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07.欠片ほどの勇気

 眼前にはガイデルシュタインと太陽。後方には爆発する蝙蝠たち。

 もっとも避けなければならないのは吸血鬼の治癒能力を根本から否定する太陽だ。答えは背後の蝙蝠の群れか、左右の絶壁か。ガイデルシュタインのような飛翔が吸血鬼の力に勘定されているかは怪しいところだ。なんせ目の前の元・吸血鬼が飛翔して崖の先側に周り込んだのだから。


 吸血鬼の治癒能力を信じるしかないのか。


 とにかく、蝙蝠か崖下かの二択だ。そう考え、ゆっくりと動く準備をしようとしたおれは、自分の足が思い通りに動かないことに気づいた。


 なんだ。


 ガイデルシュタインから伸びる黒い影が、おれの両足まで伸びている。


「影を縛った。もうその足は動かない」

「お前……!」


 対象の影に潜むことでその対象の動きを封じるのは古城の戦いで見たことがあったが、吸血鬼となったおれに影はないはずだ。

 締めつける痛みにおれは顔をしかめ、足元に改めて目を移す。影のように見えるそれは影の指だった。


「くそッ……!」


 力を込めても足は石膏で固められたようにビクともしない。吸血鬼時代のガイデルシュタインは瓜二つの分身を創りその影に潜んでいたが、いまは逆。影に分身が潜み、おれに襲いかかったというわけだ。


 しかし、原理がわかったからといって動けないことに変わりはない。


 なすすべなく、最期の(とき)が、ふたたび近づいてくる。


 水平線上に太陽が姿を現した。


 わかりやすくたとえるならば、火だ。

 単純明快。皮膚が火で焼けていく感触。体の外側から蝕まれる感覚。どろどろに肉が落ちていくさまが、見ずともわかる。


 おれは顔を覆い、絶叫した。力いっぱいに服という服を引っ張り、陽光を浴びないようにし、それでも太陽の光は容赦なく、のたうち回るおれを焼いていく。


 おれ自身の絶叫のなかに聞こえる、ガイデルシュタインの高笑い。しかしおれはそのなかに、もう一つの声を聞いた。


「大丈夫!」


 どこからの声だ。なにが大丈夫だ。


「わたしが守るから!」

「誰だ……?」


 無意識に問う。


「なんだその体は!」


 声を荒げたガイデルシュタインに、おれはハッとした。おれは地面をのたうち回っていた。つまり、おれの足を掴んでいた影の指から解放されている。体はドロドロに溶けていた。いや、たしかに溶けている。溶けていながら、その肉体を維持している。

 これはまるで――。


「スライムの肉体!」


 たとえるなら、底なし沼から命からがら這い出してきた人間だ。もっとも全身にまとわりついているのは泥ではなくもっと青く透明な代物で、さしずめスライムの人間態といったところか。しかし、おれは意識を保っている。全身に痛みは走り続けているが、溶けた部位がそのままその下の肉体を保護してくれているのか、先ほどまでの死を意識させるそれではなくなっている。


 そしてそれ以上に驚くべき光景が、おれの目の前に広がっていた。


「ァあああアあああアああああああアア痛いィいィ!」


 ガイデルシュタインが両の手で体を抱き締め、いまにも眼球が零れんばかりに目を剥いて叫んでいた。

 おれのように外からくる痛みではない。肉を圧迫し、骨を折りそうなほどに力を込めているガイデルシュタインは、次の瞬間には体中を掻きむしり始めた。


()になにをしたあああぁあアア!」


 振り絞ったその声に呼応するように、おれの背後から蝙蝠たちが舞った。おれはその好機を逃すまいと後退しようとしたが、それよりも早くガイデルシュタインのもとに集った蝙蝠たちが一斉に爆発した。


 耳をつんざく爆音と押し寄せる爆風。おれを衝撃と血の破片から守ってくれたのは、またしても不定形状に溶けた肉体そのものだった。


 おれはこの場から逃げるよりも目の前のガイデルシュタインがどうなったのかを知るほうが重要だと考えた。

 耳はまだキーンとなっているが、それでも爆発の跡から絶叫は変わらずに聞こえていた。現れたのは、ボロボロの元・吸血鬼。しかし現・不死身の肉体にはやはり傷は――。


「なんだあれ」


 おれは呆けた声を出した。おれは見た。見てしまった。


 ガイデルシュタインの体に、光る亀裂がいくつも入っている。


 その瞬間、おれは理解し、そして叫んだ。


「匣に封じられた災厄!」


 ガイデルシュタインは飛んだ。太陽に向かっていくように外套をなびかせ、崖の先へと飛んだ。

 おれはすぐにそれを追いかけたかった。しかし自身の肉体も決して無事ではない。限界だ。ガイデルシュタインの顛末を見るのはたしかに重要かもしれなかったが、それでも命には代えられない。すぐに陽光の射さない場へと逃げる必要があった。


「崖から飛び降りてください!」


 おそらく、ライアの声だった。

 崖の左右は深い森林地帯だが、程度が推測できないほど、ここは相当に高かった。下まで二十メートル、いや三十メートルはあるのだろうか。


 痛みで回らない頭をいっぱいに働かせ、これが最善かどうかを考える。本当にこれでいいのか?


