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03.怖いから

 アッシュとライアは、おれが腰から引き抜いたナイフにギョッとした目を向けた。

 おれは左の逆手で抜いたナイフをそのまま腹に突きつけ、直前で少し思い直して右手の手首を斬り上げた。スナップを効かせた一振りは着ていた服を裂き、火傷したような痛みとともに刃に掬われた血が跳ねた。


 だが、それだけだ。痛みはすでに過去のものであり、傷は跡すらなく塞がっている。おれは地面に落ちた血を確認してから、背後で絶叫している二体にじとりとした目を向けた。


「うるさいんだけど」

「いやいやいやいや! 突然なにしてるの!」

「さすがに腹はもしものときに危ない気がしたからな。手首の浅い位置にしといた」


 アッシュが騒ぎ続ける一方で、ライアはこれでもかといわんばかりにおれの手首をあらゆる角度で凝視していた。


「傷が……ない?」

「これが不死の呪い。口では説明してたけど、見せるのは初めてだったっけ」


 おれはナイフに結んでいた布を外し、刃の血と脂を拭った。


「よくわからないが、どうやらおれはまだ死なないらしい。どうした?」

「どうしたもこうしたもないよ!」


 わなわなと震えるアッシュは形状を保てなかったらしく、話している途中にぐちゃりと地面の上へ溶けてしまった。


「いきなりそんな……びっくりさせて楽しいの?」


 おそろしく強い語気。おれは軽く謝罪しながら、アッシュとライアに笑いかけた。


「まぁ、とりあえず残念だったな」

「なにがです?」

「おれを喰えなくなった」


 ライアはそれにブンブンと首を振った。


「食べませんってば!」


 その返答に笑みを返しつつ、おれは背後の崖側に残る二体に手を掲げた。


「じゃあな。短い間だったけど、とても感謝してる」

「バネさん!」


 ライアの声。おれはそのままかっこよく立ち去るつもりだったのだが、サイレンのように盛大に鳴り響いたお腹の音にため息を吐き、ゆっくりと振り返った。


「……なにか食べ物が欲しいんだけど」


 おれもアッシュもライアも、揃って苦笑を浮かべた。死の恐怖で忘れていた空腹感が、にわかにおれを攻めてきていた。



 おれが命名した『光の崖』から徒歩で十分ほど。おれが上陸した東側、つまり崖の下の海岸線とそこに続く小さな森ではなく、崖の西側に広がる大きな規模の森林地帯。陽光を遮る木々のなか、道でない道をおれは進んでいた。正確には、おれと、おれの先を這い進むアッシュと、おれの右肩のあたりを浮いているライアである。森のなかはひんやりとしていて、これならば長時間歩いても疲労感は溜まりづらいだろう。ここに限らず、光の谷はその全体が人間にとって過ごしやすい環境であるようだった。

 おれが拾い上げたリンゴのような果実を、腕のかたちになったアッシュがペシリと払った。


「なんだ?」

「毒だよ」

「毒か」

「感謝は?」

「ああ……ありがとう」


 そんな会話を交わしたおれとアッシュの間に、ライアが割って入ってきた。このファントム、基本的に距離が近い。


「さっきのを見る限り、不死って要するに無敵ってことですよね?」

「そういう気はする」

「毒ってどうなるんでしょうか?」


 たしかに。体内で浄化されてしまうのか、それともどれだけ体が蝕まれても死には至らないという感じなのか。

 後者ならば恐ろしい。試す気にはあまりなれなかった。


 と。

 それよりもだ。

 おれは周囲を見回してから、腕アッシュに視線を戻す。


「アッシュに一つ質問なんだけど」

「なに?」

「スライムって、死ぬのか?」

「ええ……そりゃ死ぬに決まってるじゃない」


 なにを当たり前のことを。そういう口調のアッシュに、おれはふむと考え込む。


「どうしたの?」

「いや、死ぬんなら、なるべく危ないことは避けたいなって思ってさ」


 おれはそういってなにも見えない(・・・・・・・)森の奥に目を向けた。生い茂る葉に絡み合う蔦の数々で視界は開けていない。足元に生える草木は、奥だけでなく一歩先の地形すらも不明瞭なものにしている。


