13 聖ウィルフルの贈り物 2
「フィーナ」
王騎士団所属の証明である紋章付きの紺色のマントを翻した彼の歩く姿は、それだけで絵になる。一年で最も日差しの暑い季節になったというのに、カイザードの表情は涼しいものだ。
カイザードの姿を認めた途端、フィーナは飛び上がって騎士長の後ろに隠れた。まさに今、彼のことを相談していた後ろ暗さと、まさかとは思うが騎士長の前でキスをされるのではという警戒心ゆえだ。
カイザードの灰色の瞳が眇められる。
ただそれだけで、無言の圧と張りつめた緊張感が場を支配する。
しかし、彼が言葉を発するよりも先に。
「おい、カイザード。フィーナがお前のことで悩んでいるらしいぞ」
「ちょ、ちょっと、騎士長!」
フィーナは慌ててディーノの制服を引っ張る。騎士長は肩をすくめて、
「こういうのは、正面切って話をした方が早いんだ。面倒くさがるとこじれるぞ」
「面倒くさいわけじゃ」
「フィーナ」
言い返そうとした少女の声を、硬質なカイザードの声が遮った。
おそるおそる顔を上げれば、いつもの凪いだような無表情がそこにはある。だが、どこか不機嫌を湛えている、ような……。
フィーナは腹を括った。どうせこの状況から逃げ出すことはできない。ディーノ騎士長もいることだし、何かおかしなことがあれば彼が止めてくれるだろう。
騎士長の後ろから一歩前に進み出て、フィーナはカイザードをそろそろと見上げた。
「カ、カイザードはどうして急に、今朝から私に、キ、キスをしようと思ったの?」
自分で言ってて、顔から火が出るかと思った。声がみっともなくひっくり返って、叫んで逃げ出したくなる。
カイザードは平然と答えた。
「しようとしているが、お前が意外にもすばしっこくて、一度もできていない」
「そうじゃなくて!」
もどかしげに首を振るフィーナに、長い睫毛を瞬かせたカイザードは、ああ、と呟き、
「ロロナに相談したら、『フィーナが一番喜ぶものは、キス』だと言うから」
沈黙が、落ちた。
騎士長の、ごくりと喉を鳴らす音だけが異様に大きく廊下に響いた。
ロロナとは、フィーナがサーカスにいたときの悪友だ。確かに幼馴染みで長い時間をサーカスで共有してきた相手なら、フィーナの好みも熟知している。
だが。
今日は何の日? ……そうか。それで、か。
「……はあぁぁぁ?」
腹の底から低音の声が出た。
額に手を当て、俯いたフィーナはそれ以外に言葉が出ない。
一方、慌てたようなディーノ騎士長が、
「か、カイザード。それは……いや、どうして唐突にロロナ嬢に相談するに至ったんだ」
カイザードは至極、何でもないことのように淡々と答える。
「聖ウィルフルの日に贈り物交換をしようとフィーナに提案された。今日はその日だ」
「そうか。それでか」
ようやく合点がいった騎士長が、にやにやしながらフィーナを見おろし……瞬時に、顔をひきつらせた。
その口髭が動くより先に、フィーナは薄紅色の唇を吊り上げる。
「……カイザード。どうしてロロナに相談したの?」
「どうせ贈るのなら、お前の気にいる物がいいと思った。俺はそういうことに疎いから」
「自分のことを知っていて何より。それで、どうしてロロナに?」
「お前のことを一番知っているのは彼女だろう」
平然と答えられて、フィーナの中で何かが爆発した。
「私のことを一番よく知っているのは、私よ……!」
頭の高い位置で結んだ金髪が勢いよく跳ねるほど、がばっと顔を上げてフィーナはカイザードを見上げた。
「カイザード、手合せを願うわ。それが、私への贈り物。私、それがいい」
「……そんなこと、いつでも」
「いつも手加減するじゃない。男の騎士にするように、私にも手加減なしに稽古をつけてよ」
「だが、お前は女だ」
「女だけど、騎士よ」
間髪入れずに言いきられて、さすがにカイザードの眉間に皺が寄った。
フィーナは一歩も引かない構えで、まっすぐにカイザードの目を見つめた。瞳に強い決意が滲んでいることを願いながら。
「……考えておく」
「おい、カイザード」
「騎士長は黙っててください」
フィーナの若葉色の瞳がぎらりと光る。
騎士の中で一番偉いはずの男は、思わず何度も頷いた。
ロロナが選んだ贈り物? 冗談じゃない。
そこに自分が願うカイザードの意志は入っていない。
だったら、そんなもの受け取れない!