「ライアとわたしを信じて!」


 結局最後に信じたのはおれの勘ではなくそのどこからともなく聞こえるアッシュの声だった。自分の経験よりも見知ったばかりの彼女たちをなぜ信頼したのだろうか。その一つの答えは、アッシュの声にあるらしかった。

 空中で気を失う直前、おれはアッシュの声の出処がどこなのかを掴んだ気がした。


 アッシュの声、おれの内から響いていないか?



 落下の衝撃で失神から回復したおれは、そこが落下目標地点の森林地帯であることと、体が無事であることを確認した。肉体全体、つまり頭頂から足先にいたる表面のすべてが不定形のゲルで覆われ、その内に包まれた肉体全体を上手く保護していた。


 おれは倒れていた自身の上体を起こし、上へ目を移した。木々の枝葉が緩衝材になったとはいえ、さらに体がこんな状態とはいえ、よくも命が繋がっているものだ。


 しかし依然として安心はできない。この森は決してまったく陽光の届かない地ではない。体を覆う服か完全な日陰を見つけなければ、またあの痛みを味わうことになるだろう。


 さて。


 おれはそこでとある事実に気づいた。気づいて、完全に意気消沈してしまった。もちろんここで動かなければ死ぬのだが、問題はその動きかただった。


 おれの両脚は、すっかり溶けてしまっていたのだ。


 謎のスライム化によるものではない。おそらくこれは太陽を浴びたせいだ。青く半透明のゲルがその脚を保護しているためになんとか見られるものになっているが、そうでなければグロテスクこの上ない光景だろう。太もものあたりにはまだ皮膚も残っているが、そこから下るにつれて皮膚が、骨が露出し、足先にいたってはブーツがゲルのなかで浮いているだけだ。


 おれが極度の興奮状態であること、緊張状態で働く異能を持っていること、吸血鬼状態になっていること。それらが重なってどうにか生きているのか。幸運にもほどがある。


 這って移動するしかない。おれはボロボロの腕――こちらも損傷が激しいが、同様にゲルで保護されている――を動かし、森を這い進むことにした。


「アッシュに体の動かしかたも聞いておくべきだったな……」


 あのスライムは水たまり状態では地を素早く這い、丸状態ではぴょんぴょんと跳ねていた。スライムの体の使い方を聞いていれば、いくらかは参考になっただろうが。


「教えてあげてもいいけど、参考にはならないと思うな」

「アッシュ、これはどういう……」


 アッシュの声におれはそういいかけ、違和感に気づいて口をつぐんだ。アッシュの声はごく近くから聞こえてきて、おれはそれを近くの物陰だと勝手に思い込んで話を進めようとしたのだが。

 アッシュの声は、おれの肉体そのものから聞こえてきている。自分の足を指さして問うてみよう。


「これ、もしかしてアッシュそのものなのか?」

「やっと気づいたか」


 ふふんと得意げに鼻を鳴らしたアッシュに、おれはため息を吐いてから続けて問う。


「もっと早くにこうやって話がしたかったな」

「いやぁ、それにはいろいろありまして」

「おれが気絶してからなにがあったんだ」

「いろいろありまして」

「おい」

「バネさん!」


 頭上からの聞き覚えのある声に見上げてみれば、それは予想通りライアだった。予想通りでなかったのはこちらに向かってくるスピードで、彼女が透明でなければ間違いなく正面衝突の大事故だっただろう。


 おれの体に半ば重なったようにして地面へ着地したライアは、相変わらずの近すぎる距離間でおれの瞳を覗き込み、安堵のため息を吐いた。


「生きてて良かったです……」

「ファントムって、地面はすり抜けないんだな」


 透明のライアと重なり合わないようにおれは移動した。なんとなく居心地が悪かったからだ。


「そういえばそうですね……じゃなくて! アッシュ! ここじゃまずいと思います!」

「いわれなくってもわかってるってば。ほら、さっさと移動しましょ」



 ライアが導いてくれたのは、おれが目を覚ました鍾乳洞だった。入口は西向きで、いまの時間帯ならば奥まで入らずとも陽光を遮断できるだろう。


 スライムとしての移動方法は学べなかったが、歩く術はアッシュに教えてもらった。不定形に近いゲル状の表皮は、おれの意思によってその硬度を変化させることができるものであるらしい。もっともおれ自身に硬度変化の感覚などは備わっていなかったから、アッシュの助けを借りての行為である。


