16.いくつもの誤算
おれはナイフを構え、村長を睨みつける。しかし彼の土気色の顔は表情を持たず、目も口も閉じたままにそこに立っているだけだった。
膠着状態に変化が起きたのは、村長の傍らにメタルクローが現れたときだった。どこからともなく湧き出たブユの大群がメタルクローの肉体を包み込んだかと思うと、村長の体がメタルクローの背へともたれるように倒れ込んでしまった。
「な、なにが起こってるんですか? ぼく、見えないんですけど……」
「おれもわからない」
ライアが目を細めて闇を凝視している。見えたとしてもあまり気持ちの良い光景ではないから、無理に見る必要はないと思うが、口には出さない。
「そこにいるのか、バネッダ・ハウク」
ガイデルシュタインの声が響いた。声の主はブユかメタルクローか村長の遺体のいずれかだろうが、なにか違和感がある。
そこにいるのか、とはなんだ。
「話によれば海上で消えたそうだが、よく生きていたな」
「生きていた? 皮肉が上手いものだ」
また一匹、メタルクローが駆けてきた。それに続けて眷属化した村人が一人と、グール化した村人が二人。皆がブユのカーテンへと入り、なにも見えなくなる。
「なにをしている」
「再生だ。奪われた肉体の、な」
「奪われた?」
「バネッダ・ハウクの異能にな」
おれの異能とは、おれがヒルザンの地で宿した不死の呪いのことか。
「たしかに、俺は間違えていたらしい。お前の異能は不死血鬼とは関係がない。いや、ことによってはそれ以上の異能だった」
「だからいったろ」
「太陽に挑むことはできたが、制約があってはなんの意味もない。どこから見つけてきたのか、このガイデルシュタインの肉体を跡形もなく消し去るほどの力……話す気はあるか」
「隠す気はないが、話す気はないな」
おれがいうと、ブユの幕が左右に開いた。おれはそこから現れた姿に思わず困惑の色を浮かべた。
そこにいたのは、ガイデルシュタインではなかった。村長でもない。赤く光る目を持つ、眷属と化した村人の一人だ。性別は男、若くはないが老いてもいない。じっとこちらを見つめる目は鋭いものではなく、肉体も決して研ぎ澄まされてあるようなものではない。
名も知らぬ村人は、いまにも倒れそうにゆらゆらと揺れていた。どうやら彼は足を負傷しているようだ。肉が裂かれているのか骨が折れているのかはわかりかねたが、眷属化による強引な命令で直立を維持し、直立していた。それでも満足には立てないらしく、その体をグールたちが両横で支えていた。
奇妙な光景だった。それを指揮しているのが魔王軍八傑のガイデルシュタインだということを鑑みると、滑稽にすら思えてくる。
「肉体が跡形もなく消えて……ガイデルシュタインはなぜ生きてここにいるんだ?」
「そう簡単に消滅できるほど、脆弱な魂ではないのでな」
おれはハッとしてライアを見た。目を合わせてきょとんとする彼女の半透明な姿に、一つ浮かんできた単語がある。
「ファントム……?」
「なるほど。そう考えることもできる。しかしいまはあの連中よりも程度が低いといっていいだろう」
肉体を失い行き着く先といえばファントムだろうが予想は外れた。しかし彼の現況がそれより下だとはまったく想像がつかない。
「なに、単純な引き算だ。ファントムは他者の魂を食らい生き長らえる。しかしいまの俺はそれすらもできぬ。単なる魂の残滓として、辛うじてここに存在するだけだ」
「ファントムですらない魂が意識を保ったまま存在し続けることができるなんて聞いたこともないな」
「無論。いまこの世界にこのようなことが可能な魔物など、数えるほどしかいやしまい」
その数えるほどのなかに入っているガイデルシュタインの寛大で独尊的な態度や雰囲気は、しかしこの現況に比例するように霧散してしまっているようだった。言葉遣いや声音からもそれは明らかだ。
「そうやって手下たちになにをさせようとしている」
いいながら俺はゆっくりとガイデルシュタインのもとへと歩いていく。一気に近づくほど不用意ではないが、これが彼を倒す好機なのは明らかだ。
「古城で俺の作品を見ただろう」
勇者御一行として乗り込んだ古城。ガイデルシュタインがそう呼んでいたわけではないが、作品と聞いてまず思い浮かんだのは、とある一体の魔物だった。グールのようにガイデルシュタインの血によって動く生物群のなかでも異質のそれは、いくつもの生物を繋ぎ合わせて誕生した異形の存在だったが、それぞれのもとの形質が邪魔をして満足に動けず、うごめくだけの肉塊だった。人間、動物、魔物。同じような骨、筋肉、皮膚でも、それらを繋ぎ合わせて一つのものとするには少々無理がある代物だったと記録した覚えがある。
