15.闇夜が動く
おれはすぐにライアと顔を見合わせた。
「消滅したっていったよな?」
「は、はい。この目でちゃんと見ましたよ! 海の上でじゅわーって!」
そうやっておれとライアが状況を把握しようとしている間も、小太りの男とマチェの会話は続いていた。
「そういう話は聞いていないし、そもそも村長はもう……」
「ええい。だからお前たちと話しても仕方がないといってわからぬのか。呼ぶか出すかどちらかにしろ。このラブロスをこれ以上怒らせるな!」
「ちょっと静かにしてくれ!」
周囲の様子をうかがい、声がどこから響いたかを探っていたおれが叫んだ言葉に、どうやらラブロスという名の男は激昂したらしかった。
息がかかる距離まで接近してきたラブロスが、おれを見上げる。身長は低いが、その顔の圧に思わずおれは仰け反った。
「なんだね、お前は?」
「悪いな。詳しくは話せないが、ここは危険だ。逃げたほうがいい」
はっ。バカにしたように息を吐き出したラブロスは、隣に呼んだ従者に指でなんらかの指示を飛ばした。
「話は聞いておる。魔物ごときに恐れをなしおって……いいか? 俺の護衛八人は選りすぐりの精鋭! ここへの旅程で襲ってきた盗賊も返り討ちにしてやったわ!」
「それは頼もしい」
おれは強引に話を打ち切り、シスターのもとへと駆け寄る。
「彼女はどこに?」
「あの子はなかにいます。急にどうなされたのですか?」
「危ないので、彼女と一緒にいてください」
シスターにいったあと、おれは隣にライアを呼んだ。
「この二人になにかあったときはすぐ教えてくれ」
「わかりました!」
シスターがおれとおれの目線の先の空を交互に見つめた。
「あの、そこにどなたかいらっしゃるのですか?」
「守り神みたいなものです。とにかく状況がはっきりとわかるまではなかに……」
教会前に集まった村人もラブロスたちも、まったく現況を把握していない。彼らたちにとっては重要な話なのだろうが、彼らの話はいまするべき優先順位としては最下位に近いものだ。
「まったくなんだというのだ。おい! お前たちも早く説得に参加しろ」
ラブロスが背後に控えさせていた者たちの顔を見て、ラブロスの正面にいたマチェと傍から見ていたおれは間抜けな声を上げてしまった。
護衛が八人という割には人数が合わないと思った。そこにいたのは、マチェに逃げたと説明されていたスリチェを始めとする村人たちだったのだ。
護衛たちがそれぞれに松明を掲げたため、彼らの顔が一層明らかになった。皆がみな互いに顔を見合わせ、不安そうな顔をしていた。
「スリチェ! みんなも! どうしてここにいるんだ」
「責めてやるな。彼らは俺たちの道案内をこころよく買ってくれたのだ」
「お前らが連れていけと脅したんだろう!」
そう叫ぶスリチェの首元に、護衛の一人が短刀を突きつけた。護衛たちは皆黒い外套に身を包んでおり、首と顔も黒塗りの革の防具で覆われている。表情が読めない護衛と対照的に、スリチェの顔は恐怖と怒りで満ちていた。
こんなことをしている場合ではないというのに。
しかしおれがそれを指摘するよりも早く、状況は動いてしまった。
街の東から、いくつもの悲鳴が響いた。高い声ではなく、腹の底から絞り出したような野太く加減のない悲鳴。
それはまるで、断末魔のようだった。
「なんの悲鳴だ」
「あっちはたしか、馬車を停めていた場所だ。オレの家の近くに停めたんだよ」
声のほうをうかがうマチェに、前に出てきたビル――おれがこの集落を訪れた際に初めて出会ったいわゆる『第一村人』――が答えた。
「馬車は護衛二人に守らせておる! お前たち村人の誰かではないのか」
「オレたちは全員揃っていると思うけど……」
顎をさすりながらいうラブロスと、図らずも集合した村人たちの顔と数を確認するビル。
あれ、と声を漏らしたのは、ビルだった。
「いない……」
「ほれ見たことか。なんの悲鳴かは知らぬが、勝手に見に行けば良かろう。ここにはリンダの居場所を知る者のみ残っていれば良い」
そういわれ、ビルはその声のもとへと歩き出した。
おれは彼らのやり取りのなかで、音を聞いていた。それはなにかが走る音であり、複数がこちらに向かってくる音だった。吸血鬼の異能の副産物としての視覚強化があるのならば、聴覚強化があってもおかしくはない。
その四足歩行の足音の正体に脳内でたどり着いたおれは、この場にいる全員に声が届くように叫んだ。
「逃げろ! メタルクローだ!」
「え?」
ビルにとって不幸だったのは、彼が敵の側へと自ら動いてしまっていたことだろう。彼は疾走してくるメタルクローの鉄爪に胸部を一瞬でえぐり取られた。血を吹き出して仰向けに倒れたビルは、虚ろな目で体を強く痙攣させた。
「な、なんじゃ!」