「もしかして、なにかいる?」

「四足歩行の魔物だな。こっちをうかがってる。人間が珍しいのかもしれない」


 おれがいうと、地面から伸びる腕のかたちのまま、アッシュはライアとなにかを話し始めた。耳を澄ませば聞こえるだろうが、注意はできれば遠くの魔物のほうへと向けておきたかった。


「たぶんですけど、鉄爪獣(メタルクロー)だと思います」

「めたるくろー……とは」


 おれが問うと、アッシュは突如としておれの首から頭部にかけて薄くまとわりついた。そのなんともいえない感覚に、おれは顔を思い切りしかめた。


「なにしてやがる」

「こうやればひそひそ話できるでしょ」

「耳に息をかけるな!」

「静かに!」


 スライムの膜のような肉体で不愉快に口を塞がれたあと、アッシュはおれの耳元でささやくように言葉を続けた。


「メタルクローはこの周辺の魔物のなかでも最上級の強さなの。人間のほとんどがこの楽園(・・)に近寄ってこれないのは、彼らがここを守ってるから」

「んぐ……知ってるだろ。おれは死なん」


 口を塞ぐ部位をずらしたおれが、マフラーのように首に巻きついたままのアッシュにいった。マフラーアッシュは呆れたようにため息を吐いた。生暖かい吐息を首にかけるな。せめて外を向け。


「ねぇ、ちゃんと聞いてた? ここを人間から守ってくれてるんだよ? 心配してるのはバネさんじゃなくてメタルクローのほう」

「なるほど」

「それにわたしたち、人間に与してるとわかっちゃうとここじゃもう暮らしてけなくなるし」

「アッシュはもともと外部の魔物なんだろ? 故郷に帰れよ」

「それは……無理!」


 そのいいかたからアッシュの身になにかしらがあったことはわかったが、とにかく、いまはそれどころではない。


「それで、どうすればいいんだ」

「逃げよう」

「どこに?」


 おれはそういって眉を上げた。


「無理だぞ」

「え?」


 続けていったおれの言葉に、アッシュが間抜けな声を上げた。


「おれの仲間だと勘違いされたくなかったらっていおうと思ったんだけど、もう遅かったな」

「ねぇ、どうしたの?」


 アッシュが訊ねるのと、太い幹たちの隙間から獣が飛び出してくるのがほぼ同時。喉笛を噛み切ろうと迫ってくる魔物は四足歩行で、ネコや虎のような顔をしていた。


 突進の急襲を回避して体勢を崩したおれは、しかし転倒することなく立ち直って後ろに跳んでいった魔物を見る。前足に見える鉄の鉤爪に、おれは思わずほうと感心した。


「なるほど、メタルクローか」


 大型のサバイバルナイフを抜き、右の順手で胸の近くに刃を構える。


「話し合いで解決する気は?」


 呼びかけてみたが返事はない。


「メタルクローは話せる魔物じゃないですよ!」


 ライアのウィスパーでの叫び声に呼応するように、一度避けたメタルクローがふたたび突進してきた。

 だが今度は避けるばかりではない。おれはその突進に合わせ、メタルクローの迫る顔を肘打ちで横に殴り吹き飛ばした。


「いやああ! もうやめよ! 逃げよう! 痛いの無理っ!」

「うるッせぇ!」

「バネさん、後ろです!」


 首元で叫んだアッシュにおれもほぼ反射で叫び返す。さらにそれよりも大きな声で、おれの頭上へと移動していたライアが叫んだ。

 背後から飛びかかるメタルクローに対して、おれは体を捻って宙へと逃げた。通り過ぎて無防備なメタルクローの腰を、おれはナイフでなぞるように斬り裂いた。


「うわっ、ほら血! 血が出てる!」

「おれの血じゃねぇから騒ぐな!」


 受け身を取って跳ねるように立ち上がったおれの側に、遠くから重く低い声が轟いた。


「お前たちは引け!」


 その声に、まだ近くに潜んでいたらしいメタルクローたちが数匹、足元の草木を擦る大きな音とともに森の向こう側へと駆けていく。


「誰の血でも関係ないよ! あ、危ないからもう逃げよう! あっちもちょうど逃げたみたいだし!」

「ちょっと離れてろ!」

「うわっ!」


 金切り声を上げるアッシュを力任せに引き剥がし、地面に叩きつける。おれの肉体に貼りついているよりは安全だろうという判断だが、もちろん説明する暇はなかった。


 先ほどよりも素早く大きなメタルクローの気配。それは一瞬にして距離を詰め、おれのもとまで一瞬にして迫ってきていた。足元を疾走するのではなく、まるで鳥や類人猿のように木々を伝ってきたその巨体が、覆い被さるように頭上へと姿を現す。