「それがなんだって?」
「あれは趣味の悪い部下どもの仕事だった。俺は美しさは問わぬが醜さは問う。やつらはもういないが……その思想は役に立つこともある」
ブユが集い、ガイデルシュタインのかたちを作り出すが、そこに現れるはずの彼は現れない。単なる集合体に過ぎないブユたちのなかに、一つだけ違う点があることに気がついた。
左の下腕があるように見えるのだ。いや、見えるのではなく、実際にそこだけ影が濃い。ブユの点ではなく、しっかりとしたかたちを持っている。おれは息を呑んだ。先ほど強引に立たせていた村人の腕だった。
「繋ぐ肉は生きたものでなければならない。そして適合できるかどうかは繋いで見なければわからない。この男は左腕のみだったな」
「また肉体を手に入れるつもりか」
「そうだ。途方もなく、またあまりにも泥臭い。だが俺はどんな手段を使ってでも生きてみせる。村長の骸に寄り添うことで消失寸前の意識は保った。次は肉だ。そしてそれは……すぐに揃う」
「おれたちの肉体をもらおうって算段か」
ガイデルシュタインはふっと声に出して息を吐いた。
「まだ抵抗の意思がある者に勝てるかたちではない。見ていろ。すぐに肉はここに集う」
「バネさん」
背後の宙でおれたちの会話を聞いていたライアが呼びかけてきた。
「こちらに向かってきます」
そういうことかとおれは頷く。ガイデルシュタインの話もライアの言葉も、その多数の気配によってすぐに理解することができた。
眷属化した村人やメタルクロー、もしくは死したのちに起き上がったグール、または恐怖によって自ら五感に生み出したありもしない幻想。理由はいくらでも思いつく。重要なのは、四方八方に逃げた生き残りの人間たちがそれらのいずれかに追われるように、またこの場へ戻ってきたという事実だった。
周囲を見回しながら、おれはどうするべきかを思案する。闇夜の向こうにはすでに生き残りたちが迫ってきている。時間はない。
「殺しはしない。試行回数が減るのは避けたいからな」
考える暇はなかった。おれは眷属化した護衛から拝借していたクロスボウを地面へと突き立てた。弦を引き上げて装填し、躊躇うことなくメタルクローの背、村長の遺体目がけて矢を放った。命中はしたが、現況に変化はない。
「影で操るさまを見て狙いを定めたらしいが、残念だったな。この影はあくまで貸与していた吸血鬼の力の残滓。いまの俺に力はなく、同時に姿かたちもなく、干渉もできない」
実体のない姿ならば直近の脅威はないかもしれないが、このまま放っておけば状況が悪くのは目に見えていた。
高く悲鳴が上がった。
見れば舞い戻ってきたラブロスが、おれを見て腰を抜かしていたのだ。彼の傍に護衛はなく、代わりに首輪をはめた女性の奴隷のみがつき従っていた。
「そ、そうか。誘導された! この化け物のところに帰ってくるように!」
「気をしっかり持ってください」
いまにも失神なり失禁なりをしてしまいそうなほどに怯え、震え、赦しを請いはじめたラブロスを、奴隷は懸命に励まし、正気を保ったままにしようとしていた。
別の方角から悲鳴が上がった。
逃げてきた村人がグールに襲われている。彼を助けようと動いたが、ときすでに遅し。肉体にブユが襲いかかり、彼の姿を消してしまった。
さらに別の方角から悲鳴が上がった。
マチェと村人の一人がおれやシスターの姿を見るやいなやいまきた道を戻ろうとし、背後の魔物たちの唸り声に怯えてまたこちらを向いた。
「お前らやっぱり……! クソッ!」
黒幕だと思われている疑惑を晴らすには相当の手間が必要だろう。おれはそのガイデルシュタインのほうへと目を戻した。一度離散し、すぐに再集合したブユが作り出した肉体には、左脚がはっきりと受肉していた。
どうやらパーツ取りはわずか数十秒で済むものらしい。おれはまた一人増えた犠牲者をただ見ているしかなかった。
あいつらなら。勇者御一行ならきっと、犠牲を最小限としたまま皆を救えたであろうに。
おれは阿鼻叫喚の場を無視して走った。自分にできる限りのことはやらなければならない。自分にできる限りのことをしたい。そのために、ラブロスやマチェが眷属やグールたちに追われるのを横目に、最善の策を目指す選択を取った。
