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「私をサーカスに……戻す……」

 フィーナは呆然と呟いた。

「どうしてそんなこと……私、邪魔だった? カイザードにまとわりついて、本当は、消えて欲しかった?」

 自分で言って、惨めになった。みるみるうちに涙で視界がぼやける。決して涙もろい質じゃないのに、カイザードには泣かされてばかりだ。


「そうじゃない!」

 カイザードは珍しく慌てたように一歩、足を踏み出した。広いとは言えない屋根の上で、二人の距離がぐっと縮まる。

「ただ……サーカスで演技をするお前はとても……活き活きして見えた。騎士団は血なまぐさいことも多いし、男ばかりだ。……騎士団にいるよりもずっと、サーカスにいた方が、お前にとっては幸せなのではないかと」

 何度も視線を宙にさまよわせ、時にもどかし気に手を開いたり閉じたりしながら、カイザードは言葉を紡ぐ。

 制服の裾がはためく。燦燦と降り注ぐ太陽の光を、一直線に飛ぶ鳥が遮り、一瞬だけ視界が陰った。

「思いついたときは、いいアイディアだと思った。騎士長の奥方に贈り物をするお前を見て、そういう感謝の表し方もあるのかと、思って」

「か、感謝?」

「……お前がうるさいくらいに横で話をするから、世間で何が起こっているのかを把握できた。俺がいかに騎士団で孤立しているのかも知れたし、何度か、騎士団員との仲介役を買って出ていてくれたのは知っている」

 何ごとも、カイザード中心に行動していた結果だし、好きでやっていたことだから、そんな……感謝だなんて。

 そう思いつつ、言葉にならない。口を挟めばカイザードがしゃべらなくなるのではないか、と思って。


「俺は……俺に近づく人間のすべてを覚えきれない。誰かひとりを忘れるのなら、全員を覚えない方が誰にも失礼にならない。あのゴミ溜め場から出ていくとき、長老達から、そう教わった」

 カイザードはぐっと眉間にしわを寄せた。

「だが、お前は例外だった。一年もそばにいて、いくら俺がそっけなくても諦めない。色々と気づかせてももらった。だから……騎士長の奥方の贈り物を見て、初めて俺も、そうしようと思った。それに、買った後のお前はとても嬉しそうだったから、どんな気持ちになるのかと思って……」

「カイザード……」

「だが……あの娘と話がついて、いざ喜ばせようとしたら逃げられた。何度も。俺が何かしたのか、原因がわからなくて、俺は……生まれて初めて、誰かに振り向いてほしいと思った。フィーナが傍にいることは、当たり前のことではなかったんだと思い知った」

 驚きすぎて、心臓が止まりそうだ。

 率直に語られるカイザードの心境には、本当にもう、「ごめんなさい」と言うしかない。


 勘違いだった。

 全部フィーナの勘違いで、それどころか、カイザードはフィーナのことをすごく考えてくれていたのだ。

 嬉しくて、嬉しくて、体が爆発しそうだ。

 カイザードが好きだという気持ちが、こんこんと湧き出てくる。

 こんなことを彼が考えていたなんて、今まで知らなかった。

 龍賊の全身を覆う、ぴたりとあわさった二枚鱗のように、普段はくっついていることの多い口は今、フィーナに伝わるようにと、懸命に言葉を選んでくれている。フィーナのことだけを、考えてくれている。

 

 フィーナはぐい、と乾きかけた目元をぬぐった。そして、心配そうな色を浮かべたカイザード灰色の目を見つめ返した。

「ありがとう、カイザード」

「……何が」

 問われ、フィーナは微笑んだ。

「私のことを考えてくれたこと。本当は、全部私に話してから、行動に移してほしかったけれど」

 安堵にスキップしたくなる気持ちを抑え、フィーナは背筋を伸ばした。

「私は、サーカスには戻らないわ」

 はっきりと告げる。カイザードの目が僅かに見開かれた。

 相当、驚いている。

「理由が必要? 私、サイラシード騎士団という居場所が気に入っているの。龍賊に対抗する唯一の機関だし、女騎士の先駆けとして、これからできることはたくさんありそう。それに最近は、いろんな騎士と話す機会があって、面白い人がいっぱいいるんだってわかったばかりよ。まだまだ、話し足りない人だらけだわ」

