そうして彼女が泣いたから
郷土史研究という、高校生にしては渋いことこの上ないクラスの出し物に、紫水晶は真面目に携わっていた。このあたりの土地に伝わる逸話や石仏などの写真を写したパネルが展示されており、交代で受け付けの係をする。紫水晶はこの調査研究の過程で、興味のある話を拾っていた。それはある一族に関するもので、その始祖は青金石、月長石、紫水晶と後に呼び習わされるようになったという。恐らく鉱石家の話だろうと、すぐに察した。そして違和感に気づく。戦前までと戦後の、鉱石家の変化。謎のヴェールに包まれた一族の、鍵を握る宝物とは、『矢車』のことだろう。何かが紫水晶の鋭敏な感覚に引っ掛かる。受付に座り、ボールペンを手先でくるくる回しながら考えに耽っていた紫水晶は、その為に来訪者に対する反応が遅れた。金剛石と瑪瑙が立っている。ボールペンが床に落ちて乾いた音が鳴る。紫水晶の警戒レベルが上がった。
「なあに、辛気臭いわねえ。今時の高校生が仏様だなんて」
「まあ、そう言うものではないよ。それなりに評価されてるようじゃないか」
父と母は紫水晶には目もくれず展示を見回している。三年という受験を控えた学年が、自然、一、二年より控え目な出し物になるのは教師も容認するところだった。そして金剛石が言ったように、出し物を評価するシートがあり、そこには客が星を五段階評価でつけられるようになっていて、紫水晶のクラスは星を多くつけられているほうだった。銀色の小さなシールはそのまま、各クラスの得票となる。最も票の多かったクラスには学校から賞品が出るのだ。金剛石と瑪瑙は、呆気ないほど簡単に、紫水晶のクラスをあとにした。もちろん、星のシールを貼ることもなかった。紫水晶の心に寒風は吹かない。両親に対する期待は、とうの昔に擦り切れて風化した。受付の当番が終わった頃を見計らって、薔薇と月長石のクラスを訪ねようと思う。
月長石は接客の目まぐるしさに内心、悲鳴を上げていた。とりわけ男女を問わず、写真撮影や握手まで求められることには閉口していた。その点、薔薇は手慣れたもので、にこやかに接客に徹してはいたが、月長石には彼の内心の顔に立つ青筋が目に見えるようだった。
昼を過ぎるとようやく休憩時間が与えられた。
丁度、紫水晶と、校内を一通り見て回ったらしい珪孔雀石と蛍石が来て、薔薇と一緒に外の出店の焼きそばでも食べようという話になった。紫水晶は珪孔雀石には最初、鋭い一瞥を投げたが、蛍石には攻撃的な姿勢を取らず、月長石を安心させた。校舎を出るとあちこちに風船が浮かび、粉ものの焼ける独特の匂いが充満している。青い空は機嫌よく、学園祭を穏やかに俯瞰するようだ。焼きそばとお好み焼き、お茶などを確保した月長石たちは、空席を見つけられなかったので、芝生に直に座る。ピクニックのようなものだと思えばそれも楽しい。
月長石と薔薇はそのままの衣装で来ていたので、衆目を集めた。初めは一々神経質に反応していた薔薇だったが、今は完璧に人の目を無視する芸当を身に着けたようだった。
「蛍石、ほら」
月長石が割り箸を割って甲斐甲斐しく蛍石に渡すと、蛍石はこくんと頷き、受け取る。
「……瑪瑙さんたちのことは、気にしないほうが良い」
「でも、私、不作法だって。鉱石家に、相応しくないのかも」
「あの女の言うことは無視しろ」
意外にも薔薇が蛍石に声を掛けた。焼きそばを掻き込むメイド姿は、それはそれである意味、見ものだった。蛍石も驚いたらしく、きょとんとした目で薔薇を見る。
「ほら、喰えよ。なくなるぞ」
薔薇に促されて箸を動かし始める。月長石はそんな蛍石の頭を撫でた。珪孔雀石は最年長者らしく彼らを見守る。途中から黄玉も合流して、遅れた分を取り戻すようにお好み焼きを勢い込んで食べ始めた。彼はお化け屋敷の幽霊役で、血糊もついたままの格好だったので、いよいよ月長石たちのグループは注目を集めることとなった。
