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02.匣に眠る災厄

 古代未来都市『ヒルザン』。神話時代(しんわじだい)と呼ばれる現文明の原点から、さらに(さかのぼ)る神秘の時代。丘陵地帯の比較的高所に現存するヒルザンは古代にして未来の要素を内包した廃墟都市であり、そこには解読できない暗号や飛躍した文明、また常識を超えた未知の技術が大量に眠っているとされていた。しかしそれらを調べる術は現代にはほとんど残っておらず、ヒルザンは木や葉の鮮やかな緑に彩られた遺跡として、その姿を遺しているのみである。


「こいつを見てくれ」


 長身、黒髪のオールバック、額の一文字傷。ラスタ・バルデッドが提示してきたのは、ヒルザン内で発掘された一つの匣だった。一辺の長さは三十センチ程度の立方体。腰の高さほどの大きな石台に置かれている、黒色の匣に金の文字と銀の紋章の装飾。


「解析が終わった。もとはだいぶ深くにあったものらしいが、地形の変化で上層に隆起していたらしい。解読が正しければ『人類の味方』らしいが、俺たちの味方かどうかは怪しいな」

「そいつは要するに『原点の勇者』の?」


 中性的な顔立ち、金髪、強い意志を秘めたような碧眼。カナン・ベロンディがラスタに問うた。ラスタは首を振ってそれに答えた。


「もっと前だ。魔物の味方でないのは幸いだがな。カーネルの実験の話、聞いたか?」

「いや」

「捕獲していた盗血蝙蝠(バンバット)鬼従屍(グール)に近寄らせたらしい」

「近寄らせた?」

「文字通りだ。匣の上を飛んだだけでコウモリは溶けた。ゾンビは布に触って破裂した」


 不錆(ふせい)鋼鉄製の高層建築物から発見された匣は当初、特殊な鍵による封がされた棺のような密閉物にしまわれていた。四重の入れ子構造の最深部に眠っていた匣は赤い布で覆われていて、どうやらその匣と布には魔物除けの力が施されているらしかった。


「で、どれを見れば?」

「これだ」


 手袋をはめたラスタの指が、匣の端の文字をなぞる。もう片方の左手側には小さな紙切れが握られていて、どうやらカンペらしかった。


「『匣に封じられし力と災厄、匣の主に宿り、天下一様に拡散せん』。この前の解読された文章とはまったく違うものだ」

「これもデミトリィの解読か?」

「そうだ。彼女曰く、一つの文章に二重の意味を持たせる古代文字らしいが……まぁ、詳しくはわからん。一ついえるとすれば、これを開けるには相応のリスクを負う必要があるということだ」


 ラスタは小さくため息を吐いてから、その光景をずっと眺めていたおれ(・・)を見た。


「ほかの連中にはもう伝えてあるが……この匣を開ける挑戦者を探している。お前はどうだ、ベニー?」


 おれは喉を鳴らして唾を呑んだ。眼前の匣はおれでもわかるほどに得体のしれない空気をまとっているようだった。


 それからしばらく。ヒルザンに設置されたいずれものキャンプが、匣の話題で湧いていた。協力体制にあるヒルザンの先行研究者や現地の旅行コーディネーターはその発見を喜んだが、同時に皆、その匣をそのままにしておくことを望んでいた。その匣に刻まれた言葉と力を信じていたのだ。


「だが、これはいずれ魔王と戦う際に必ず役立つだろう」


 ラスタのテント・キャンプに招待されたおれは、エールを片手に彼の話に耳を傾けていた。

 人類軍と魔物たちの戦いのなかで各国が選抜した魔物討伐軍のなかで、そのリーダー役を務める『勇者』の一人がカナンである。そんなラスタをサポートする参謀としての役割を担っているのがラスタであり、おれにとって彼は、このヒルザンに来るまでほとんど面識のない存在だった。


