第一話 悪魔のような神
遅れて申し訳ありません!
疲れた。
ただ疲れた。
暗い道路を歩く。金の受け渡しは町外れた廃ビルで深夜にということもあり、あたりには明かりも人もいなかった。つぶれた家やビルなどが並んでいる。ふと自分が最後にした仕事を思い出す。
あの時は全てが、全てが、すべてが、スベテガ…!
首にかけている銀色のロケットがチャリンとなった。
俺は落ち着きを取り戻す。
歩いていくと大きな川にかかっている橋にたどり着いた。ここに来るときにはなかったからどうやら道を間違えたらしい。
俺はアタッシュケースを川に放り捨てた。
ザバンという音とともにアタッシュケースは沈んでいった。
我ながらつまらないことをするなと思いながら俺は橋に頭を乗せ沈みゆくアタッシュケースを眺めた。
夜に見る水はまるですべてを飲み込むクラヤミのようでとてもきれいで美しかった。
俺も今飛び込めば深い闇に飲まれて消えるのだろうか、そうすればこんな醜く悲惨で残酷な世界から逃げられるのだろうか?
「なーんてな…」
我ながらひどいセリフだ。この世界から自分が逃げられないのは二年前に思い知ったはずなのに、これも彼女の呪いかな。
そう思った時に異変に気付く。ずいぶん前にアタッシュケースは沈んだはずなのに川の水面がまだ揺れていた。
いや、むしろ投げ捨てたときよりも大きくなって…。
突如、川の水が津波のように橋の上にいる俺を襲ってきた。俺は瞬時によけいつもの癖でナイフを懐からとしだす。
なんだこれは!
橋の上に上がった水は手の形になりこちらを狙うようにじりじりとにじり寄ってくる。
明らかに俺を狙っているようだ。
頭の整理が終わらないうちに後ろで水の音がする。うしろを見ると同じように水が手の形をかたどっていた。
橋の両側をふさがれたか、人間相手ならなら気絶させるか川に逃げるんだが。
ちらりと川を見る。川はごうごうと渦を巻いていた。そうじゃなくても手を生み出すような川に飛び込むのは自殺行為だろう。かといって。
前と後ろを見る。
水をかたどった手を倒すってのもなぁ。
とりあえず前の手に向けてナイフを投げる。
まっすぐ進んだナイフはぼちゃという間の抜けた音とともに手の中に入り停止した。手のほうは何事もないようににじり寄ってくる。
ゆうに貫通するぐらいの速度は乗せたんだけどなぁ。
さてどうやって切り抜けるかと考えたところでがたん!と足元が揺れる。
みると川からはさらに無数の手が伸びており橋の端を壊していた。
「おいおいおい…。待て待て…」
まずいまずい。それは反則だろうが。
不意に前の手が止まって声が聞こえた。
「醜く悲惨で残酷な世界が嫌ならいらっしゃい。美しく至福で慈愛に満ちた世界へ」
「なんだ…!」
橋にひびが入り浮遊感に襲われて。
俺は川に落ちる。
先ほど願ったように。
深く、深く。
落ちる。
疲れた。それが一番の本音だった。この世界でずっと生きてきて感じたものは、それだけだった。一体どれだけ殺してきたのか。数えるのやめたのいつだったのだろうか、それすらも忘れた。
殺しから足を洗って今度は救おうと思った。殺した数よりも多くの命を救おうと思った。
でも駄目だった。もっともっと死んだ。俺の手はいつまでも血で汚れていた。
生きるためだったと、免罪符をかざして生きてきた。だからどうだというのだろう。だからなんだというのだろう。
生きてるだけじゃないか。死んでないだけ。生きてるだけ。
死んだように、生きてるだけ。
目を開ける。
ひどい夢を見ていたようだ。
あたりを見回す。
一面が湖だった。見渡す限り湖で、青空で境界線が見えない。
湖の上に立っていた。足元が空と反射して鏡のようだった。
なんだ、何処だ。ここは…。
待てそうだ。俺は仕事を終えたあと、川に金を捨ててそれから。
「川に落ちて死んだのよ。そして私が拾ったの」
後ろを振り返るとそこには美しい翼を持った人型の女の姿をした何かがいた。髪は長髪の金色で天使のようにも見えた。
「…。誰だ。いや、何だ」