 首から肩にかけて牙が突き刺さり、激痛が走る。だがそれも一瞬。これは不死の呪いによる力ではなく、戦闘の緊張にともなったおれの異能(・・)の発露による結果だ。

 おれを押し倒したメタルクローはおれの胴とナイフを持つ右腕を鉄の爪で抑え、首元を強く牙で圧迫して窒息させようとしてきた。爪に構わず右腕を振り上げた結果、腕には大きく裂傷が走ったが、激痛は|異能でカバーし、傷は不死の呪いによって瞬く間に回復する。


「なにッ!」


 おれの首を噛み圧えたメタルクローの声は、先ほど響いた重く低い声と同じ。ならばこいつが頭領か。

 ナイフで手当たり次第に何度もメタルクローを突き刺す。それでも怯む様子はなかったが、あっという間に治癒していくさまを目の当たりにしたメタルクローは目を見開き、ようやく体から飛び退いてくれた。捨て台詞などはなく、彼もまた他のメタルクローと同じ方向へと逃げていった。



 異能とは、生物に備わる多種多様な能力を指す。異能の最大の特徴は『人間には顕現しない』という点であり、人間以外のすべての生物になにかしらの異能が備わっていることから、逆説的に異能を持たない生物を人間とするという区分もあるらしい。

 しかし、だ。

 おれの体には、異能が一つ備わっている。『肉体や精神がおれの緊張状態に比例してその能力を増す』異能は、戦闘時に大きな力を発揮する。またその能力上昇は戦闘を避ける、または戦闘から逃走するときに顕著に働くという特徴もある。


 なんにせよ、人間に異能が備わっているという話は、アッシュを大いに驚かせたらしい。


「人類の進化ってやつ?」

「進化……か? 進化といえば進化か」

「ということは、ぼくにも異能が備わっているということでしょうか?」


 おれたちは細い清流の側で休息を取っていた。相変わらず空腹は収まっていないが、飲み水を確保できたのは大きい。ここに来てから見つけた隠れ家の一つだと丸型のアッシュは得意げに説明してくれた。


 ライアの問いに、おれと丸アッシュは顔を見合わせる。


「ファントムは……どうなんだっけか。よく覚えてないが……生前(もと)の異能は使えるのか?」

「わかりません」

「どうして?」


 ふわりふわりと周囲を舞いながら、ライアは諸手を上げて笑みを浮かべた。


「ぼく、記憶喪失なので」

「え、そうなの?」


 アッシュが目を丸くした。その点については把握済みだったが、そういえばアッシュにはわざわざ話していなかったな。ライア自身がこれまで明かさなかったから、という理由ももちろんあるが。


「名前以外にはなにも覚えてないってこと?」

「いいえ。名前も覚えてませんでした」

「はい?」


 困惑した様子のアッシュに、おれが補足を入れる。


「ライアット・スウは、有名な幽霊の名前だよ」

「どういうこと?」

「そうなんです。ぼく、ここに来るまでに何度か視える(・・・)人間と会ったんですけど、みんなそう叫んで逃げちゃうから……そのあとぼくがそう呼ばれて噂になってるのを知って、じゃあもうそう名乗っちゃおうかなって」