「俺たち……世間では『勇者御一行(ゆうしゃごいっこう)』と呼ばれているらしいが……俺たちのいまの頭数は俺とベニーを含めて十二。カーネルたち、つまり後方支援(バックアップ)組は千を超えているらしいが、まぁそちらに関してはいまはいい。重要なのは、前線の俺たちの話だ」

「以前におっしゃられていた話ですか」

「ああ。当初カナンが率いる御一行の総数は六十四だった。少数精鋭といえば聞こえはいいが、部隊として考えると相当に厳しい。魔王軍が戦線を拡大している現状、選抜兵が自国の防衛に戻るのは正しくはあるが、残されたこちら側の士気や俺たちの救援を待つ者たちの期待は、もはや高いとはいえない」


 人類と魔物の戦争のなかで突然立ち上がった魔王とその部下である魔王軍八傑(はっけつ)の登場は、人類側に大きく不利に働いた。魔物たちは凶暴化する一方で、群ではなく軍として、統率の取れた動きを示すようになったためだ。各国から優れた兵士が集まった『勇者御一行』からの離脱や逃亡は、公式非公式を問わずして日に日に増えている。


「そんななか、通過地点の一つだったこのヒルザンで匣を見つけられたのは幸運だった。これはベニー、お前の手柄だ」


 カナン率いる勇者御一行は現在、魔王軍八傑とされる骸装輪(がいそうりん)紫轟炎(しごうえん)の二体が確認された地域へと向かっている途中だった。都市や貴族による救援依頼ではなく、後方支援隊の偵察によって魔物の住処が偶然に発見されるという珍しい事例で、ゆえに今回の移動には多少の余裕があった。

 そんななか、夜を越すために滞在するだけだったこのヒルザンでおれが発見したとある石版は大きな驚きをもたらした。石版の文字を解読したところ、大きな力を秘めた封印の存在が明らかになったためだった。

 ヒルザンはその不可思議な建造物や刻まれた歴史から諸国の研究対象とはなっていたものの、フックとなる手がかりがなかった。この発見は研究者たちを大いに喜ばせた。


「ベニーの発見で研究と発掘作業は一気に進んだ。まさか一夜過ごすだけの場所に一月(ひとつき)滞在することになるとは思わなかったが、収穫は大きかった」


 古の封印とその封印された力を求めたのはラスタだった。彼は素早くカナンに許可を得ると現地の研究者と接触し、後方支援隊の人員をヒルザンでの作業に投入した。そして発見された匣については、前述の通りである。


「そういえばラスタさんは、どうして封印されている力のことを知っていたんですか?」

「後方支援隊が提示したルートの一つにここを中継する道があってな。そのときにこの都市の話を聞いたんだ。夢があるじゃないか。古代に滅びた未来都市」

「そうですね」

「古の強力な武器か兵器か……なんにせよ、手に入れることができれば士気は向上するし、戦いも楽になるに違いない。だがまぁ、それはいいじゃないか。そろそろ本題に入るとしよう」


 おれはそれを聞いてエールが入っていた空のジョッキを置いた。姿勢を正し、ラスタを真っ直ぐに見た。


「匣を誰が開けるかという話だがな。俺はお前に開けてほしいと思っている」

「え?」


 どうして。おれが訊く前に、ラスタはふたたび口を開いていた。


「ミルテンから少し話を聞いた。このチームに自分がいていいか、悩んでいるそうじゃないか」

「それは……」

「気にする必要はない。事前にカナンが察知してこちらから聞き出しただけだ」


 チーム内のメンタルケア役への相談内容は、懺悔室と同じように秘匿性が保たれることを前提にしたものであるはずだ――少なくとも目の前で話しているラスタに罪悪感などは感じられなかった。