 洞窟内部の陰まで到達したおれはその場に倒れた。ライアはその様子に狼狽していたが赦してほしい。体の痛みは増すばかりで、ここまで歩いてくるのもやっとの思いだったのだから。


 洞窟の外は明るいが、その間接的な明るささえおれには苦痛だった。だからおれは遮蔽になっているところまで這って進んだ。ほとんど光はないが、吸血鬼の目があれば不自由はない。


「どうにかならないんですか?」


 苦痛に顔を歪めるおれの姿を見たらしいライアが、おそらくアッシュに問うた。


「なる。なるといえばなるけど……」


 アッシュの声は妙にか弱かった。


「なんだ。なるのなら早くなんとかしてほしいものだが?」


 おれの声は腹の底から振り絞ったものだが、アッシュの声量と大差はない。体の感覚がほとんどないにも関わらず体じゅうが痛むという謎のありさまで、正直にいっておれは限界だった。この数日で何度こんな気持ちを味わったかを数えてみる余裕はすでにないが、存在しないはずの膝先まで痛み出したのはさすがに参った。


「またいいアイデアが思い浮かんだんですか?」


 ライアがいう。また、とはなんだろうか。


「うん、まかせて」

「今度も大丈夫なんですか?」


 アッシュからの返事はない。今度も、とは。


「どうした……? いっちゃ悪いが、そろそろ心身ともに厳しいぜ」


 だがそれ以上は頭が回らない。洞窟に響くのはおれの声だけだった。おれに続く言葉はなかった。アッシュもライアもなにもいわない。答えない。


「うん、わかった」


 アッシュの返事は、その沈黙からいくらか経ってからだった。


「できなかったらごめんね、バネさん。でも、できたら褒めてほしいな」

「褒めるさ。助かったあとならなんでもいうことを聞いてやる」

「……ありがと」


 ふたたび、静寂。


「『欠片ほどの勇気』か」


 アッシュが呟いた、どこかで聞いた言葉。


 次の瞬間、まるで体じゅうの神経すべてを一気に逆撫でされたような痛覚がおれに押し寄せた。


 叫ぶ間もなく意識が途切れたと感じたが、瞬間的におれは気を取り戻し、その感覚に思わず肺の空気をすべて吐き出したような声を上げた。だが、それだけだ。体になにも変化はなく、それ以上なにも感じなかった。


 なにも感じなかった?


「バネさん、大丈夫ですか?」


 おそるおそるライアが問うてきた。


「……大丈夫らしい」


 突如としておれの感覚を支配していたあらゆる痛みが消えた。そして驚くことに五体が復活(・・)していた。溶け落ちた脚も、削ぎ落とされていた皮膚も、もとのかたちへと戻っている。


 いや、よく見れば違う。


 先ほどまでと同じように、欠けていた部分の肉体はスライムの肉体で補われている。しかし硬度は十分で、見た目は義肢にも見える。さらにそのスライム体の部分と吸血鬼の自然治癒力によって復活しつつあった己の肉体が噛み合い始めていた。


「すごいな……体が完全に治りきるまでは、アッシュがおれの隙間(・・)を埋めてくれるってわけだ」


 おれはアッシュに呼びかけたが、そこでふと、疑問が生じた。


「たしかに助かるけど、おれの体が完全に治ったあとにどうやって分離するんだ?」


 アッシュの返事はない。

 困惑は深まるばかりだ。おれはとりあえず返事を待とうとなんとなくライアのほうを見て、

 彼女の頬を伝う涙で、すべてを察した。


 察してしまった。


「ライア」


 おれが呼びかけたのがきっかけだったのか、突然ライアは声を上げて泣き出してしまった。子どものように泣きじゃくる彼女の高ぶりが収まるまで、おれは待つことにした。


 なにもわからない。なにもわからないのに、いまの状況は、それを把握するには十分すぎた。しかし一縷の望みにかけて、おれは顔を覆ってその場に屈み込んだライアに問うてみる。


「また、とか、今度も、とか。たぶん、おれがガイデルシュタインとの戦いで気絶したときの話だろ。おれが気絶している間になにがあったのか、聞かせてほしい。頼む」


 おれはガイデルシュタインによってこの鍾乳洞に運ばれたわけではない。ならば運んだのはアッシュだろう。そしてここまで運んできたのにはそれなりの理由があったはずだ。


 あの戦いを思い出す。ガイデルシュタインとの戦いの際、あの一面には陽射しがあった。そしてその場でおれは陽光に溶ける吸血鬼となった。


 そう考えていくと、一筋の道が思い浮かぶ。


「大丈夫……ちゃんと話すね」


 涙を拭ったライアが、鼻をすすりながら話し始めた。

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