 いつもと同じ、勝気な自分を演出して、「それに」とカイザードの胸に、人差し指を突き付けた。

「何より、私の憧れであり、大好きなカイザードの傍にいられるんだもの。文句なんて、一つもないわ」

「……だが俺は、お前のように人に誇れるものは何もない」

 フィーナより頭一つ分背が高く、ずっと体格のいい青年は、途方に暮れたように呟いた。


 心の中で騎士長の妻、レーヴィグが囁く。

『意地ってのはね、張った方が負けよ。相手を大好きな方が負け』。

 ああ、そうだ。完敗だ。

 気持ちをごまかして諦めようだなんて、そんなこと最初から無理だったのだ。

 だってこんなにも、フィーナはカイザードのことが好きなのだから。


 フィーナはにやりと笑うと、腰に手を当てた。

「一年前、私は育ての親を龍賊に殺された。カイザードは多くの龍賊を倒してくれた英雄。それだけで私はあなたを尊敬する」

「俺は単に目の前の敵を倒していただけだと何度も」

「わかってる。でも、私も自分の実力はわかってるつもりよ。その『だけ』っていうのがいかに難しいか。カイザードがどのくらい鍛錬して、その力を維持しているのか、自分が騎士になって初めて知ったわ」

 努力する天才には誰もかなわない。それを知ったときは、夜も眠れないくらいに興奮した。

 強引にカイザードの言葉を遮ったフィーナは、緑色の瞳をきらめかせた。

「それに、騎士団の給与は悪くない。私、お金をためて孤児院を増やしたいの。今は親がいない子で孤児院に行けるのは、半分ほどしかいないでしょう」

 深く息を吸って、微笑む。

「国王の許可を受けた孤児院なら、ちゃんとした教育が受けられる。親がいなくても楽しく生きていけるんだってことは、私自身が証明する。そうして育った優秀な子達がいつか、龍賊がどうして浮島を狙うのか、解明してくれるといい。龍賊討伐に力を貸してくれるかもしれない。ね、これが最終目標。なかなか理想が高いでしょ」

 自分でも、つい最近まで考えもしなかった野望だ。

 カイザードと離れたことで、いろんな人と話す機会が増えた。考える時間もたくさんあった。自分がやりたいこと、やるべきことを見極めるのに、一時的とはいえ彼と離れたのは、必要なことだったのだ。

 一生懸命、フィーナのことを考えてくれていたカイザードには申し訳ないけど。


 しばらくその言葉をかみしめるように黙っていたカイザードは、静かに口を開いた。

「やはり、お前とは世界が違う。俺は龍賊を倒すことしか考えたことがなかった」

 フィーナは首を振った。

「カイザード、私はここに、あなたは私の目の前に立っている。私たちの世界は一緒よ。それに、カイザードは龍賊は倒すことができる。騎士にとって一番重要なのは、それでしょ」

 カイザードが小さく口を開き、ぐっとこぶしを握ったのがわかった。

 彼の感情を揺らすことが、こんなにも誇らしく感じるなんて。

 そんな日が来ることを、想像したことはあったけれど、まさか現実になるとは思わなかった。

 フィーナは満足げに笑う。

「それに、私の魂は自由なの。サーカスに出たかったら出るし、カイザードのそばにいたいと思ったら、あなたが嫌だと言ってもくっついているわ」

 覚悟してね。

 ウインク付きで見上げると、カイザードの纏う空気がふっと緩んだのがわかった。肩の力が抜けた彼は、ただかみしめるように短く呟いた。

「そうか」

 笑った。

 何事にも無関心、無表情のカイザードが。

 きりっとした眦が少し垂れ、細めた瞳の奥がきらりと光る。口角が上がった、その優しい笑みに、視線を外すことができない。めったに笑わない男だからこそ、その笑顔の価値は計り知れない。


 少女はうっとりとカイザードを見上げた。そして、つい口癖が零れ落ちる。

「カイザード、好きよ」

 青年騎士は腰にはいた剣に手を当て、次いで頭に手を当てると、そっと腕を伸ばしてフィーナの頬を軽く撫でた。乾いた、大きな手の感触に、フィーナはびきっと固まる。

「俺の負けだ。フィーナ、これからも俺のそばに」

 

 遠くで鐘が鳴る。時を告げる鐘の音は、幾重にも響き、空高くに広がっていく。


 カイザードは目を細め、ふっと息を吐くとくるりと踵を返した。その表情は、誰にも見せたことのない柔らかなもので。

「いつまでも、ここにいるわけにはいかない。龍賊討伐の報告もある。帰るぞ」

 いつも通りの淡々とした声に、フィーナは頬を押さえて「はいっ」と返事をした。

 二人はカイザードのガーディアンで、仲間のもとへと帰って行った。


 翌日から、カイザードは自らフィーナを探すようになった。

 食事も、鍛錬も、町への買い物も一緒。その光景は今までもあったし、カイザードが無表情で無口なのは変わらなかったけれど、時にカイザードが微笑を浮かべて「フィーナ」と呼ぶ声は甘く、優しく。


 何事にも無関心だった英雄が、新人の女騎士を特別扱いするようになったことは、騎士団の中でも大いに噂になったのだった。


【了】

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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