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05.凍血の主

 カナンが率いる勇者御一行がはじめて相まみえることになった魔王軍八傑は、ラスフェンの古城に居を構えていた吸血鬼だった。彼は自身が持つ異能を用いて多くの民を眷属として支配下に置いていた。被害の拡大を防ぐため、周辺諸国は迅速な撃破を勇者に求めていた。

 吸血鬼とは、文字通りの血を吸う鬼である。ガイデルシュタイン、かつての城主と同じ名を名乗った魔物は、本来吸血鬼の弱点とされる陽光や銀に耐性を持ち、血を分け与えることであらゆる生物を眷属とする異能を持って、おれたちの前に立ちふさがった。


 撃破には少なくない犠牲を払うことになった。撃破、というのはつまり、討伐を果たせなかったという意味である。現れた総勢二十のガイデルシュタインはすべて血の霧とブユとして拡散した。その影武者を乗り越え、ついに本人と対面を果たし、その血を流させることに成功こそしたものの、命を絶つことはできなかった。結局重傷を負ったはずの吸血鬼の捜索は後方支援組と任務を依頼した諸国に任せることになった。ひとまずの脅威は去ったと考えたおれたちは古城を破壊、さらに眷属として城内に巣食っていた魔物たちを討伐、捕獲した時点で事態の終息宣言を発し、活動を打ち切ったのだった。



 おれの前に立つガイデルシュタインは髪をかき上げ、赤い瞳をこちらに向けた。アッシュはそれよりも先に素早くおれの背を伝って足元の茂みへと姿を隠した。ライアも吸血鬼から姿が見えるかどうかはともかくとして、近くにあった樹木の陰へと場所を移しているようだ。おそらく懸命な判断だろう。


「百九十六日ぶりである。息災でなによりだ」

「そっちこそ、もう傷は癒えたみたいだな」


 極力焦りを表に出さないようには努めているが、さてどうだろうか。


 ガイデルシュタインは目を細め、首のジャボを緩めて首の一文字傷を見せてきた。


(きず)は癒えても心は癒えぬ。金髪の王子はいずこか」

「カナンはここにはいない」

「そうか。残念だ」


 おれは眉をひそめた。文脈とその口ぶりからして、おそらくガイデルシュタインはおれがいま単独行動であることを知っている。

 これは相当に危険かもしれない。


 ガイデルシュタインは、森を見回して小さく息を吐いた。


「美しい場所だと思わんか」


 一対一で勝ち目があるかどうかはわからない。古代の呪いがしっかりと作用したとしても、こちらが八傑レベルの魔物を倒せるかどうかは別問題だ。


「ここには不可思議な気配を感じる。療養に相応しい場を探していたが、まさかかような楽園(・・)があるとは。そして幸運にも見知った顔にこの果ての地で会えるとは。まったくこの世は面白い」

「楽しそうでなによりだ」

「ああ。だがいまは楽しさ以上に驚愕しているところだ」

「なに?」

「その異能、どこで手に入れた?」


 おれは表情を一切変えず、身じろぎもしなかった。

 だがその内は非常に不味い。心臓の高鳴りはいつこの鋭敏な吸血鬼にバレてもおかしくない。背に広がる冷や汗もまた然りだ。


「そう焦るな。少しばかり観察させてもらっていた。見事だったぞ、先ほどの一戦は」

「趣味が悪いな。一声かけてくれれば特等席を用意してやったのに」

「その軽口は砂の魔術師の真似事か? まぁいい。どこで狩った異能かは問うまい。率直にいおうか。その偉大なる異能は、人間には過ぎたものだ」


 突然、ガイデルシュタインが外套を舞い上げ、姿を消した。おれが瞬きする間に、彼の肉体は血の色をした煙に文字通り霧散してしまったのだ。

 しかしその気配は消えてはいない。近くにいる。


 おれは周囲を警戒しながら、ゆっくりとナイフを抜いた。


不死血鬼(ノスフェラトゥ)……知らぬわけはあるまい。神話時代に闇を支配した伝説の吸血鬼の存在を。首を撥ね、腹を裂き、杭を打って地の底に縛り、しかしそれでも人間が抑えることのできなかった究極の祖を」


 どこからともなく響くその声に、ようやくおれは彼の狙いに気づき、そして息を呑んだ。


「おれのこの力は異能じゃないし、ましてや不死血鬼のものでもない」


 そうおれがいい終わる前に、おれの首は宙に浮いていた。なんらかの手段で、たとえば血の霧が刃に変わったか、爪で裂かれたか。なんにせよおれはそこで死に、しかし、まだ生きていた。


