桜の花びらを挟んだ本を書棚から抜き取る。

 ぱらぱらとページをめくる。

 花びらは変わらずそこにあった。月長石はほっとした。

 自分が誰になろうとも、花びらはここにある。いずれはかさりと音を立て、誰かがページを開いた拍子に滑り落ちることもあるかもしれない。その瞬間を、待ち望むような、来て欲しくないような、複雑な気持ちで、月長石は再びページを閉じて本を元の場所に戻した。早い蝉が鳴き始めている。


 土曜日は緑子に付き合い、ウィンドウショッピングをして回った。月長石は余りこうしたことが得意ではないのだが、緑子が楽しそうにしている様子を見て、まあ良いかと鷹揚に構えることにした。緑子は月長石のそうした心中をきちんと察していて、落ち着いたカフェで休息を多く取る気配りも忘れなかった。彼女がそうした人柄だからこそ、交友関係を続けられると、月長石は思った。

 薄曇りだった土曜日に比べ、日曜日はよく晴れていた。

 月長石は日焼け止めを入念に塗り、緑柱石に会うのに相応しく身なりを整えた。淡藤色の訪問着には華文を配した花菱文様。随所にぼかしを入れ、袖口には牡丹唐草をあしらっている。帯は金地で帯揚げと帯締めは紫系でまとめた。帯留めは小花の群れた珊瑚の細工。小さなバッグは黄緑色の花鳥の刺繍入りの物にした。

 紫水晶たちとの待ち合わせ場所は、家から三つ目のバス停だった。蝉が鳴いている。もうしばらくすると炎天にうだるようになるのだろう。紫水晶と薔薇は既に来ていた。二人共、学生服だ。公的な服ではある。相応しいかもしれない。


「めかしこんだな」

「最長老に会うのだから」


 薔薇の冷やかしに、月長石は澄まして答えた。来たバスに三人、乗り込む。三十分程、バスに揺られて、目的のバス停に到着した。坂の上り下りが多く、月長石は帯が崩れないかと心配だった。

 バス停から少し歩いた住宅街の中、緑柱石の住まいはあった。予め、今回の訪問は輝水鉛鉱にも氷晶石にも話し、許諾を得た上で、緑柱石のアポイントメントも取ってある。季節には遅い藤の花房が、外からでも見えるのが緑柱石の家だった。石塀から藤がはみ出ている。その癖、外の門を通ると薔薇の花の濃密な香りがむっと押し寄せた。それでも家の大きさの規模としては、広大な邸に住まう少年少女には、小さなものに感じられた。インターフォンには緑柱石自らが出た。迎えに出た彼女は涼し気なミントグリーンのサマーワンピースを着て、銀色の太いベルトを腰の下あたりにゆったり回している。ワンピースは光沢から絹と窺い知れた。


「よくお出でだね。月長石。紫水晶。薔薇」


 ささやかな家に住んでいても、緑柱石の威厳は少しも損なわれることなく、寧ろ強調されていた。彼女の存在感に、月長石たちは圧倒された。




前話、恋迷宮に輝水鉛鉱の挿絵を載せています。

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[一言] 緑柱石様、ご登場ですね。 存在感が半端ない……
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