「経歴を改めて見せてもらった。カナンと同郷で、選抜試験の記録では特別合格とされているが……そこについては問わない。問題は、対魔物の討伐記録だな」


 おれは無言で目を伏せたまま、ラスタの話の続きを待つ。


「実戦経験は?」

「この旅に同行してからです」

「うむ。魔物の討伐率がもっとも低い。『異能(いのう)』も行動補助が一つのみ。なるほど、カナンが匣役に推薦したのも頷ける」

「カナン……さんが、おれを推薦したんですか?」

「勇者の一団でありながらその貢献度は最低ランク。だが役に立ちたいという気持ちはある。たしかにそんなお前が力を手にすれば、皆の士気は大幅に上がるかもしれない。ベニー、リスクを負ってでも力が欲しいか?」


 迷っている時間はなかった。ここで逡巡している間に、別の候補者に決まってしまう可能性だってある。

 おれは顔を上げ、力強く頷いた。


 思い返すと、おれは焦ってしまっていた。


 匣を開ける準備が整ったのはそれから三日後のこと。匣はもともと安置されていた鉄の部屋へと戻され、おれは一人、そこに立っていた。人間はおれだけだが、監視用の電子式自走カメラとラスタの異能による空間分析によって、カナンたちも外のキャンプから見守ってくれている。安全のために発掘作業中に開けた壁や天井の穴はすべて塞がれ、現在は陽光の代わりに張り巡らされた電球の明かりが部屋を半分ほど満たしていた。

 匣の解析をおこなったパーティメンバーの一人、デミトリィ・アルジェットのマイクチェックの声が響く。音質の悪い彼女の声は、自走カメラに搭載されたスピーカーからだ。


〈古代の力は現代のわたしたちには難解なものだ。きみには防護服を着てもらっているが、あまりに超常的すぎる現象には対処できないかもしれない〉

「覚悟しています」

〈カウントは必要か?〉

「いえ、自分のタイミングで開けます」


 おれは深呼吸した。体全体を覆う機密性の高い防護服と、頭部を覆う半透明の耐圧性ヘルメット。雪達磨(スノーマン)と呼ばれるその白く厚い防具は、もとは極限環境下での魔物討伐を実現するためのものだ。

 外部からの音声が切られた。おれはゆっくりと匣に触れる。なにも起こらないことにひとまず安堵したあと、おれは蓋に手を置いた。蓋は上部に開くらしい。匣と繋がれておらず、重くもない。繋ぎ目に指をかけ、もう一度深呼吸する。

 ここで迷っていては、恐怖が増すばかりだ。そう思い、おれは一気に蓋を上へと引き上げた。

 瞬間。スプレーを噴射したような音とともに謎の白煙がおれの側へと吹き出し、ヘルメットを曇らせた。おれはヘルメットで顔が覆われているにも関わらず顔を腕で庇い、その拍子に蓋を投げ捨ててしまった。


〈ベニーくん!〉


 誰の声かはわからなかったが、スピーカーから音声が届いた。おれはその声で一時的なパニックから抜け出し、荒い息でカメラのほうを見た。


「……大丈夫。生きてます」

〈高濃度の塩酸が検出されている。防護服で助かったな〉


 たしかに。災厄といえどこの程度か。現代の技術の勝利というわけだ。


〈バネッダさん、大丈夫だった?〉


 パーティ内の女性でおれのことをバネッダと呼ぶのはミルテン・オンダンテのみだ。彼女に無事であることを説明しようとしたとき、突如として照明がすべて消えた。

 おれはハッとして顔を上げ、安全を確保しようと暗闇のなかでゆっくりと屈みこんだ。


「電球が切れました。視界が確保できません」


 突然の暗転で人間が視界を確保することはできない。しかしこの装備には暗視装置も備わっているはずだ。まさか故障でもしたのか。

 返事は、ない。


「マジーン、声が聞こえるか? デミトリィ? ミルテン? ラスタさん?」


 誰になにを呼びかけても、空間におれの声が響くだけだった。

 そして次の瞬間、おれは衝撃によって宙へと投げ出された。

 一瞬遅れて響いた爆発音と瞬間的ないくつもの明滅。

 おれの意識が、遠のいていった。


 崩壊した高層建築物からおれが発見されたのは、それから十二時間後のことだったらしい。誰もがおれの生存に驚き、そして引き上げられたおれの無事に恐怖していた。ラスタの説明によれば、おれは防護服のデータやラスタの監視上では致命的ともいえるダメージを受けていたらしい。瓦礫によって頭は砕け、肺は潰され、四肢は切断され――それを裏づけるようにヘルメットは砕け、防護服やその下に着ていた冷却スーツなどに、圧迫や切断の跡がしっかりと残っていた。

