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 青年は目を伏せ、祈るように言葉を綴った。

「龍賊討伐の剣を振るうのなら、負けるな」

 低く、水面をさざめかせる波紋のように、静かな鍛練場に声が響く。

「どんなに研鑽を積んでも人間は死ぬ。死なず、生き延び、人を守るのが、騎士の務めだ」

 カイザードは幾度も死線を潜り抜けてきた。

 彼が見送った騎士の数はきっと、両手では足りない。

 だからこそ、フィーナは彼の言葉の重さを思う。

「怖さを知っていれば慎重になる。慎重になればミスが減る。作戦も聞かずに飛び出して、返り討ちにあうようなこともない」

「ごめんなさい……」

 もう何度目かもわからない謝罪を呟き、フィーナは頭を下げる。


 あのとき助けてくれて、心配をしてくれた人々には何度謝ったことか。これからも、思い出されるたびに謝るだろう。

 いくら身体能力が優れていても、実戦で使い物にならなければ意味がないのだ。そして、実戦は戦略があってこそ。無鉄砲に突っ込むのは自殺と同じだと、騎士長に叱られた。

 誰かの身を守る前に、自分の身を守ることに精一杯では駄目なのだ。

 カイザードの隣にいることと、龍賊を討伐することは、フィーナの中で大事な二本の柱だったのだが、龍賊討伐についてより冷静に客観的に検証できるような気がする。

 それを「成長」と、呼べる日がいつか来ればといい。

 今はまだ、単なる「未熟な騎士」だけど。


 カイザードの右手が、フィーナの頭に乗った。フィーナより一回り大きな、見た目よりごつごつとした固い手は、癖のある少女の小麦色の髪をつまんで遊ぶ。

 自分の髪とは違う、柔らかくて手触りの良い髪に興味を惹かれたようだ。

 くすぐったくて、甘い時間に、もうこのまま時が止まってしまえ、と思う。

 だが、そろそろ、朝から活動したい騎士達が、鍛練場に来る時間だ。


 離れがたいけれど、離れるべきかとフィーナが考えたとき。

 カイザードが口を開いた。

「龍賊を殺すとき、俺は必ず空にいる。俺には龍賊の襲撃がわかるから」

 以前、彼自身の口から聞いた。

 理由はわからないが、だからこそ一番先に龍賊が現れた場所に立てる、と。

 英雄と、なるべくしてなった、龍賊討伐の希望。

 フィーナは思わず顎を上げ、カイザードを見上げた。

 白にも見える長い睫毛に縁どられた瞳は、フィーナをじっと見つめていた。

「俺は戦闘中に仲間が空のどこにいて、どう戦っているかを把握するのも得意だ。視野の広さに驚かれたこともある」

 確かに、前回の龍賊戦でフィーナがガーディアンから投げ出されたとき、カイザードはすぐに助けてくれた。

 足場の不安定な空中で、自身も戦いながら、その視界の端で常に状況把握を行っているのだとしたら、とんでもない能力だ。

 思わず感心のため息をついたとき。


「フィーナが危なくなったら、俺が助けに入る。だから、安心して戦えばいい」


 絶対的な自信から出る、とても甘美で、魅力的な囁き。

 龍賊を目の前にした場面で他人の戦いの心配が出来るなんて、他の騎士にはマネできない離れ業だ。


 ……でも。

 でも。


「ごめん、今の、なしにして」

 言葉の意味が頭に浸透すると同時に、フィーナはカイザードに預けていた体を起こした。


 背中に感じていたぬくもりが、離れたことで遠くなっていく。

 それでも。

 フィーナは体を捻ってカイザードの端正な顔を覗き込んだ。

「ごめん、ごめんね、私、甘えてた。そう言わせたかったわけじゃないの」

「甘えていない。お前は自分に厳しすぎる」

 きっぱりと言ってくれるカイザードの真剣な眼差しが嬉しくて。

 だからこそ、甘えられないと背骨が無意識にぴんと伸びる。

「誰かに支えられなきゃ戦場に一人で立てないなんて、足手まとい以外の何者でもないわ。私、私は、戦うために騎士団に入ったんだから、騎士の本分をまっとうしなきゃ」

 フィーナの大きな瞳は、窓から差し込む光を浴びて鮮やかな碧色に輝いていた。

 その細い体はカイザードの両腕に収まってしまうけれど。

 心も体も、誰かの助けが必要な存在と、思われてしまうのは嫌だ。

 フィーナはぐっと眉間に力を入れた。


「無理をするな。お前は実戦経験が少ない」

「もし、それでも!」

 カイザードの平坦な声を、フィーナは強い声で遮った。

「それでも、龍賊を怖いと思ったら……足手まといになるってわかったら、後方支援に回る。やれることはいっぱいある。ガーディアンの整備とか、寮の掃除や、食堂で働くのでもいい。動く龍賊が駄目だったら、龍賊の墓場なら大丈夫だと思う」