その光景に尻もちをついたラブロスを囲うように、素早く六人の護衛が陣形を整えた。おれはその一団を無視し、それぞれに恐怖しバラバラに動こうとしていた村人たちに叫んだ。
「持っている武器を手放すな!」
ナイフを抜き、おれは跳んだ。すでに絶命しているビルにのしかかっていたメタルクローに向けて、思い切りナイフを突き立てる。
背に刺さったナイフの激痛に、メタルクローが暴れた。闇夜に走るその赤い目を、おれは知っている。
「まだ眷属がいたのか」
そこで一匹目を仕留めたおれだったが、一人で全員を守れるほどの力はおれにはなかった。別の一匹が逃げる村人の太ももから下をすれ違いざまに切り裂く。また違う一匹が転んだ村人の背に牙を突き立てる。
「火をつけろ! 視界を確保するんだ!」
マチェの声に、近くにいた村人が反応した。持っていた松明が積まれたワラへと投げられ、あっという間に燃え上がる。
「待て! 火はやめろ! 燃え広がったらどうする! 俺の土地だぞ!」
護衛の間から唾を飛ばしてラブロスが叫んだ。
「火で燃やせ! こいつらはただの魔物じゃない!」
そう護衛たちに向かっていったマチェの言葉を、彼らはラブロスを標的としたメタルクローによって理解した。護衛たちが持つクロスボウの矢は突進してくるメタルクローを止められなかった。槍ぶすまの盾によっていくつもの深手を負った魔物にとどめを刺してから、護衛たちは互いに頷きあい、順繰りにクロスボウへと矢を装填していった。
ただしそれは先ほどの矢ではない。先に小さな脂火が灯る火矢だった。
村人を襲うメタルクローの一匹を火矢が捉えたが、火は着弾後にすぐに消えてしまった。魔物への効果が薄いその攻撃は、しかし木造建築ばかりのこの集落には効果てきめんだった。
壁にワラが積まれた家に火矢が刺さったのだ。護衛に文句をいうよりも早く、おれはすぐにその家のなかへと突入した。なんせその家にはシスターと少女がいるのだ。火をすぐに消す手段が思いつかない以上、ひとまずは脱出してもらうしかない。
シスターたちがいる扉を開けたおれは、そこから出ようとしていたらしいライアの半透明の肉体とすれ違った。
「バネさん! 壁が燃えてます!」
「知ってる。こっちです!」
すでに身支度を済ませていたシスターと少女が頷いた。おれは二人を先導して外へと出ようとしたが、そこにくるりとこちらを向いたライアが声をかけてきた。
「それともう一つ大事なことが!」
「本当に大事か?」
「はい! 村長が動いてるんです!」
「嘘だろ?」
立ち止まり、浮かんでいるライアを見て話すおれをもちろん後ろの二人は見ているのだろうが、いまそれを気にする余裕などはない。
「本当に村長なのか?」
「本当ですってば! さっき外の様子を見たときに!」
「……シスター。村長の遺体はいまどこに?」
「遺体は奥の家をお借りして、そこに」
シスターの説明にライアがぶんぶんと頷く。
「そう! そのあっちのほうの家!」
「そいつは……ちょっと待て」
背後の二人の動きを片手で制しつつ、おれは不意に玄関の扉を斧で破壊し突撃してきたメタルクローを蹴り飛ばした。完全に不意ならばその攻撃は防げなかっただろうが、五感の強化によってなんとか外の音を聞き取ることができていた。
「この魔物は……」
シスターがそれを見て口を抑えた。振り返ったおれと、少女の目が合う。
「……眷属だ」
「これが眷属」
少女の代わりにシスターがそれを睨みつけた。
吸血鬼の血を持たない対象に血を流し込むことで対象を操る異能。対象は生きていなければ操れないが、一度操ってしまえばあとは命令を果たしてくれる。おまけに命令の遂行中は肉体の疲労や怪我、精神を含めた限界を無視するため、たとえ親となる吸血鬼が死に異能が解除されてしまっても、解けた対象の心身はほとんどの場合ボロボロだ。実質的な死が訪れているといってもよいだろう。
しかし相手がガイデルシュタインの場合、警戒すべきは生者だけではない。それこそがかの魔物を八傑たらしめている理由の一つであり、本来吸血鬼が持ち合わせるはずのない能力を彼は有している。
この谷で一度戦ったときにはそれを気にする余裕はなく、そしてあえて気にする理由もなかった能力。
外からの悲鳴に家を飛び出たおれが見たのは、スリチェに抱きかかえられたビルが彼の首に噛みついている光景だった。
「やめろビル! スリチェだ!」
鬼従屍。おれたちがそう呼ぶその魔物は、本来その名で呼ばれている魔物とは性質を異にする。ガイデルシュタインが操るブユの刺咬によって体内へと流し込まれた吸血鬼の血は、たとえそれが死体であったとしても起き上がり、他者の血を求めて動き出す。死体を食らう本来の死食鬼とは真逆で、性質としては屍歩体に近いのだが、ガイデルシュタイン本人がそう呼称していたことからおれたちもそう呼んでいた。