 だが、おれは五体満足だった。


「匣のなかに詳しいデータを見つけたよ」


 キャンプ内の簡易医療施設。解析班のデミトリィが、沈痛な面持ちで検査を終えたおれにいった。そこには勇者カナンをはじめとした主要なメンバーだけでなく後方支援組の見知った顔もあり、事態の深刻さを表していた。


「検査のときに軽く説明したけど改めて。結論からいうと、きみは特別な古代の力を授かった。きわめて強力な不死の力だ。だがそれは三日しか続かない」

「らしいですね。それじゃあ、三日のうちに魔王のもとまで行かないと。こき使ってくれて構いませんよ」


 おれの言葉は、完全にから回っていた。重苦しい空気、軽口を飛ばせないような空気を打破したかったのだ。この先に続く言葉に、おれは嫌な予感しかしていなかった。不死の力などというあまりにも素晴らしい力を前にこの流れ。どう都合良く解釈しても、それ以上のデメリットがなにか存在しているのだ。


「そうだな。それができれば……いや、それができても、だろうな」

「……どういうことですか」

「不死性が保たれるのは三日。そしてその後、きみは死ぬ」


 その言葉の意味がわからないはずはなかった。だがおれはまるでそれが理解できないかのように肩をすくめ、苦笑とともに周囲の皆を見回した。そして、おれは気づいた。


「この話、もうみんな知ってるんですか」

「事前に説明済みだ」


 おれは唇をしめらせた。それから、震えるように深呼吸をする。言葉は出なかった。


「そしてもう一つ、伝えなければならないことがある」

「それは急に死の宣告を受けることよりも恐ろしいことなんですか?」


 追い打ちをかけるような言葉への返答に多少の皮肉が入ってしまったが、おれは気にしなかった。デミトリィが、横に立つラスタと目配せした。ラスタが咳を勢いよく払い、口を開いた。


「匣の封印の中身は、解読が正しければ『古代に封じられた災厄』だ」

「ああ……そういう話をしてましたね」

「説明する。責任は俺にあるからな。この匣にはヒルザンの賢者たちが封印したらしき『世界に災いをもたらす力』が封印されていた。この匣を開けてしまった者は、不死性と引き換えにその災厄を身に宿すことになる」


 話の流れがつかめない。


「不死性と災厄の関連性が見えてこないんですけど……」

「災厄はお前の肉体を突き破ってこの世にふたたび姿を現す。その限られた不死性は、人類への致命的な災厄を避けるための猶予期間だ。はっきりといおう。お前の使命は三日のうちに『災厄の影響が人類にとって最小となる場所へ移動して死ぬこと』だ」

「…………は?」


 ラスタの言葉を、今度はいよいよ理解できなかった。



 アッシュが光の谷と呼ぶこの地での死は、ラスタがいう条件に完全には合致していなかったかもしれない。だがおれにだって死に場所を選ぶ権利はあるし、かといってこれまで旅をともにした勇者たちの近くや大都市のど真ん中で死ぬ勇気はなかった。


 なぜ死ななかった。


 解呪の手がかりはまったくなかったと説明を受けた。ラスタやデミトリィの文章解読が間違っていたのか。それとも長い時間を経るなかで呪いとやらの効力が弱まっていたのか。可能性はいろいろあるが、それを知る術はない。


 ならば。


「とりあえず、一回死んでみるか」

「え?」


 吐息混じりの独り言。崖の上で迎えた朝日に照らされながらおれがいった言葉に、隣に浮いていたライアが首を傾げた。

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