ガイデルシュタイン本体に実体がないのならば、眷属とグールをすべて倒せばなにもできなくなるはずだ。そしてまずは、彼の再生とやらを阻止しなければならない。
ブユを焼き払うための火は十分にある。もはやなりふり構ってはいられないと、おれは火のつくあらゆるものへと松明を近づけ、脂矢を射た。太陽光を防ぐために纏っていた外套や、衣服を使ったターバンも首もとのスカーフもまたこの火のための媒体となった。
「俺の土地が!」
そう叫ぶラブロスを気にせず、燃える布を構える。ブユたちの人をかたどった群が、怯んだかのようにあとずさった。
「待て! まだ肉体は完成していない!」
「だからだよ」
ガイデルシュタインのそのような声を、おれは初めて聞いたかもしれない。火傷などを気にする余地はなく、布を左手に担いで向かってくるメタルクローをナイフで弾き、グールを蹴り飛ばし、村長の遺体を越え、ブユ群へと迫る。その熱さやおれ自身への怒りが緊張状態を高め、異能による身体強化を果たしている。
無造作に放った燃える布が、ブユたちを覆うように広がった。ブユたちは我先にとその炎から離れるように拡散した。高温にあてられて地へと落ちていくものもあった。そうして虫たちの支えを失くした脚が倒れ、
左腕が眼前に浮いていた。
おれが反応するよりも早く、左腕がおれの首を掴み、締め上げた。
「干渉できないってのも嘘かよ……」
「お前に分けた血をつなぎとし、俺は復活を果たす」
「却下だ……!」
ガイデルシュタインが気づいているかどうかは定かではなかったが、首を絞める握力は強くない。これが本当に限界ならば、おれにも勝算はある。
「バネさんバネさんバネさーん!」
興奮状態にあったおれは、一瞬その声を認識できなかった。ただでさえラブロスやマチェたちの怒号や悲鳴が響いて聞き取りづらいなか、何度も呼びかけられなければ、腕との格闘を優先していただろう。
ライアが後方で叫んでいた。
「シスターたちの周りに敵がいっぱいです!」
おれはその言葉に、抵抗する腕を首元に残したまま振り向いた。
そうだ。村長の話を思い出す。ガイデルシュタインは、あの少女も狙っていたのだ。
おれに奇襲をかけるための嘘ではなく、おれと少女を放すための嘘。
「なぜ気づいた!」
ガイデルシュタインの焦燥混じりの声は、まさにそれを認めるものだった。ライアの姿や声は彼に認識されていない。きっとおれがなぜ振り向いたのか、彼には不可解でしかなかっただろう。
「馬鹿な!」
さらにガイデルシュタインを驚愕させる出来事が続いた。おれは肉体を軟化させ、左腕の力が緩んだ隙に抜け出すことに成功した。腕を投げ捨て、シスターたちのもとへと走る。ふわりと闇を伝い追ってくる左腕に、おれは瓶ごと聖水を投げた。命中し割れた瓶から聖水が流れ、左腕の動きは完全に止まり、その場へと落下していった。
「なぜだ! そのような力を与えた覚えはない!」
ガイデルシュタインの声を背に、おれはシスターたちに迫る魔物たちの姿を見た。この手が届く距離にはまだない。おれは迷わずナイフを投げた。しかし所詮はナイフで、彼女たちに襲いかかる眷属化した村人の右腕を使用不能にすることしかできなかった。
危機的状況だったが、決して乗り越えられないものではないとおれは考えていた。楽観的なのではない。これは確信に近い思考だ。
なぜなら、彼女たちは決して無力ではないのだから。
「ヴああああああッ!」
一瞬だった。獣じみた咆哮とともに少女の手首から先が黒鉄へと変貌し、突進してきたメタルクローを振り抜いた腕で斬り裂く。少女がカバーできなかった後方に、シスターが懐から取り出した銀のスキットルから聖水を撒いた。それをまともに浴びたグールたちがまるで塩酸を浴びたように皮膚を溶かし、煙を上げてのたうち回った。
走りながら跳躍したおれは、その勢いのままに村人を飛び膝蹴りで吹き飛ばした。村人と二人して盛大に転がったおれは、体勢を立て直してから、ライアや、シスター、そしてシスターを守るように立つ少女たちと目を合わせた。
泥を払い、息を整えてから、おれは親指を立てた。
「ナイス」
それはライアに向けたものだったが、予想外の反応もあった。少女が、その表情を崩すことこそなかったものの、おれと同じように親指を立ててくれたのだ。
おれはそんな少女に小さく頷き、笑みを浮かべて親指を返した。