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10.虎穴に入らずんば

 村を抜け、森林地帯から北へと向かう。夜の山は足元に不安が多く、日中の移動と比べて怪我の危険が増す。魔物だけでなく動物も獲物を求めているし、体力も早く削られる。人が往来し、踏み(なら)されたり整備されたりといった道ではないからなおさらだ。


 もっとも吸血鬼にはあまり関係のない話だが。


 星の位置から方角を割り出し、風向きで臭いを感知されないようにする。勇者たちとの冒険で培った知識が役に立った。おれは誰にもなににも会うことなく、ずんずんと山道を進んでいく。広葉樹が減り、松の木がいくつか見え始めると、そこは気づけばすでに高所だ。もっとも丘といっても差し支えのないほどの小さな山であり、単純な高さだけならばそれほどあるわけではない。


「メタルクローの縄張りに行くとはいいましたけど……」


 ライアがおれの後ろから話しかけてきた。


「アテはあるんですか?」

「そうだな……」


 おれは一面のネズミムギが踏み潰されている場を手斧で示した。自分の下腕と同じか少し長いくらいの柄を持つ小さな斧は、村から無断で拝借してきたものだ。武器としては頼りないが、ナイフだけの状況よりもはるかにマシだろう。


「見えるか?」

「見えません」

「じゃあ説明は無理だ」

「ちょっと待ってくださいよー」


 ライアがおれの肩を後ろから揺すろうとしているのはなんとなくわかったが、触れない以上おれの体はなにも影響を受けない。ただ前を向くおれの視界の端、肩のあたりを何度も透明な腕が前後するだけだ。


「教えてくれたっていいじゃないですか」

「足跡を辿ってるだけだよ」


 均されているだけの草に混じって、大きな足跡が確認できることがある。緩い土の上では特に顕著だ。メタルクローは前足の鉄爪でなおさら特定が容易だった。


 さらに痕跡は具体的になっていく。


 おれがその痕跡に近づくと、群がっていたカラスが一斉に飛び立ち、近くの木へと止まった。全部持っていかなければどうぞ、といった感じだろうか。


 ついばまれた跡のあるメタルクローの亡骸をおれは屈んで確認した。当然のようにこと切れており、起き上がる気配もない。


「ところでどうしてついてきてるんだ?」

「え?」


 痕跡をアテにさらに上へと登っていくなか、おれはなんとなくいま訊いてみることにした。


「足手まといにはならないし役に立つ場面が多いのはたしかだが」

「便利なコマ扱いですか。もっとしてください」

「していいのかよ」


 ライアはため息を吐いて腕を組んだ。


「忘れていませんか? ぼくの姿が見えるのは、バネさんだけなんですよ?」

「そんなもの、あの村を捜せばいくらでも……」


 いいかけてやめる。いや、違うな。そもそもあの村という名の集落を教えてくれたのはライアだ。彼女が自分が見えないか試していないはずはない。


「それじゃあ、臨死体験でもさせるか。適合者の一人や二人、見つかると思うぞ」

「さらっと酷いことを……でもですね。これはぼくの推測なんですけど、あの村が魔物に囲まれているという現状、かなり死というものを身近に感じていると思うんですよ」


 なるほど。ライアのいい分はわかったし、もっともな気がした。


「去らねば死ぬと、いったはずだが」


 突然の第三者の声。おれとライアは速やかに会話を打ち切り、声のほうを見た。手斧を左手に持ち替え、ナイフを右逆手で抜く。声の主をおれは知っている。


「よう頭領。あんたを捜してたんだ」

「ほう小僧。こちらに用はないのだがな」


 闇の先の獣が話しているから、という直球な理由ももちろんあるが、ガイデルシュタインと同じような威圧感を持っていながらどこか獣のような鋭さや荒さを雰囲気に持っている。声も同じく、だ。


 魔物との戦いに限った話ではないが、重要なのは下手に出ないことだ。自分のほうが強く、立場が上だという態度を示し続けることだ。特におれの場合、戦闘や交渉に絶対的な自信があるわけではない。


 おれは睨みを効かせながら、暗闇のなかに潜むメタルクローの頭領を見る。そしてあることに気づいたから、一つ問うてみる。


「……頭領、あんた」

「気づくほどに勘が良ければ、それを言葉にせぬ聡明さも持ち合わせていると信じている」


 おれの言葉を先読みしたかのように頭領がいった。


 おそらくだが。おそらくだが、頭領は負傷している。暗視に優れているとはいえはっきり見ないとわかるものではないが、出血していないか?