「明日は輝水鉛鉱さんと氷晶石さんも来るんだろ?」
「うん。そう言ってた。父さんは、今日はどうしても抜けられないからって」
「どうだかな。うちの親と顔を合わせるのを避けたのかもしれないぞ」
黄玉の問いに答えた月長石に、紫水晶が割り込む。
「金剛石さんたちが今日、来ることを父さんたちは知らなかったと思うよ」
「それも怪しいもんだ」
「紫水晶、懐疑的」
月長石は執拗な紫水晶にやや呆れた。
昼食のあとはゴミを指定された場所に捨ててまた月長石たちは持ち場に戻った。
「長い一日だったなー」
その日、広間で夕食を摂りながら黄玉がぐったりした口調で言う。筍とわかめの煮物、子持ちガレイのウーロン茶葉蒸し、豚汁が食卓には並んでいる。粉ものと甘い物しか食べていなかった月長石たちには嬉しい限りだ。
「黄玉のところ、繁盛してたね」
「まあ、お化け屋敷だからな」
「黄玉はお化け役だったのかい?」
「はい」
「明日は僕たちも行くから」
にこやかに言う輝水鉛鉱の言が、金剛石の言うように、金剛石たちを避けてのことなのかどうか月長石には判然としない。
「うちに星を五個入れてください」
「黄玉、不正は駄目」
得票を目論む黄玉に、月長石が釘を刺す。
珪孔雀石たちは月長石のカフェにも、黄玉のお化け屋敷にも、星を五つ、つけていた。きっと輝水鉛鉱たちも、何も言わずともそうしてくれるだろう。だから、黄玉の懇願は不要なのだ。
柔らかい春先ならではの筍を味わいつつ月長石はそう思う。
その日は紫水晶の訪れもなく、疲れ果てていた月長石はぐっすり眠った。
夢の中に亜麻色の髪の女性が出てきた。しくしくと泣いている。見ている月長石の胸が痛くなるような泣き方だ。
〝翡翠にいさま、どうして……〟
涙雨は止むことを知らないようだ。月長石は何とかして彼女を慰めたいと思った。けれど足は動かず口も開けない。女性はそのまま泣き続け、月長石にも悲しみを伝播させた。
朝起きると、月長石の頬は濡れていた。
学園祭二日目も晴天で、輝水鉛鉱と氷晶石がやって来た。金剛石たちのように派手ではないが、質の良い服に身を包んだ二人は、整った顔立ちも手伝い、生徒や一般客の注目を集めていた。注目を集めるのは、鉱石家の特徴なのかもしれない。
「良いお店ね」
シフォンケーキを食べ、紅茶を飲みながら氷晶石がにこやかに評する。輝水鉛鉱も首肯した。月長石は両親に自分たちの努力が認められたことが嬉しく、はにかんだ。彼女のそんな様子はクラスメイトたちの稀に見るところだったので、普段は大人びている月長石の少女らしい一面を可愛いと思った。薔薇は仏頂面で輝水鉛鉱たちの相手をした。輝水鉛鉱たちは薔薇を揶揄したりせず、給仕に対してありがとうと礼を言っただけだった。
紫水晶は受付係でもないのに自分のクラスに引き籠っていた。
祭り特有の喧噪は、余り好きではない。莫迦騒ぎだと、白々とした目で見ていた。その点、自身のクラスの出し物がひっそりしたものであったことは紫水晶にとって幸運だった。パネルの歪みを直したり、星の数を計算したりしていると、輝水鉛鉱と氷晶石が入室した。初対面だが、髪や瞳の色の特徴から、紫水晶にはそれと判った。
輝水鉛鉱は穏やかな笑顔で紫水晶に話しかける。
「紫水晶。初めましてだね。僕は輝水鉛鉱。こっちは妻の氷晶石」
「……どうも」
「興味深い展示内容だね。鉱石家にまつわる話もある」
やはりそうなのかと紫水晶は自分の直感に確信を持った。
「肝心なことは書かれていないけれどね」
「……?」
輝水鉛鉱の物憂い声の響きが引っ掛かる。
「戦時中にね。兄を喪った青金石の嘆きは深かったんだよ」
輝水鉛鉱はそれだけを言って口を噤んだ。