動き出したビルを見て、おれはすぐに彼の状態を察した。つまり先ほどの声は幻聴ではない。この眷属騒動は他の吸血鬼ではなく、間違いなくガイデルシュタイン本人のものだということだ。
おれはすぐにビルを蹴り倒してスリチェから剥がしたが、すでにスリチェは目を見開いたまま動かなくなっていた。血まみれのスリチェの腕に化膿したような部位を見つけ、改めてグール化を確認する。彼のブユ特有の咬傷痕である。
見れば倒れた何人かの村人も糸で釣られたような不自然な体勢で起き上がり始めている。悲鳴と怒号が入り混じるなか、その様子を見て驚きおののいたラブロスは、護衛を盾に後方へと逃げようとした。
「ライア、二人を見ていてくれ」
その護衛の一人がラブロスに向けて槍を構えたことに気づいたおれは、躊躇なくそこへと飛び込んだ。
おれの鮮血が宙に弾けた。振るわれた槍が、ラブロスや横に並ぶ罪のない護衛を押し逃したおれの左肩を吹き飛ばした。しかし裂け散ったのは通常の肉片ではなく硬質変化したスライム状態の肉体であり、この形態に変化している際は痛覚も鈍化する。
逆手に持ったナイフで槍を持つ腕を斬り、おれは槍を奪い取った。素早くその場で一回転し、槍の柄で護衛のこめかみを殴打する。その衝撃で護衛の一人が転倒するころには、おれの左肩はすでにうごめき、もとのように再生していた。
「お、お前も化け物か! 誰か助けてくれ!」
尻もちをついたまま後ずさるラブロスを守ろうと残りの護衛たちも動き出す。おれは吹き飛んだ部位が再生したのを確認してから、わざとらしく肩の骨を何度か鳴らした。
「眷属化してる。そいつから離れろ」
ラブロスの護衛たちはおれの言葉を聞いて、残酷だが最良の判断をすぐに下した。眷属化した同僚の一人を残りの五人で突き殺そうとしたのだ。しかしその判断自体が遅すぎた。眷属と化した護衛は体勢を整えて槍を避けることよりも、クロスボウを撃つことを選択していたのだ。
槍で串刺しとなった眷属護衛と、不運にも放った矢に革の兜ごと頭部を貫かれた護衛。そしておそらく二人とも、そう遠からずに起き上がる。
このままでは埒が明かない。おそらく騒動を収める最短手段は、ガイデルシュタインを捜すことだ。いまこの集落で生き残っている人間が何人いるのかはわからない。ラブロスとその護衛たちは近くにいるが、ラブロスの側にいた奴隷や村人たちはすでに散開してしまっていてこの場にはいない。集団でいるほうが安全なのはわかっているのだろうが、現状一番危険度が高いのもここなのだから仕方がない。
集落のあちこちで火と悲鳴が上がっているが、これらすべてを救いに行くことはできない。おれは後ろで待っていたシスターと少女のもとへと戻った。
「なんという光景でしょうか……」
そういいながらも、シスターはまっすぐに戦場となった集落を見つめていた。それは彼女と手をつなぐ少女も同じだ。おれは二人の上に浮かび、険しい表情を浮かべるもう一人に声をかけた。
「ライア、二人を守ってくれてありがとう」
「守るだなんて。ぼくには、こうやって見ていることしかできません」
歯噛みするライアに、おれは努めて微笑んだ。
「十分だ。誰にだって役割がある」
「バネさん……」
「おれだってなにもできちゃいない。勇者パーティの一人だなんだと持ち上げられてきたが、一人じゃこの規模でさえ倒せやしないし救えもしない」
それでも、やれるだけはやらなくちゃならない。
「ライア。また近くを見張っていてくれ。おれ一人じゃ、周り全部に気は配れない」
おれはそういって、闇の向こうへと目を向けた。教会堂やラブロスたちが逃げたのとは真逆で、村人たちもそちらへは逃げていないのか、比較的静かな側だった。方角としては集落南西部。二、三の家が見える以外は、特に特筆すべき点もない場所。
しかし、そちらに息を潜めている気配を感じる。正確には、はなから息などしていないのだろうが。
「そんなにこの子が気になるなら、こっちにこい。ガイデルシュタイン」
見ればシスターやライアはまだ気づいていないが、少女はそれをすでに察知しているようだった。獣のように小さな唸り声を上げる少女を狙う、一つの影。
闇夜のなか、月夜の下に、村長が立っている。身を清められ、真新しい立派な服をシスターに着せてもらっている彼は、しかしもう、生きてはいない。死した状態のまま、目を瞑ったままの村長。それが眷属化やグール化といった現象ではないことを、おれは知っている。
一度見たことがあるゆえに理解するのは容易だった。自在に動く影。本来は意思など持ちようがない村長の影が、村長自身を縛り、支え、そこに立たせているのだった。