08.夜の篝火
森林地帯での戦い。ガイデルシュタインが飛び去った直後、すでにおれの肉体の変容は始まっていた。木漏れ日が容赦なく肉体を焼き始めたのだ。焼けるといっても臭気などはなかった。白い煙のようなものが肉体の表面から立ち昇り、まるで火に焼かれるように皮膚が爛れ溶けていく。それをおれは焼けていくと表現したし、ライアも同じ感想を抱いたらしい。
ライアはおれの状態を直視できなかった。それはあまりにも当然だ。おれと友好的なコミュニケーションを取れる思考回路を持つ生物が、そんなさまを良い気分で見ることができるとは考えづらい。
どうすれば良いのかがわからずにその場に立ち尽くしていたライアと対照的だったのがアッシュだった。
アッシュはおれの溶けていく肉体に迷いなく覆い被さった。薄く伸ばした体でおれの肉体を保護し、おれを曳いていまの鍾乳洞へとたどり着いたようだ。アッシュが隠れ家としていた位置から岩盤の隙間を縫い、半ば滑落するかたちでおれの肉体は鍾乳洞の奥へと運ばれた。
「バネさんの肉体をわたしで継ぎ足せば助かるかもしれない」
暗闇のなかでアッシュはそういったという。言葉だけではアッシュがどういう行動を取るのか、ライアにはまったくわからなかった。
「体を保護して、繋いで、けれど完全に同化してしまわないように……」
「どうなってるんですか? バネさんは大丈夫なんですか?」
なにも見えない暗闇にライアは呼びかけた。
「大丈夫。ふふ、むしろこっちの心配をしてほしいくらい」
「え?」
「回復だけを目的にするなら完全に一体化しちゃったほうがいいんだけど、そうするともとに戻れなくなるらしいからね。昔、人間とスライムが仲良くしてたころにこういう医療があったって聞きかじってたけど……ねぇ、ライア」
「はい! なにか手伝えますか?」
「違う違う。さっきの強い魔物のことを捜してほしいの。もし治ったとしてもまたバッタリ会ったりしちゃったらマズいし」
「な、なるほど。たしかにあの魔物、ぼくに気づいていなかったみたいですしね!」
気づいていなかったのか見知らぬフリをしていたのかはおれにはわからなかったが、とにかく、ライアはアッシュを信じてその場を離れた。どこかへと消えたガイデルシュタインを捜し、しかし見つからずに途方に暮れていたライアだったが、どこからかふたたび飛来したガイデルシュタインを偶然発見。目を覚ましたおれがガイデルシュタインと再会する事態を防げはしなかったが、一部始終はしっかりと見てくれていたようだ。
※
暗闇のなかを見通せないライアを入口の近くに待機させ、おれは鍾乳洞のなかへと潜った。死体に祈りを捧げてから、その衣服をいくらか頂戴する。全体を布で何重にも覆うが、こうやっても太陽光線から身を防ぎきれるわけではない。岩壁の遮蔽に身を隠し、おれは外にいるライアに呼びかけた。
「なんでしょうか」
「少し考えをまとめてた」
砂漠の熱射のなかを進む商人のような厚着だが、目的としてはそう遠くない。衣服をターバンとスカーフの代わりに使わせてもらっているが、目元を隠せない以上、昼の間はここから動けまい。
「体内の様子はわからないけど、もう外見はほとんどもとに戻ってる。アッシュに救われてるな……」
ライアの話は、おれが想像していたものとそう変わらなかった。アッシュはおれの肉体に入り込んで肉体の生成と縫合をおこなった。だが二度目、先ほどの一件ではそれでも修復が間に合わず、アッシュは完全に同化することでおれの肉体を守ってくれた。
言葉にすればこれだけだ。これだけでしかない。
しかし。
「まだ会って一日しか経ってねぇだろうが」
ライアには聞こえない、小さな独り言。
さっきまでは体の芯からあのスライムの声が聞こえてきたのに。会話もできたのに。
出会って、死ぬ直前まで付き合ってもらって、死ななかったあともなぜか一緒にいて、おれのせいで嫌な戦いに巻き込んで、おれを救って、消滅した?
