シルバーナイフ
ホテルの支配人によればコランダムはシングルの部屋を見て判る通り、一人での宿泊であり、女性の連れはいなかったと言う。
月長石たちはホテル近くの喫茶店で一息ついていた。飴色になったカウンター席に月長石、黄玉、紫水晶の順で座り、それぞれ飲み物を飲む。月長石は紅茶を、黄玉はソーダ、紫水晶はカフェラテを注文した。昼過ぎなのでそれぞれ昼食は済ませてあるが、小腹の空いた少年たちはケーキを追加注文しようか検討しているようだ。
チョコレートパフェを注文した紫水晶が、スマートフォンで誰かと話している。口調は素っ気ない。話しながらやや苛立たしそうに柄の長いスプーンの先をパフェの入った器の縁に忙しなく、けれど規則的に打ち付けていた。月長石も黄玉も、聞き耳を立てる趣味はないので、知らぬ顔をしていた。喫茶店は今時流行りのカフェとは異なり、木目の椅子やテーブルが置かれクラシックが流れている。小花が、硝子の器に活けられそこここに置いてある。観葉植物であるベンジャミンやジェフレラも店内隅にあり、全体的にマイナスイオンの多く感じられる、落ち着いた空間を作り出していた。
「尖晶石の抜け駆けだな」
「どういうことだ?」
スマホをジーンズのポケットに仕舞った紫水晶に黄玉が問う。
「緑柱石のばあさんの話を聴いて、先回りしてコランダムの居場所を捜したらしい」
「どうやって」
「探偵を雇ったんだと。これだから、金のある女は。連絡をつけて会うには会ったが、……」
そこで紫水晶がくくく、と笑った。
「コランダムにお前には興味ないって言われたらしい。当然、『矢車』を譲る気もない。尖晶石はプライドが高いからな。相当、コランダムに頭に来てたぞ」
「緑柱石様は探偵を雇わなかったのか」
「ばあさんはそういうのは下品だと思ってるんだよ」
「次にどこへ行くかは?」
尋ねた月長石を、気のせいか紫水晶はやや長く凝視した。
「聴いてないらしい」
掴んだと思った手掛かりの糸がぷつりと途切れた。月長石はミルクティーを飲みながら、コランダムの面影を心に思い描いていた。緑柱石の言葉はどうでも良い。『矢車』にも興味ない。ただ、もう一度、コランダムに会いたいと思った。
やがて中間試験が始まり、月長石たちもコランダムどころではなくなった。
三日に及び行われた試験の最終日の放課後には、学校全体に解放感が満ち溢れていた。休日を挟むと、次は早速、学園祭に向けて生徒は動き出す。月長石たちの通う高校は進学校であると同時に、生徒の自主性を重んじる気風の強い学校だった。計画からほとんど生徒たちに一任され、教師は羽目を外し過ぎないよう見守る体勢に入る。月長石のクラスのカフェは、布を多用してゴシック風の内装にし、本格的に執事やメイドがいても遜色ない雰囲気を作り出そうとしていた。衣装も貸衣装屋から調達することになり、そうなると予算の関係で生徒会や学園祭執行委員会とも掛け合う必要が出てくる。そこはクラスの実行委員の腕の見せ所だった。
メニューも決め、売り子となる生徒の寸法に合った衣装をレンタルし、実際に試着してみる。
月長石が執事服を着た時は女子から溜息がこぼれ、薔薇がメイド服を着た時は男子から溜息がこぼれた。
薔薇は、始終、不機嫌極まりない顔をしていた。
黄玉のクラスはお化け屋敷、紫水晶のクラスは郷土史研究発表という渋い出し物になったそうだ。薔薇は頻りと彼らを羨んでいた。
「月長石たちのお店は何を出すの?」
夕食の席で蛍石が尋ねた。高校の学園祭に当然、遊びに来る積もりらしい。珪孔雀石が保護者として同伴するそうなので、無用な心配はない。月長石は蛍石に優しい表情で答える。余り表情の出ない月長石だが、妹のように可愛がっている蛍石に対しては、優しさが先んじる。それは花がふわ、と綻ぶような変化だった。