 首が撥ねられた感覚はあった。痛みらしき熱も首に帯びた。視界が地に足のついた肉体を離れた。だが、瞬きよりも短い間にその首はなにごともなかったかのように繋がっていて、無事を保っている。


「ほう。これはこれは……驚嘆した」


 やるしかない。

 おれは周囲に滞留する血の霧を目でたどり、ガイデルシュタインの本体を探る。しかしいま、おれの武器はここに持ってきた大型のサバイバルナイフとブーツに収めた小刀のみだ。姿を捉えても、一撃を当てることはできない。


 いや。

 一つ、思いつく。


 おれはその場を逃げるように走り出した。一人ではない。足元のアッシュを掴み、ともに逃げる。目的地があるわけではなく、単なる時間稼ぎだ。


「アッシュ、その体、水なら吸収できるか?」

「痛い痛い! そんなに強く掴まないで!」


 おれの手を溶けて逃げたアッシュが、腕を伝っておれの首元まで到達した。不快感は、いまは我慢だ。


「どういうこと?」

「あの吸血鬼の霧を固定できるかって話だ!」

「どういうこと! って、後ろ後ろ!」


 一瞬の判断。おれはすぐさま振り向き、茂みを分けて飛びかかってきたメタルクローに上段の回し蹴りを合わせた。大量の血飛沫とともに吹き飛んだメタルクローに、アッシュは悲鳴を上げた。


「蹴った! いま蹴ったよね!」

「正当防衛だ!」

「だからってあんな、血が噴き出るような……おえっ」

「吐くな! あれはもう死んでるようなもんだ! 眷属化してる!」


 あれは先ほどこちらをうかがっていたメタルクローだ。やはりすでに眷属化していたらしい。

 段差になっている見えにくい岩や木の根を飛び越えながら、おれは背中を伝う生暖かい液体に顔をしかめた。それがなにかを気にしている余裕はない。いまは、我慢だ。


 また自分にいい聞かせた。アッシュはといえば、走っているおれ以上に荒い息だ。マフラー状態で表情は溶けているが、いまの感情は容易に読み取れる。


「その体でなら、吸血鬼の霧の体を捕まえられるはずだ。頼む、協力してくれ」

「無理無理無理無理! だってあの魔物、明らかにわたしなんかとは格が違うもん!」

「頼んだぞ!」


 深く物ごとを考える余裕はなかった。おれは首からアッシュを引き剥がし、宙へと放った。まったくの策無き投擲ではない。しかしおれの背後に迫っていた気配からして、時間はもうなかったのだ。ぶっつけ本番でやってみるしかなかった。


 迫る血の霧に、投げたアッシュの肉体が吸い込まれる。


 アッシュの薄く広がった体の一部が赤く染まったのを見て、おれは集中を強めた。狙いは成功だ。

 ブユの集合体や血の霧状態の吸血鬼はそのすべてが本体であるが、完全な肉体を取り戻すためにはもとの体に戻る必要がある。

 簡単に説明すると、たとえば血の霧となっている吸血鬼はその霧の一部さえ自由ならば、そこを核としてもとの肉体を取り戻すことができる。逃げるトカゲが尻尾を切り離すように、不要な部分を自分ではないただの霧にしてしまえるのだ。いまの状況ならばアッシュの体と融合してしまった血の霧の部分を切り離し、まだ自由な部分を核として再生するといったところか。


 吸血鬼はこの方法を用いて体に回った毒や傷をなかったことにできる。しかし切り離した部分を再生するまでにはラグがあり、その間はふたたび霧やブユの肉体となることはできない。ガイデルシュタインの首に残る傷は、そうして生まれた隙に叩き込んだ一撃の跡なのだ。


 ナイフを構え、一気に接近する。


 ラスフェンの古城における戦いの際に判明した事実が二つある。ガイデルシュタインの弱点だ。

 一つは陽光。耐性があるとはいえ、銀のように効かないわけではない。古くからの伝承通りに動きは鈍り、異能も引き出せなくなる。

 そしてもう一つは――。


 おれの目の前に形成されたガイデルシュタインの肉体は、右腕が欠けていた。おそらくそこがアッシュに吸収された霧の部位だ。そして右腕が再生するまで、彼は力を行使できない。そして彼はおれが弱点を知っていることをまだ知らない。

 だからこそ、突進したおれのナイフは空を切った。ガイデルシュタインはナイフを受け止めずに体をひらりと横に動かして回避したのだ。


 受け流され、背後を取られたかたちになったおれは、しかしその弱点への一撃を放つ好機を逃さなかった。


 木漏れ日に照らされ、わずかにそのかたちを現したガイデルシュタインの()