「幽霊の代名詞。ライアみたいに白を基調とした服装をしててな。こう、ヒュー、ドロドロって」

「ああ、そうですそうです! みんなそうやって説明してました!」


 おれの幽霊を模したカマキリのような動きを真似したライアは、なにかを思い出したように一つ柏手を打った。


「あ、でも一つだけ……お父さんとお母さんのことなんですけど」


 お父さんとお母さん。ああ。なるほど。

 おれはなんとなく理解する。


「両親に会いたいっていう思念が、ライアをファントムにしたんだな」

「そうなんですか? ぼく、なんだかこの谷に来るまでずっと頭がぼんやりしてて。いつ、どこでこうなっちゃったのかわからないんです」

「ちょっと待て。ライア、ここに来てどのくらいになるんだ?」

「ここに来て……どのくらいでしょう? 二ヶ月? もうちょっと経ちましたっけ」

「いや、待て待て。他者(ほか)の魂を食べたことはないんだよな? それで二ヶ月以上?」


 ライアはおれが驚いている理由をわかっていないらしい。定説ではファントムは長くても数週間の命だ。しかしこの場合はその定説の側を疑うほうが自然だろう。なんせ本物のファントムを見た上に会話までおこなったという記述や話はおれの知る範囲では存在しなかったからだ。おれはファントムの専門家ではないが勇者の選抜隊に入るために、また入ったあとにも相当な勉強や研究をおこなったが、はてさてまだまだこの世には知らないことが多いらしい。人類の計画はやはり重要だということだ。


「でも本当に良かったです。バネさんやアッシュに会うまで、ぼく、ほとんど話なんてできませんでしたから」


 満面の笑みを浮かべるその外見は人間の少女に近しいものがあって、それを見ていると緊張していたおれの表情も少しだけ綻んだ気がする。


「その白頭巾(フード)で絶妙に目のあたりが見えにくくなってるのもいい。怖さが引き立ってる」


 何気なくおれはそういったのだが、アッシュはなにかまた驚いたように目を丸くした。


「頭巾……? バネさん、そんなにアッシュのことがちゃんと見えてるの?」

「あ?」


 おれは理由を問うた。アッシュは困ったように目を逸らしながら口を開いた。


「えっと……わたしには、なんとなくそこに誰かいるなぁっていう薄い煙みたいなものしか見えないんだけど」

「そうなんですか?」


 そういったライアの悲しそうな表情を、おれはしっかり、はっきりと見ることができている。しかし、そうか。


「ファントムは一度ちゃんと見えれば見えやすくなるらしいが……その一度目の要因として考えられるのは異能の感覚強化か、死に近しい経験をしたかどうか、あたりだな」


 死に瀕した人間はファントムが見えやすくなる。迷信に近しいものだが記述自体は魔物の研究論文でも見たことがある。決して眉唾ものの話と切っていい説ではないだろう。


 おれの説明を聞いたライアは、なるほどと頷き、そしてアッシュの横に座り込んだ。


「じゃあ、死に近い経験ってのをすれば、アッシュもぼくが見えるようになるんですね」

「さらっと怖いこというのやめてくれる?」

「よし、じゃあ斬ってみるか」

「やめて!」

「冗談だよ」


 ナイフを抜いたおれを見て本気で嫌がるアッシュの姿に苦笑しながら、おれは一つ質問を思い出した。


「そういえばアッシュ」

「なに?」

「血、怖いのか」


 おれがそう訊くと、アッシュは深くため息を吐いた。


「逆に訊くけど、怖くないやつなんてどこにいるのよ」

「いや……というよりも、さっきはまるで戦いそのものを怖がってるようにも思えた。優しいのは結構だと思うが、よくそれで見知らぬ土地で独り生きようだなんて思ったな」


 アッシュからの言葉はない。


「別に話す必要はないんだけどな。気になっただけだ」


 アッシュの顔が予想以上に深刻な表情になっていたため、おれはそこで切り上げようとした。しかしおれの代わりにライアがアッシュを抱えるように座り込む。


「ぼくも聞いてみたいです。せっかく知り合って、こうやって話せるようになったはじめてのお友だちですし。もちろん、無理にとはいいません」

「……そのいいかた、卑怯じゃない?」


 アッシュとライアがともに笑った。おれも近くにあった木にもたれて、返答を待つ。


「そうだね、っていってもわたしの場合、バネさんやライアみたいにそんなすごい話じゃないんだけどさ」


 それからどのくらい経ったか。アッシュが、照れくさそうに表情を溶かして話し始めた。


「わたしね、故郷から追い出されたスライムなの」

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