「まさかそれをいいにここまで来たわけではあるまい」

「ああ。訊きたいことがあってな。この縄張りに人間らしき女性を見かけたという話がある。たしかな情報だ」


 おれは一気にいい切った。もちろん、情報源は村長の話のみだ。村長自身がそれを信じていないような様子だったが、さて反応はどうだろうか。


 地面を踏みしめる力強い足音。岩陰から姿を現した頭領は、顔と前足を血で真っ赤に染めていた。


「知らんな」

「いや、知っているはずだ」


 この発言にも、まったく根拠はない。


「それよりももっと聞きたい話があるのではないか?」


 頭領がいった。おれは思わず口端を曲げた。お見通しというわけか。

 おれは武器を下ろした。ため息を吐き、首を振る。


「面倒だから、本題に入っていいか?」

「こちらも暇ではないからな」


 頭領がいう。ならばお望み通りにいくとしよう。


「眷属化について訊きたいことがあるんだ。別にその女性の話も無関係じゃない」

「ほう」

「眷属化、わかるか?」


 そういうと頭領は首を振り、顔の血を払った。それから、顎でおれの近くを示す。これまでの道程で見てきたメタルクローの亡骸だ。


「それだろう」

「ああ。その様子だと、だいぶ苦労しているみたいだな」

「ふっ。まさか参陣しなかったツケをこういうかたちで払うことになるとはな」

「あんたらの借金については知らん。一つ説明していいか」


 頭領は首を傾げたが、先を促してくれた。おれは一息置いてから口を開く。


「眷属化っていうのは自我を失い、ただ無差別に獲物を狩る状態を指すわけじゃない。鬼従屍(グール)という方法もあるが、眷属化とはまったく違う。眷属化した生物は()となる吸血鬼の命令に従って行動するコマの一つだ」

「では、我々の縄張りにいるその人間の女が吸血鬼とやらの親だと疑っているというわけだ」

「理解が早くて助かる。重要なのは眷属が新たに眷属を作ることはできないということだ。そして眷属化した生物は親が死ねば動かなくなる」


 今度の頭領はすぐに返答しなかった。おれは頭領の思考がまとまるのをじっと待つことにした。


「どういうことですか?」


 背後からライアが尋ねてきたが、答えは頭領に語ってもらうことにしよう。


「確認したいことがある。どうやらお前は一つの前提に沿うように話を進めているようだ」

「いくらでもどうぞ」

「その眷属化の原因と我々メタルクローが敵対していると思っているだろう。なぜだ」

「事実だろう?」


 頭領がおれを睨んだ。小さく唸り声のようなものを上げ、それからフッと気が緩んだように表情を崩した。


「眷属化という事象に対して、我々はいうなれば被害者だ。匿ってなどいない。これは真実だ」

「そうだろうな」

「え、どういうことですか?」


 頭領の話に頷いたおれの後ろで、ライアはますます困惑の色を強めているようだった。


「小僧、先にはっきりさせておきたい。目的はなんだ」

「事態の収拾と解決。具体的にいおうか。集落の人間を守り、眷属と化したものたちを残さず消し去りたい」

「ほう……」


 相槌を打つ頭領はなかなかに表情豊かだ。驚きの表情と声音を特に隠そうとしている様子もない。


余所者(よそもの)が深く関わるとロクなことにはならんぞ。特にあの村はな」

「なんだ。その口ぶりだと、頭領もあの村の異様さには気づいているんだな」

「異様さ……?」


 ライアが首を傾げた。頭領は顎で先を促す。


「あの集落には武器がなかった」

「え?」


 おれの手に握られた小さな斧を見て、ライアは目線を上へと向けた。村の光景でも思い出しているのかもしれなかったが、あいにく彼女を待つ時間はない。


「魔物を追い払う聖水……すごいとは思うが、それだけで魔物に対する対策が完全にできているはずがない。メタルクローなんてそれが顕著だろう。おれがかわせる聖水を頭領たちが避けられないはずはないんだ」

「た、たしかにそういえば皆さん、松明は持っていても武器は持っていなかった気が」


 ライアがそういって眉をひそめた。


「え、だとすると、どういうことなんですか?」

「あの村を襲えなく(・・・・)なった時期は?」


 その質問に、頭領は豪快に笑った。そのときに一瞬顔をしかめたのを、おれは見逃さなかった。


「大丈夫か」

「お前が聞きたいのは質問の答えだろう。そうだな。正確な時期は把握できていない。ただ武装し自衛し、しかしできるだけ穏便に我々との共存を図ろうとしていた村の人間たちの様子が明確に変わった時期はたしかに存在する。なんせ村に脅迫を目的として近づいた息子たちが帰らなかった事件が起こったのだからな」


 息子たち。言葉通りに受け取るものではなく、おそらく仲間のメタルクローのことだろうが、その話だけでおれはこの地域の現状がなんとなく理解できた。そしてそれは他人事にしておいていいものではない。