震えるようにため息を吐く。
涙は出ない。悲しくはない。出会ったばかりの、しかも魔物がおれの命を身を呈して救ってくれただけだから。
ただただ、自分が情けなかった。
「これからどうするんですか?」
「……アッシュは、どうしてほしいんだと思う?」
おれの問いに、ライアはなにも答えなかった。これは意地悪な質問だ。
なぜおれのことをアッシュが助けてくれたのか。いや、きっと理由などないのだろうが、あえて合理的な理由を打ち立ててみるならば。
成人儀礼の話を、おれはふと思い出す。
たとえば、だ。アッシュがおれを救ったことがその儀礼を突破するための材料になるのなら、無理をしたのもわかる。もしそうなら、スライムの島とやらへ行ってみるのはどうだろうか。アッシュのおかげでおれの命が救われたことについて話すのだ。そのくらいはしてやってもいいのではないだろうか。
そこまで考えて、ふと、おれは思い出す。思い出して、自分の体を不定形にしようと試みる。
引き合う二つの石の話を思い出したのだ。アッシュが体内に持っていた黒の陽岩。アッシュがおれのなかにいるのなら、あの石もどこかにあるはず。
しかしその障害となるのが吸血鬼の力だ。太陽を浴びずに島までどうやって行けば良いのか。
「これからどうしましょうか?」
「……アッシュは……え?」
「え?」
「おれの話か?」
「はい」
洞窟の入口と光の通らない遮蔽の内。表情こそ見えないが、ライアのとぼけた声はおれを困惑させた。
「アッシュとどうやって再会するのかを考えてたんですよね?」
「それは……考えてたけど。完全に一体化してしまったからこそアッシュの声は聞こえなくなったんだろ。それをどうしろと」
「それは……その異能とかいうのでちょちょいと!」
「そこまで万能じゃねぇ」
ライアの冗談めいた話しぶりに、おれは少しだけ安堵した。感情の表しかたが素直なだけかもしれないが、ライアが悲しむ様子はどうにもおれを圧迫した。彼女がどう思っているかはともかくとして、おれが責められている気がしたのだ。
「とりあえず、夜まで待つか」
「夜まで待って、どうするんです?」
洞窟内に反響する、空腹を示すお腹の音。
「腹ごしらえだな」
「バネさん、いつもお腹空いてますね」
「まだ二度目だよ」
※
闇夜に光る、二つの赤い目。幾重にもまとった布の隙間から吐き出される冷たい息。
森のなかから周囲をうかがうおれを見てそう解説してくれたのはライアだが、完全に危険人物以外の何者でもなかった。
夜。月は雲に隠れてしまっており、あたりは一面の闇に包まれている。幸いおれは夜目が効くし、ライアも半透明の浮いた体ゆえに躓いたり踏み外したりといった事故は起きない。
彼女の案内で森林地帯を西へと進んで約半刻。おれは遠くに見える光に驚き、さらに驚いた。具体的には太陽光を思い出して体を震わせたあとに、森林のなかに光源があることにふたたび驚いたという具合だ。
近づいてみて、おれは三度驚いた。
「え、なんだここ」
「なにって、集落ですよ。人間の」
見ればわかるだろうといった様子でライアが肩をすくめた。
森林のなかに踏み鳴らされた道が現れたかと思うと、突如として森が拓け、平地集落が目の前に現れた。建物は見える範囲で八軒で、奥にもう少しありそうだ。いずれも木造建築で、高床式の建築物が二つある以外はおそらく居住宅のようだった。集落をおおよそ囲むかたちで篝火が立てられており、さらにいくつかの篝火の近くには柵が設置されている。生活領域をそれらで区切り表しているということだろうか。
さて、どうするべきか。
おれは篝火の近くに立つ男性を見つけて思案する。
「あそこに見張りがいる」
「どこですか? あ、本当ですね」
集落の周辺には木々や岩などの遮蔽物がない。おそらく外敵の接近を素早く発見できるためだろう。見張りらしき男性との距離はおそらく数百メートルで、それがそのまま集落との距離にもなっている。
おれはライアを連れてぐるりと集落の周囲を半周してから、改めてその見張りを示した。
「あの人に声をかけたほうがいいだろうな」
「わざと見つかるということですか?」
「おれたちは泥棒じゃない。堂々と行こうじゃないか」
「でもこんな夜にたった一人、しかもそんな格好でって怪しすぎません?」
おれは鼻を鳴らしてライアに礼を述べた。森林地帯側からの来客は怪しまれると思い逆側まで回ったのだが、そこばかり考えていて自身の格好についてを失念していた。
「抜けてたよ」
「どういたしまして」
「身を隠していてくれ。いま視えてしまうといろいろ厄介だ」
「わかりました」
おれは布をずらして顔を出し、旅人らしき服装に見えるように衣服を調整する。迷子のように見えるだろうか。
深呼吸して、おれは遠くから見張りに声をかけてみた。
「すいませーん。迷っちゃったんですけど」
「もっと感情を込めてください」
おれの演技にちゃちゃを入れる背後の声にムッとしながらも、おれは見張りと接触を果たした。
第一印象は――男性の引きつった表情を見る限り、あまり良さそうではなかった。
「だ、誰だ!」
「すいません、仲間とはぐれてしまって……」
「仲間ッ……? だ、誰か来てくれ!」
見張りは仲間を呼んだ。
まぁ、恐怖に支配されているよりは交渉もしやすいだろう。
そうおれは思ったのだが、駆けてきた二人の屈強な男性がなぜか大樽を抱えているのを見て、疑問符を浮かべた。
「こいつが外から!」
「魔物か?」
「わからねぇ!」
「いまはわからなくても、こいつですぐにわかる」
三人の会話に、おれは黙って耳を傾けていた。
「よっしゃ。おいお前! 人間なら冷たいだけだ。服の替えは用意するから我慢しろよ!」
駆けつけてきた男の片方がいった。
「それは?」
おれが問うと、男がニヤリと笑った。
「シスターお手製の聖水よ。異能を持つ相手にはとびきり熱い、魔物判別の秘密道具ってわけだ」
そういって笑う三人の男たち。
なるほど。おれは理解した。説明してくれてありがとう。
なるほど?
いや、それはまずい。
「おらよっと!」
掛け声とともに勢いよく投げられた樽の一つ目を、おれは間一髪で回避した。