「用意っ」
鍛練場で、声と共に構えを取る。
正面に立つカイザードは、簡素な修練着からでもわかる。バランスよく筋肉のついた体は美しく、立っているだけで視線を集めてしまう。
一方のフィーナも修練着だが、かっちりとした騎士の制服でない分、カイザードと対比すると体の細さが際立つ。それはしなやかではあるが、明らかにカイザードとは筋力に違いがある。
通常の騎士相手なら、フィーナの方が実技成績は上だ。ただ、カイザードは無二の英雄。それも、努力を怠らない天才だ。
英雄カイザードと唯一の女騎士フィーナの対戦。それも、カイザードの手加減はなし。
こんなに話題性のある対戦はない。鍛練場には騎士達が詰めかけ、適度に離れて人の壁を作っている。
蒸し暑い鍛練場は、今、水を打ったように静まり返っていた。
「はじめっ」
ガルシアの掛け声と共に、真剣勝負の手合せは始まった。
二人とも、きちんとした体術訓練を受けて育ってきたわけではない。
下町で育ったカイザードは、我流の中に騎士団で学んだ基礎を組み合わせて動くので強い。対するフィーナは、サーカスで培ったバランス感覚と、自分の身は自分で守るしかない環境で実践的に身についた動きがある。
互いに数秒、にらみ合った後。
フィーナは勢いよくカイザードに向かって走る。腰を落として構えの姿勢を取ったカイザードに、正面から素早い動きで手刀と蹴りを繰り出した。カイザードは難なくそれをいなし、逆にフィーナの腕を捕まえようと手を伸ばす。
その手を絡め取って足払いをかけようとするも再びかわされて、逆に肩を掴まれてそのまま床に膝をつかされそうになる。
カイザードはたまにフィーナの手合せに付き合ってくれる。
その経験上、次に相手がどんな手を打ってくるのか、直感的にわかる。どうすれば避けられるのかを、本能が察している。
だから、わかった。
(カイザード、本気を出していない)
いざ龍賊を目の前にした時の動きと、まるで違う。
二人の動きは阿吽の呼吸のように、互いに技を繰り出してはかわす、の繰り返し。その流れるような動きは演武にも似て、きっと王侯貴族が見ていたら拍手を送ったに違いない。見ている騎士達からも、どよめきと感嘆のため息が溢れている。
でも、違う。
大好きだけど。
大好きだから。
フィーナは他の誰よりも今、カイザードに、目の前にいる自分を見て欲しかった。
腕を伸ばし、カイザードが自分を捕まえようとする動きに合わせて、素早く彼の肩に手を置く。少女はカイザードの腕をすり抜け、強く地面を蹴った。半円形を描き、カイザードの背後へ着地するつもりで。
そして一瞬だけ至近距離に迫ったカイザードの鋭い視線を受け。
フィーナはカイザードの耳を舐めた。
意表をついてできた隙に、背後から首を狙って引き倒そうと思ったのだ。
人間は正面からの攻撃は強いが、背後からは手出しができない。
普通の騎士なら、体格で劣ってもそれを逆手にとって勝てる自信ある。だが、カイザードには通用しないと今までの手合せでわかっている。フィーナにできる対抗策は、奇襲しかない。
狙い通り、フィーナがカイザードの背後に着地する直前、彼は驚いたように首を横に倒した。
が、次の瞬間。
目を開いていたのに、何が起こったのかわからない。
わかったのは、視界が回転したことと、背中から全身に広がった衝撃、目の前に広がる木製の天井だけだ。
鍛練場が揺れた。そう勘違いするほどに大きな歓声が沸き起こった。
「今の、何だったんだ!」
「フィーナの軽業もひと蹴りでよく飛んだが、あれってカイザードの力技だろ!」
「カイザードはやっぱり強いな!」
口々にカイザードを称賛する声がまとまった音として大音量で響く。
呆然と天井を見上げるフィーナに、膝をついたカイザードが右手を差し出してきた。
「悪い。手加減できなかった」
フィーナはじっと右手を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「……手加減なしって、約束したのに」
カイザードは無表情のまま、右手を下げた。
「考えておくと言っただけだ。だがやはり、自分より非力な相手に手加減なしの力をふるうのは、暴力だ。それはできない」
きっぱりと言い放たれて、フィーナは何も言えなくなる。
わかってる。
カイザードは、そういう人。
だから、好きになった。
でも……一抹の希望というか、自分だけは特別で、希望を聞いてもらえるんじゃないかって、少しだけ勝手に期待していた。
「おい、フィーナ。大丈夫か? 床に落とされる直前にカイザードが力を緩めた感じがしたが、起き上がれないくらい、背中を打ったか?」