「シフォンケーキ、スコーン、ブラウニー、クッキー、それに紅茶とコーヒー」
「美味しそう!」
「うん。試食したけど美味しかった。身内割引あるから、ぜひおいで」
「うん! ね、珪孔雀石」
「そうだね」
珪孔雀石は食卓に着く最年長の未成年らしく、大人びた微笑で蛍石に答えた。
輝水鉛鉱と氷晶石も和やかな顔でそんな子供たちを見ている。
食事を終え、食器も洗い終えた氷晶石は、輝水鉛鉱のいるであろう書斎に向かった。扉をノックする。彼が作業に集中している時は邪魔してはいけない。その不文律を、妻である氷晶石もよく承知していた。すぐに返事が返ったので、扉を開けて室内に入る。輝水鉛鉱は白衣を着ていたが、作業はしていないようだった。椅子に座り考え事に耽っていたようだ。そんな夫に氷晶石は歩み寄る。
「コランダムは今頃、どうしているかしら」
「風来坊だからね。解らないよ」
「緑柱石様はなぜ、あのようなことを」
「君も知っているだろう。『矢車』はただの装飾品ではない。僕たちの命綱でもあるんだ。僕はね、氷晶石。コランダムに『矢車』を背負って欲しいと思っているよ。彼は僕にやると良いと言ったそうだが……。僕はそんな荷を負いたくない。我ながら酷い男だな」
「私がいるわ、輝水鉛鉱。例え貴方が、『矢車』を受け取ったとしても。孤高の王にはさせない」
輝水鉛鉱は目を細めて妻を抱き締めた。
「ありがとう、氷晶石」
薔薇と紫水晶の住む家は、月長石たちの住む家に劣らず壮大で豪奢だった。
広間での晩餐も、王族めいて煌びやかだ。ナイフとフォークが動く音が響く。
赤ワインを呑みながら、金剛石は息子たちににこやかに話しかけた。但しそのにこやかさは絶対君主の威圧を伴うものだった。
「学園祭の準備はどうだい。当日は僕も瑪瑙と行こうと思ってるよ。薔薇はご活躍のようじゃないか」
「…………」
肩までの橙色めいた髪を内巻きにした瑪瑙が、同じ色の目を薔薇に向ける。
「あら、そうなの?」
「メイド服を着るそうだよ」
「あらあらまあまあ」
ほほほ、と瑪瑙が嘲笑する。薔薇は身を固くしていた。食べ物の味が解らない。いつもそうだ。この家では、食事を美味しいと感じることが稀だった。一流の料理人が作った食事を。紫水晶が弟を堪えろといった視線で見遣る。銀のナイフを薔薇は動かす。
時々、考える。
このナイフを母に、もしくは父に向けたらどうなるだろうと。その夢想は薔薇に出来る精一杯の抵抗だった。
「薔薇。不満そうね」
瑪瑙の声が先程とは打って変わって極寒となる。は、と薔薇は凝固する。冷や汗が滲み出るのが自分でも判る。
「いいえ、そんなことは」
その言葉と同時に、タンシチューの載った皿が薔薇に投げつけられた。
飛び散る汁と肉、破片。火傷こそしなかったものの、薔薇の頬を白磁の破片が切った。
「母さん!」
「煩いっ」
瑪瑙は抗議の声を上げた紫水晶にもナイフを投げつけた。それは紫水晶の胸元に当たり落下する。
「白けるな。誰も彼も。静かに食事も出来ないのかな、うちの家族は」
醒めた声で、それでも金剛石の表情だけはにこにことしている。彼は妻と息子たちを睥睨した。
「紫水晶。蔵が懐かしいだろう。最近は入ってない」
薔薇が血を拭いながら身を乗り出す。
「父さん、待ってください!」
「久し振りに入ると良い。お前たち」
食事をする広間に控えていた黒いスーツの屈強な男二人に、金剛石が命じる。
「紫水晶を蔵に連れて行け」
5話の「呑みこむ」に金剛石の挿絵を追加してあります。