「わかった、助かったよ。ありがとう頭領」


 やるべきことがはっきりとした。おれはそう考えて踵を返したのだが、


「待て!」

「ひっ」


 背後からの鋭い声に呼び止められた。心情を行動で示さないよう努めたおれに代わってビクリと体を震わせてくれたのは隣に浮くライアだ。


 声を漏らして顔を引きつらせた彼女に笑みを投げながら、おれはゆっくりと振り向いた。


「なんだ?」

「小僧、頼みたいことがある」


 用がないといっていたはずの頭領の言葉に、おれは疑問符を浮かべた。



 頭領と話した丘からさらに上へ。メタルクローの縄張りは坂を登った先にあり、地面を覆っていた草木はめっきりその姿を消していた。表面に露出した砂や岩のほうが、生い茂る草本よりはよっぽど安心できる。メタルクローが草を()んでいるのか、踏みに踏まれて枯れたのか、山火事にでも遭ったのか。


 理由はともかくとして、この足場ならば吸血鬼の能力なしでも星空と月明かりで充分歩けそうだ。


 おれはふと下を見た。傾斜は段々と急に、道は段々と狭くなっていくなか、おれたちを尾行しているかのような気配を感じたのだ。


「安心しろ。出口(・・)はちゃんと用意している」

「出口……って?」


 頭領がいった。まだわかっていないらしいライアに、おれは自分の背後を指す。


「後ろを()けられてる」

「本当ですか?」


 声を潜めて訊ねてきた彼女におれは小さく頷いた。それから前を歩く頭領に行き先を改めて問うてみる。到着の前にそれを知る権利はあるだろう。


「我々の同胞の多くが犠牲になった。若い衆には勝手にここから逃げろといったが、さて谷から出られたかどうかまではわからん。山に残っている正常なメタルクローは、最早ここに一人いるのみだ」

「頭領さん……」


 語る獣の後ろ姿にライアが同情心を含ませたような声を漏らしたが、おれはその言葉に引っかかりを覚えた。


「なんの話だ」

「ちょっとバネさん、水を差すような質問はやめてください。すべてを語らずとも頭領さんがいいたいことは……」

「一人だと?」


 ライアがいい終わらないうちにおれが問うと、頭領は笑みを浮かべた顔で振り向いた。


「小僧、お嬢さんの言葉は遮るものじゃない」

「えっ!」


 先ほどのウィスパーはどこへやら。頭領の言葉に悲鳴に似た声を上げたライアは、それまで近くを自由に浮きまわっていた体をおれの背後に小さく丸めた。


 その驚きも無理はない。おれもいまのいままでまったく気がつかなかったのだから。


「視えていたのか」

「ああ。この頼みも、そのお嬢ちゃんを見て決めたのだからな」

「ぼ、ぼくですか? な、なんで?」


 ライアは怯えた様子でおれの右肩から顔を覗かせている。頭領はふたたび歩き出し、おれもそのあとを追う。


「長く生きると珍しいものも多く見る。その姿の真意はあえて問うまいが、信頼するには充分な材料だ」


 先を進む頭領の言葉の意味がいまひとつ掴み難い。ライアのファントム――半透明の姿になにがあるというのだろうか。頭領はなにかを知っているのだろうか。


「着いたぞ」


 山頂へ続くであろう道の途中の洞穴。濃厚な獣の臭いがおれのもとまで漂ってくるそこは、おそらくはメタルクローの縄張りだ。奥行きはあまり無く、地面とほぼ平行な出入り口は高さも幅も一メートル強とかなり小さい。虎穴という言葉を具現化するとこのような空間になるのではないだろうか。


「手短に説明する。いいか。このまま先に進むと崖だが、絶壁というほどではない。高さはあるが、お前ならばそこを伝って下へと戻れる。背後の同胞(・・)はこちらで決着をつける」


 頭領がおれの目をまっすぐに見ていった。おれは頭領の言葉に頷き、縄張りの奥に視線を移した。


「それで、頼みは?」


 おれはその縄張りになにかがあると予想していたが、それがなにかについてはまったく見当がついていなかった。魔物の頭領が人間のおれになにかを託すという状況が特殊すぎて、まったく推測できていない。敵対している魔物が人間になにを託すというのだ。


「パパ!」


 だからおれは、頭領が託したいものが洞穴から出てきて、さらに頭領の首に抱きついたのを見て、それ(・・)に驚くしかなかった。ライアも声こそ出さなかったが、おれと同じように目を見開いて驚愕していることだろう。


「人間の……女の子?」


 メタルクローの縄張りに女の子を見たという噂を話す村長の声を思い出す。完全にホラ話と思っていた噂の真実を前に、おれは呆気に取られた。


 褐色の少女が、頭領に満面の笑顔で抱きついていた。

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