非番なのに審判役を押し付けられたガルシアが、心配そうな顔でカイザードの横からフィーナの顔を覗きこむ。
未だざわめいている鍛練場で、フィーナは「もう~~~~!」と叫んだ。
背中なんて痛くない。カイザードの大きな手が、床に落ちる直前にフィーナの背中に当てられて衝撃を逃がしてくれたのはわかってる。
フィーナは唇を引き結んで勢いよく立ち上がった。
二人が同時に自分を目で追うけれど、それに応えることなく壁際の荷物置き場にすたすたと向かい、用意してあった物を掴んでカイザードの前に戻った。
「これ、どうぞ」
袋ごと突き出すと、立ち上がったカイザードが目を瞬かせて受け取った。
「開けて」
命令すると、彼は素直に従って、袋の中身を取り出す。
中には、修練服が入っていた。
今着ている物よりも通気性が良く、洗ってもごわごわしない素材で作られた服だ。しかも、最近発明された糸を使って作られているので、丈夫で長持ちするらしい。
縫い師のおばさんが特別に作っているのは知っていた。でも、結構値が張るので、出来たら他のもうちょっと安い物で……と思っていたのは内緒だ。最終的に、カイザードが喜んでくれる様子を想像して奮発した。
「これ、相当いいもんだろ」
横から覗き込んだガルシアが、布を触って驚いたように「ほう」と唸る。
カイザードの視線がちらりと向けられ、フィーナは肩をすくめた。
「これが私からの贈り物。最近、騎士の皆の手合せに付き合っているでしょ。修練服、結構くたびれてきてるなって思ってたから。それだと邪魔にならないでしょ。使ってね」
「カイザード、お礼」
何も言わないカイザードに、ガルシアがその背を叩いて促してくれる。
「……ありがとう」
低く艶のある声は、少しの戸惑いを含んでいるような。
でも。よく考えてみれば今までだってフィーナのすることはほぼ黙認だったな、と思い出す。
ひと月前までは、ちょこまかと隣にくっついてくるフィーナのことなど無関心だった。
フィーナをフィーナとして見てくれるようになったのはつい最近のこと。
だから、聖ウィルフルの贈り物交換に乗ってくれただけでも、ありがたいことだ。
恋する心は際限がなくて、カイザードの心をもっと、もっとと求めるけれど。
貪欲になってはいけない。
嫌われたくはないから。
そう思ったら、すっきりとした。
フィーナはカイザードとガルシアに笑いかける。
「贈り物交換は、これで終わり! 手合せ、ありがとう。負けたのは不本意だけど、今度はもっと策を考えるわ。さ、帰りましょ。騎士長やお偉いさんたちが仕事しろって怒鳴り込んでくるから」
周りを囲んでいた騎士達も、それぞれ出口へと向かって移動を始める。中には、今の手合せを再現しようとして、したたかに背中を床に打ち付けている者もいる。
ざわめきは、一気に日常へと戻る合図だ。
フィーナは大きく伸びをして。くるりと振り返ってカイザードを見上げる。と。
影が差し、とんっと唇に柔らかいものが当たった。
「え」
呼吸が、止まった。
騎士達のざわめきが不自然なほどに鎮まり、近くにいたガルシアが息をのむ気配がする。
皆の注目を一身に集める国の英雄は、我関せずにすっと出口へ向かう。
「カ、カイ……?」
呆然とするフィーナに、カイザードは振り返って、
「したかったから。怒るなよ」
右手で持った新品の修練服を軽く上げて見せ、そのまま出口の向こうへ消えていった。
特上の微笑を浮かべて。
騎士達の怒号のような叫び声が、鍛練場に満ちたのは言うまでもない。
後日、カイザードに手合せを申し込む騎士が殺到し、鍛練にならないとカイザードは騎士長から鍛練場の出入り禁止を言い渡された。
フィーナはしばらくカイザードにどんな顔で会えばいいのかわからず、ガルシアを伝言役に仕立てていたら、そのうちしびれを切らしたカイザードが「お前は俺のそばにいろ」と人の集まる食堂で言い放つものだから、再び噂が駆け巡ったことは言うまでもない。
そして……しばらくして、フィーナに色とりどりの豪華な花束が届けられた。花屋が重そうに運んできたそれには、送り主の名前はなかったけれど。
カードには見慣れた文字で「贈り物の仕切り直し」と書かれていたから、それで十分。
むしろ、先日の手合わせで贈り物は終わったと思っていたから、予想外のことに心の底から驚いた。
時間が空いたのは、きっと一生懸命考えてくれたせい。
ほとんどのことに無関心な彼が時折見せるその真面目さが。
やっぱり好きだと花束を抱きしめてフィーナは思った。
【了】
ありがとうございました。




