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「フィーナ、もうちょっと手加減してよ~」
「格好いい、フィーナ! 男の子組の負け! やったぁ!」
頬を膨らませる男の子達と、歓声を上げて飛び跳ねる女の子達。
鬼ごっこで捕まえた男の子達に、フィーナはにやりと笑ってみせた。
「孤児院の庭は、皆の庭よ。あんた達の主張通り、力の強い者が使う権利があるのなら、この場で一番強いのは私だから、私に決める権利があるってことよね?」
八人の少年達はばつの悪そうな顔をする。中には舌打ちをする子もいたけれど、フィーナが「反論をどうぞ?」と促すと、沈黙した。
フィーナは女の子達を振り返った。
「さあ、これで今週いっぱいの庭の使用権は女の子に決まったわね。皆、思いっきり駆け回っていいわよ!」
十人いる女の子達は顔を輝かせて、何をするか早速相談を始めた。と、四歳くらいの一番小さな女の子が進み出て、フィーナの服を引っ張る。
「……わ、私、男の子とも遊びたい。お庭の遊び、男の子の方が詳しい、でしょ?」
幼く、たどたどしい声に、その場にいた全員の動きがぴたりと止まった。
フィーナは満面の笑みを浮かべると、その小さな体をがばっと抱きしめた。
「レネット、いい子! 大好きよ」
やがて、騎士団の団員が数名、到着した。
王都にいくつかある孤児院への慰問は、平常時の騎士団の仕事のひとつだ。
子供達に曲芸師の真似事で拍手喝采をもらっているフィーナを見て、遅れてきた騎士達は慌てて庭に走り、子供達の相手を始めた。
フィーナは騎士を誘って剣舞を披露したり、全員で追いかけっこをしたりと、くたくたになるまで体を動かした。
「意地ってのはね、張った方が負けよ。相手を大好きな方が負け」
騎士長の奥方、小柄なレーヴィグは紅茶をすすりながらほほ笑んだ。胸には赤いブローチがひっそりと輝いている。
一方、彼女の対面のソファにだらしなく身を投げ出したフィーナは、ぼそぼそと呟いた。
「今、難しいことは言わないでください。もう指一本、動かしたくない……」
「無理しすぎよ。皆、疲れて寝ちゃったわ」
孤児院の院長でもある女性は、呆れたように肩をすくめた。
陽は傾き、もうじき夕方になる。本来、夕食を待てない子供達の騒ぎ声が廊下に響いているはずだが、孤児院の中は静まり返っている。昼寝の時間を大幅にオーバーしても誰も起きてこないのだ。
窓の外をのぞけば、新緑をたたえた大樹の根元に、騎士達がだらしなく伸びている。無尽蔵の体力を持つ子供達と全力で遊んだ彼らは、帰るのも億劫なほど疲れ切っているらしい。回復には、少しの休憩が必要だ。
「あなたがカイザードと一緒にいないなんて、天から卵が降ってくるかと思った」
「そうしたら、フライパンで全部目玉焼きにしてやります」
失恋を食べて消化できるのなら、それ以上のことはないと、自虐的なフィーナ。レーヴィグはくすりと笑った。
「珍しく、元気がないのね。あなたの取り柄は、常に自信満々なことでしょう」
「奥様、私のことをいったいなんだと……いえ、いいんです。聞きたくない」
落ち込んだ気持ちを見せまいと子供たちの前では気を張っていたけれど、人生経験豊富なレーヴィグには通用しない。それが少し悔しくて、安心する。
レーヴィグはそっと呟いた。
「いい子よ。あなたは。いつだって一生懸命で、前だけを向いて、頑張ってる」
優しい、優しい声。傷ついた心に染み入る声だった。
茶色い髪を後ろで一つにまとめたレーヴィグは、小柄でほっそりとしていて、見た目には守ってあげたくなる女性だ。だが、彼女の懐の深さにむしろ、守られていると感じることもある。
女騎士として慣れない騎士団の中にいて、女の味方がいるということが、どれほど心強いことか。彼女は騎士長を通して、時には忙しい合間を縫ってフィーナにあれこれアドバイスしたり必要なものを預けてくれたりする。小さな体に、たくさんの愛情と行動力が詰まった人なのだ。
「主人から聞いたわ。カイザードのことは諦めることにしたんですって? 彼に恋人ができたとか。騎士団はどうするの?」
窓の外から鳥の羽ばたきが聞こえた。フィーナはソファに頬を押し付け、くぐもった唸り声をあげた。
「……カイザードのそばにいられなくなったから騎士団をやめるなんてこと、無責任すぎてできません。第一私は、龍賊の襲撃で悲しむ人を一人でも減らしたくて、騎士団に入ったんですし……」
フィーナは一つ息を吐き、だらしなく伸びていた体を起こした。
くたくたに疲れ切った体は、鉛のように思い。子供達と遊んでいる間は、余計なことは思い出さずに済んだのに、体の動きを止めた途端に、頭はぐるぐると回り始める。
「……カイザードは悪くないんです。ただ彼に好きな人ができただけ」
「それがどうしたの。奪い取ればいいじゃない」
物騒な発言をするレーヴィグは、さわやかな笑みを浮かべている。フィーナは苦笑した。
「一年もそばにいて、一度も心を動かしてくれない相手に、これ以上どうすればいいのか、わかりません。それに」
ひとつ、息を吐く。
「私は……感情に振り回されるのが、もう嫌だなって思うんです。好きだって気持ちで突っ走って、それが叶えられないとがっかりするとか、そういう自分は嫌いです。だから騎士の仕事に邁進しようって決めたのに……あのとき、カイザードがどんな顔をしてたんだろうって、気を抜くとそればかり気になって」
どんな顔をして、フィーナの名を呼んだのだろう。
それを無視されたとき、どんな顔をしていたのだろう。
後悔しても遅い。
いや、そもそも離れようと決めたのだから、後悔すること自体、間違っている。
「あなたは本当に、カイザードのことが好きよねぇ」
レーヴィグは、かちゃりとティーカップをテーブルに置いた。フィーナは戸惑い、視線を揺らす。騎士長の奥方は、そっとほほ笑んだ。
「彼は悪くないっていうあなたのその気持ち、はたから見たら歯がゆいけれど、大事に取っておきなさい。好きだって気持ちも、諦めることも、あなたが本心からやめたいと思わなければ、そのままでいいと思うの。無理に隠す必要も、蓋をする必要もないんじゃない? もちろん、法に触れることはしちゃダメだけど」
遠くで時を告げる鐘が鳴っている。日差しが徐々に橙色に変わりつつある世界で。飾り気のない院長室は、騎士長の部屋と少し似ている。
黙ったままのフィーナに、レーヴィグは「だって」と神秘的な赤色の瞳を向けた。
「あなたは生きてる。望まずに命を落とした子供達と比べることはしたくないけれど、あなたにはまだ未来が残されている。命は限りあるものだから、いっぱい迷って、考えて、自分の望む道を選ぶ自由が、あなたにはあるのよ」
フィーナは緑色の瞳を見開いた。
上手く言葉にできない気持ちが、交互に胸の中を去来する。
その時だった。
幾重にも響く鐘の音が聞こえてきた。
ほぼ同時に、各所にある見張り台から怒鳴り声がした。
「南東の方角に、龍賊が飛来! 数は三!」