「あなた達には神様と呼ばれているわね。なあにその顔は? 別にとって食べたりしないわよ。怖い顔ね」
そう言ってそれは微笑んだ。
その笑顔を見て俺はぞっとした。
今までいろんな表情を見てきた。
恐怖、憎悪、憐憫、侮辱、数こそ少ないが幸福の表情も彼女から見たことはある。だが今俺の目の前いる女の笑顔からは何も感じなかった。
いやその目は俺を見ていなかった。何も見ていなかった。まるで俺がいてもいなくてもどうでもいいような。
「あら、案外鋭いのね」
穏やかな顔のままそれは言った。
こいつの目には俺とその辺の石ころが同じに見えていることだろう。
「そんなことはないわ、いくら矮小な人間の存在でも石ころと間違えるなんてしないわ。まぁ羽虫と間違えることはあるけど」
どうやら心の中まで見えるらしい。
「さすがは神様。人間を矮小というだけはあるな。それでそんな神様が何の用かな。俺の記憶違いでなければ俺はあんたに殺されたんだが」
「言ったでしょう拾ったのよ」
「何故」
「面白そうだったから」
それは笑ったまま答えた。
「不思議そうな顔をしているわね。大丈夫説明してあげるから。私はねとても退屈なのよ」
「退屈…」
「ええ、もっとはっきり言うと人間育成ゲームに飽きちゃったのよ」
「……」
絶句とまではいかないまでも改めて理解した。
こいつのことを理解できないことを理解した。
「人間を少しばかり高性能なおもちゃにしたのがいけなかったわね。それでもまだ昔はよかったのよ、まだ見ていて面白かった。だけど」
それは少し目を開ける。
淡く青い目だった。ぞっとするような。
「今の人間はつまらない。つまらない理由で生きて。つまらない人生を過ごして。つまらなく死んでいく」
「そんなことはないともいますよ、一生懸命に生きている人も少数ながらいると思いますよ
が」
「どうでもいいわよそんなこと、私がつまらないんだから」
「……」
「話を戻すわよ。だから新しい遊び方を思いついたのよ!」
途端それはにっこり笑う。
まさか…。
「あら察しがいいわね。そう面白くないなら、面白くすればいいのよ! 結構手間だけどね。今までいろんな人間をこっち側に持ってきたわよ。いろんなことしたなー」
そういって、うふふと笑った。
「もしかして今行方不明になっている人々はあなたが…?」
「知らないわ、そっちの世界の話なんて。言ったでしょう。そっちにはもう興味はないの」
「…。俺もその一人ってわけですか」
「そうよ、頭の回転が速くて状況を素直に飲み込める人間は好きよ」
「それで俺は何をどうすればいいのですか」
「それなんだけどこれ知ってる?」
そう言ってどこから取り出したのか何冊かの本を宙にばらまいた。
宙にふわふわ浮いているそれらの本はいわゆるライトノベルというものだった。それも異世界転生や転移ものばかり。
「…。これは?」
「今はねこれにはまっているの。私の作ったもう一つの世界に何かしらの恩恵を与えてそこに放り込むって遊びなの!」
…最悪だ。何もわからない世界に一人で放り込ませる。一見、異世界に転移するなんて心躍りそうな話だがそれはフィクションだから楽しいのであってほんとに体験するなんて誰が思うだろうか。ましてやこんな神まがいが作る世界なんてろくなもんじゃない、もらう恩恵とやらも質の悪いものに決まってる。
「ちゃんと神なんだけどなー」
そう言えば心が読めるんでしたね。
「それに恩恵はちゃんと選ばせてあげるってばー。そうね普通なら二つくらいだけど君のことは気に入ったから三つでいいよー。」
「……」
「あ、ちなみに拒否権はないから」
「どうして俺なんですか…」
「んー? なーに」
「どうして俺を選んだんですか、別に俺じゃなくたっていいんじゃないですか。まさかランダムに選んだっていうんじゃないでしょうね」
そう言ってそれをにらむ。そんな俺の視線をまるで意に介さないように優雅に笑って
「どうしてそう思うの」
と言ってきた。
「あの言葉」
水の手に引き込まれるときに聞いた言葉