 だから、とフィーナは足に置いたこぶしを握りしめた。


 吐息が震える。

 でも、カイザードから視線は逸らさない。

 負けたくないと思った。

 自分が作り出す夢なんかに怖気づいて龍賊を討伐できなくなれば、それはもう、奴らの思うつぼだ。


「カイザード。私はあなたに憧れてここにいるけど、それはあなたと共に戦いたいからなの。誰かを守ってばかりいるカイザードも、私は、守りたいの」

 青年の瞳が、驚きを示して何度も瞬く。

「お前が、俺を?」

 おそらく、常に強者の位置に立つカイザードに向かって、そんな発言をする人間などいなかったに違いない。

 それこそが、フィーナの体に火をつける。

 彼の魂に、フィーナという存在が丸ごと刻まれればいい。

 絶対に、何があっても忘れないように。

 無関心ではいられないように。


「そうよ。誰にもできないことを、私がするの。もし、戦いで隣に並べなくても、私は私のやり方で龍賊に抵抗するし、あなたを守るつもりよ。だから、ずっと、私を見てて。見てるだけで、手出しはしないで」

 決意を込めて宣言し、くるりと体勢を替えてカイザードに再び背中を預けた。

 あったかくて広いカイザードの懐は居心地がいい。

 ずっとずっと、こうしていたい。

 高ぶった胸の鼓動が、耳元でがんがんと鳴っている。


 言葉にして初めて、気持ちが明確になった。

 悪夢になんて、怯えていられない。

 立ち止まってなんか、いられないのだ。


 フィーナが意識して深呼吸をした、そのとき。

「期待はしない。ただ……」

 小さくなった声が、そこで途切れた。

 言葉で促すよりも、と頭をぐりぐりと胸に押し付けると、苦笑するような吐息と共に、

「お前の死体は見たくないな」

 フィーナはがばっと顔を上げた。

 斜め下から見るカイザードの長い睫毛は伏せられ、困ったように少女を見つめている。

 腹に回されたカイザードの腕を、フィーナはぎゅっと抱きしめた。

 応えるようにカイザードの腕に力が籠る。


 少女の唇が、ふっと解けた。

「私はしぶといのよ。カイザードにすげなくされても、隣にずっといるでしょう?」

 若草色の瞳をきらりとさせたフィーナに、カイザードの口がむ、と曲がった。

「すげなく、はしていない」

「してました。でも、いいの。今は、こうして私を心配してくれるし」

 ふふ、と零れてしまう笑みに、肩を竦めた時。


「お前ら、何してるんだ」

 入口から声がして、修練服を着た顔なじみの騎士が入ってきた。

 フィーナは思わずびくりとする。

 カイザードは平然と顔を向けただけだ。

 鍛練場の隅っことはいえ、人が来ても気にすることなく同じ体勢を貫いてくれるカイザードに好感度が爆上がりしながら、フィーナはとっさに、

「私専用のソファに座っているだけだけど、何?」

 ……相談に乗ってもらっていたとは恥ずかしくて言えず、変なことを口走ってしまった。

 途端、くっついている体に振動が。見ると、カイザードが俯いて、声を殺して笑っている。

「そ、ソファ……」

 そのものすごく貴重な場面に立ち会った騎士は、後ずさりして階段を踏み外して後ろ向きに転んでしまった。

 フィーナはものすごく恥ずかしい。

「カイザード、あの、その、あのね、ごめんね」

「いや、いい」

 身軽に立ち上がったカイザードと共に、背中に感じていた熱は去っていったけれど。

 目の前に差し出されたと思った大きな手が、フィーナのおろした金髪をひと房すくい、そっと口付けた。

「ソファになれて、光栄の極み」


 その悪戯っぽい笑みを宿した瞳に。

 フィーナは何度目かの恋をした。



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