 おれはそこに、ナイフを思い切り突き立てた。


「これでっ……!」


 突き立てたはずだった。


 影から伸びた黒い手が、ナイフを受け止めていた。

 その影の沼から、漆黒をまとった魔物が姿を現す。姿かたちは、影の主であるガイデルシュタインとまったく同じだった。


「よくぞ本体を見破った」

「吸血鬼に影はできない。そうだろ?」

「古典を学んだか。称賛に値する」


 ナイフが動かない。それどころか、ナイフから手を離すことすらできない。おれの右手の感覚が、ガイデルシュタインに支配されているようだった。

 おれはナイフごと持ち上げられ、投げ飛ばされた。背から近くの木に叩きつけられ、数秒呼吸が困難になる。過呼吸気味に何度も息を吸っては吐きを繰り返し、ようやく周囲に気を配る余裕を取り戻したとき、戦っていたガイデルシュタインも影に隠れていたガイデルシュタインも、ともにもといた場所から姿を消していた。


 おれはハッとして、木に背を預けるように立って死角を無くそうとした。しかし、考えが甘すぎた。

 ドンと背中を押される衝撃が走った。おれは目線を落とし、それを確認し、叫んだ。

 木の背後から伸びた血の刃が、その木を貫通しておれを貫いていた。


「なかったことになるのならば、貫いたままにしておかなければなるまい」


 おれの右横に立ったガイデルシュタインがいった。


「ゆえにその痛みを呪うならば己が不死を呪いたまえ」

「痛く……ねえよ!」


 おれは勢いをつけてその刃から逃げ出そうとしたが、腹部から突き出た部分の刃が変容し、鈍く太い返し(・・)が形成された。釣り針や(やじり)のように鋭い返しならば裂かれながらも逃げ出せようが、切っ先が板のようになっては刃そのものを折らない限りは逃れられそうにない。


 強がっては見たがそれはすぐに刃から離れ、傷が癒えるという前提だったからこそ。おれは激痛に顔をしかめた。


「あのスライムは仲間か?」


 ガイデルシュタインが甘くささやく。そうだ、アッシュは?


 おれは周囲を見回したが、痛みで集中できない上に森という立地もあってすぐには発見できそうになかった。

 しかし、それは好都合だ。


「脅して強引に協力させただけだ。誰が魔物と協力すると?」

「なるほど一理ある。まさか仲間を売りはしまい」

「なに?」


 ガイデルシュタインは突然おれの顎に左手を添えると、次の瞬間、手首のスナップで思い切りおれの首を捻り折った。激痛は一瞬で、首はすぐにもとに戻る。


「素晴らしい力だ」

「そうか? でも吸血鬼なのに陽光が平気な体を持ってるんだ。それ以上は贅沢だろ」


 精一杯の強がり。ガイデルシュタインは鼻を鳴らした。おれとともに貫かれた木は葉の密度があまりなく、またほかよりも強く陽光が射している。であるにも関わらずまったく平気そうな顔をしているこの吸血鬼は、おれたちに一度敗れたとはいえ八傑の名に相応しい力を持っているといっていいだろう。


「太陽そのものを目指せるほどの肉体を欲さぬ手はあるまい。そういえば、名前を問うてなかったな」


 ガイデルシュタインがいった。答える義理はないが、おれは平静を装うために変わらぬ調子で答えることにした。


「……バネッダ・ハウクだ」

「よろしい。これからを生きるバネッダ・ハウクに助言を授けよう」


 そういうと、ガイデルシュタインはおれの髪を握り力強く引き上げた。勢いで首は折れなかったが、彼の狙いはそれではなかった。

 露わになったおれの右首に、ガイデルシュタインは思い切り噛みついた。


 瞬間。


 酩酊のような、あるいは気絶する寸前のような。自身の感覚がふわりと宙へと浮き、視界に火花が走り、息ができなくなる。

 喉の奥か、耳の奥か、眼窩か脳か。決して自身では届かない体の奥底にかゆみのような、痛みのようななにかが走り、時間の感覚がなくなり、そうしているうちにおれは地面へとうつ伏せに倒れ込んだ。


 朦朧とした意識のなかで、ガイデルシュタインの声だけがいやにはっきりと聞こえてきた。


「知っているだろう。吸血鬼本来の力は血を凍らせ、格が下の眷属を従わせることのみ。拡がり散る霧の肉体も分けた身を操る力も、そして影に潜む力も、本来の吸血鬼は持たぬ。忘れるな。陽光に当たればその身は溶け、銀で穿たれればその身は朽ちる。感謝するぞ」


 なにをいっているんだ。


 理解できないまま、おれの意識は完全に途切れた。

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