『醜く悲惨で残酷な世界が嫌ならいらっしゃい。美しく至福で慈愛に満ちた世界へ』
「あれは俺の心情を知っていなきゃ言えないはずだ。つまりあんたは俺の心を除いてたんだろう」
いらっしゃいって言ってるし。
「そうね。確かに私は意図的にあなたを呼んだわ」
それは笑みを絶やさないままあっさり白状した。
「最初はね本当にランダムに選んでたんだけどねー、楽しくなかったのよ。」
そう言って少し声が低くなった。
「どいつもこいつもあっさり死にまくるのよ。しかも死に方がしょぼすぎる! 詐欺師に騙されたり、王国に裏切られたり、寝首をかかれたり、無謀に戦ったり。生きる世界が変わって力をもらっただけでどいつもこいつも浮かれすぎ」
それは笑みを絶やさない。
「ほんとに無能で低能。どいつもこいつも使えない」
そしてため息をつくと一転、調子は、元の元気はつらつに戻った。
「だから私は学んだの! 適当じゃダメなのよ。持ってくる人間はちゃんと厳選しないと」
「ランダムに持ってこられた人達はたまったものじゃなかったでしょうね」
「人間のことなんてどうでもいいわ。要は私が楽しめるかどうかなのよ」
こいつマジもんのサイコ野郎だな。
「で私が選ぶ基準は二つ。まず一つ目は簡単に死なないこと。これは純粋な戦闘力と疑り深いかね。力があるだけの奴なんて簡単に殺されるから」
「だから俺ですか。力があり、裏社会にいたから簡単に騙されないと」
「そうよ。ちゃんと理解する頭はあるようね」
「でもう一つは?」
そう聞くとそれはバッと両手を手に挙げて叫んだ。
「ドラマよ。ド・ラ・マ! 何かしら内に秘めてないと面白くないのよ。例えば親を早くに無くして家族愛に飢えてるとか、仲間や友達に裏切られた過去があり人間不信になったとかそして」
そいつはこっちをちらりと見ていった。
「人殺しの世界で初めて出会った最愛の人を亡くし世界に絶望しながら生きてるとかね」
「てめぇ…」
「ふふ、良い顔になったわね」
「知った風な口をきくなよ人外。お前に人間の気持ちなんか分かるわけないだろ…」
「そうね。これっぽちも分からないわ、人間の気持ちなんて。重要なのは私を楽しませられるかどうかよ」
ここからは逃げられそうにはないな。となると自殺か、こいつのことだどうせ俺が死んでも次の候補を探すだろう。
「だからー、もう死んでるんだってば―」
そういやそうだった。
「諦めなさいな。それに約束は守るわよ。美しく至福で慈愛に満ちた世界。行きたくない?」
「……」
「そこでなら彼女の最後に願った通り。あなたは優しい人間になれるかも…」
「だまれ」
「彼女の願いの通りに生きたくはない?」
「口を閉じろ」
「あの人の願いを叶えたくは…」
「うるさい!」
俺は叫ぶ。
「だまれ、だまれ、だまれ! そんな風に知ったような口であいつを語るな。お前のような人外が! あいつの願いを、俺に願ったことをお前が語るな! やったさ! 頑張ったさ!
あいつの願いを叶えようと、少しでも優しい人間になろうと。でも駄目なんだよ。無理なんだ。何かしようとしたところで俺が動けば死体が増える。一人助けたら十人、場合によってはもっと死ぬ。俺が歩いた後には死体の山が動く。」
だから免罪符をかざして生きてきた。
死んだように、生きて―
「大丈夫」
それは遮るようにして囁きかける。
「大丈夫、大丈夫。私は神様よ。何も心配いらない。君が私を楽しませてくれる限り、君は望んだ未来を手にできる。もちろんこれからも殺して救って君の手は血で汚れるでしょう。でもね、それで君が優しい人間ではないことにはならないんだよ」
それは囁く。
天使のように、神のように。
悪魔のように、神のように。
「君は彼女の願いを叶えられる。だから心配いらない。それにもう君は逃げられない。そのロケットに誓ったんだろう」
そうだ。俺は誓った。彼女の夢を叶えると。必ず叶えてみせると。
「なら―」
だから俺は―
「そう君は―」
神の手を取って異世界へとんだ。
いよいよスタートですね!