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第二殿下の案内役も、残り二日。忍耐力を試す訓練だと思う日々も、もうすぐ終わる。
でも、もうすぐ……が、長い。長すぎる。とにかく、アレクシスが面倒くさ……求愛がうざ……ちょっと大人しくしててほし……駄目だ、何を言っても殿下をけなしているようにしか聞こえない。
アレクシスの「諦めない」宣言以降。武器庫では絶対に知っているはずの使用武器の基礎や保管方法まで事細かに聞いてくるし。騎士長の執務室では長々と、フィーナの素晴らしさを語ってディーノ騎士長に生ぬるい目を向けられるし。とにかく、フィーナとの(ありえもしない)仲を見せつけるようなことばかりしてくる。
体を鍛えに来た騎士がいる鍛練場ではせめて目立つ行為はやめてほしい、と言ったら確かにその通りにはなったのだけれど、鍛練場を一歩外に出た途端に、他の人が目に入らない様子でフィーナに話しかけてくる。
ちなみに、鍛練場でたまたま居合わせた騎士に「フィーナに格好いいところを見せたいから」というくだらない理由で手合せを願い出て、貴人を攻撃することなどできない騎士から勝ちをもぎ取ってフィーナに自慢そうな顔を向けた……ので、安全に配慮して投げ飛ばしてやった。アレクシスは驚きつつ、両手を叩いて喜んだ。もっとも、近衛兵からはものすごく怒られたけど。
おまけに、アレクシスは近衛兵を遠ざけ、フィーナと二人で歩こうとする。
「ちょっと、あと五歩くらい離れて歩いてくれる? 邪魔」
「そんな言葉、今まで生きてきて一度も言われたことがないな。もう一度、言って」
「……今、ぞわっとした」
「いいね、その眼差し」
「怖っ、マジで怖っ」
そんな会話をしていても、誰にも聞こえない。
少し離れた位置からアレクシスを守る者達、いや、それ以外の者達も、二人が寄り添って歩く姿に口を出すような野暮はしない。むしろ、下手に「本日はお帰りの時間です」などと発言したら、殿下の不興を買うと誰もが承知してしまっている。
あの日取り逃した暗殺者は結局わからずじまいで、以後の攻撃はない。
どこからか狙われているかもしれないという緊張感と、面倒くさいアレクシスにほどほどに礼儀正しい態度で接しなければならないという使命感。(既に礼儀正しさはどこかへ放り投げてしまっている感もあるが。)
こんなの一生体験しなくていい、とフィーナは今回の任務を命じたディーノ騎士長に呪いを飛ばすのだった。
夕食を終え、風呂もすませて部屋に戻る。
生活に必要な衣類と少しの荷物が、ベッド脇のチェストに入っているだけの簡素な部屋だ。
それでもフィーナにとって、生まれて初めて得られた自分だけの部屋。
それなのに。
途方もなく長い夜を過ごすのが、こんなにも億劫だと感じる日が来るとは思わなかった。
藍色の空に、金の光が一筋差す朝。
「あ、カイザード! おはよう。なんだか久しぶりね」
鍛練場で柔軟体操をしていたフィーナは、入口に立つ人物に気づいて顔を輝かせた。
明かりもつけていない半地下の鍛練場の中は薄暗い。それでも、すべてが完璧に整っているカイザードだけはその細部まではっきりと見える。
腕の出た白い修練服姿のカイザードは、軽く手を上げると鍛練場に足を踏み入れた。
灰色の瞳は、狼のように暗闇の中でも鋭く光ってフィーナを捕える。
フィーナは立ち上がり、カイザードを迎えた。
「最近は本当に会わないね。ガルシアも。他の騎士に聞いたら、二人とも連日、西区に駆り出されてるって言ってたわ。今日は休み? 無理してない? ちゃんと食べてる?」
はしゃいだ声になるのは許して欲しい。だって、十日ぶりのカイザードなのだ。頭の中で毎日、どれほど思い描こうとも、目の前にいる本物にはかなわない。
「お前は、どうなんだ」
隣の邪魔にならない位置に座り、足の筋肉を伸ばしつつカイザードが問う。
フィーナは思わず動きが止まってしまった。
問う、ということは、関心を向けてくれているということ。あの、カイザードが。最近では割とフィーナのことに興味を持ってくれることがあるとはいえ、不意打ちで尋ねられると心臓が跳ねる。
しかし、すぐに平静を装ったフィーナは「え?」と首を傾げ、
「休みのこと? 今日は朝食後にまた殿下のお世話だよ。もう、本当に我儘で」
「そうじゃない。いつから眠れてない」
床に手をついて、柔軟に戻ろうとした体は中途半端な姿勢で止まる。
沈黙は、誤魔化しようもなく、重く。
固まった笑顔のまま、フィーナはそろそろと顔を上げた。
外から朝を歓迎する鳥達の元気な囀りが聞こえてくる。風の音は聞こえない。
窓から徐々に差し込んでくる光に、カイザードの端正な顔が照らされていた。
それがあまりにも神々しくて。
フィーナは必死に動かない頭をフル回転させた。
「あ、あー、そうねっ、今日は、たまたま、眠れなかったから。部屋にいても暇だし、」
「俺が入口に立つまで気づかなかった。今まで、一度もそんなことはなかった」
断言された、その意味を悟って、フィーナは一瞬で顔を赤くした。
確かに、フィーナはカイザードが近くにいればすぐに気付いて必ず振り向く。蜜に群がる蜂のようにカイザードに引き寄せられてしまうのだ。理屈じゃない。
それは、つまり……カイザードのことを好きすぎて、気配だけでも気づいてしまうから。
それを、まさか、本人に指摘されるとは思わなかった。カイザードにその意図はない、のかもしれないけれど。
「き、今日は、たまたま注意力が散漫で」
「目の下に隈もできている。一日、二日の寝不足ではそうならないだろう。何かあったのか」
質問を重ねてくれている。
何度でも言うが、あの(・・)カイザードが、だ。
淡々と、それでいて気遣う響きを帯びた声に、フィーナはこくりと喉を鳴らした。
他人を気遣ってくれるなんて、何事にも無関心で名前さえ覚えてくれていなかった頃からしたら、格段の進歩。
でも。
だからこそ、カイザードに言うのは。
「カイザード、私はだいじょ」
「大丈夫かどうかは、俺が決める」
強引な口調のくせに、その表情は今までになく心配そうで。
体を起こし、床に胡坐をかいて座ったカイザードが、フィーナを正面から見つめるから。
フィーナの中で閉じ込めていたものが。暴れ狂って無理やり閉じ込めていた感情が。檻をきしませ、少しずつ外に漏れ出してしまう。
「……夢を、見るの」
重い体で体勢を変えて座りなおし、曲げた両膝をぎゅっと両腕で抱きしめた。




