字引と地引
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
たまにこうやって勉強しているとよ、本当に俺は無知なんだと実感するんだよ、つぶらや。
「無知の知」だっけか? 自分が何も知らないということを、自覚することから全てが始まるって考え。確かに自分の頭が足りなくて痛い目にあったり、悔しい思いをすると「なにくそ」と、やる気が出て来るもんだよな。
だが、知識って奴はどれだけ溜め込めばいいのだろうな? テストで満点取るまでか? 憎いあいつを踏みつけてやるまでか? それとも世界に影響を及ぼす存在になるまでか?
よしんばたどり着いたとしても、ほっておけばどんどんレベルが下がっていく。記憶が抜け落ちると共に、他の連中に追い抜かされたり、情報が新しくなったりして、相対的に低い位置にならざるを得ないもんだ。知識を求めるっていうのは、怖さを感じるくらい、果てのない行為だと思うよ、俺は。
それが行きつく果てが何なのか……実は、一つの答えを聞いたことがある。どうだ、興味があるか?
江戸時代の学問所や寺子屋の存在は、そのまま日本人が抱いていた、学習の意欲と重大さの表れだったと言えるだろう。のちに日本を訪れた外国人が、識字率の高さに驚くくらいだったようだからな。
そうなると塾頭たちの間でも、様々な知識の応酬が繰り広げられたらしいぜ。ガチでの知識勝負もあったが、たいていは遊び半分の雑学問題。今風に言えば、クイズ王決定戦みたいなもんだ。結果が知れると、塾によっては評判に響くから、通う子たちには内緒にしていたようだが、ある時期から連続で首位をかっさらっていく、若い塾頭が現れたのだという。
古くからの道場を継いでほしいという、親の反対を押し切って、学問の道を歩み始めたというその塾頭。まさに打てば響く太鼓のように、浴びせられる質問を、簡潔明瞭に両断していくんだ。
更に親に教えを受けたという、剣術や柔術も一級品。子供たちが束になってかかっても、剣は小手一つかすらせずにあしらい、柔術においては「当身7分、投げ3分」と評されるように、かかりに行ったと思ったら、知らぬ間に体勢を崩されて、次の瞬間には、拳や蹴りが急所近くで寸止めされていたほどだったとか。
「皆、動きが固いぞ。本ばかり読んでも、いざという時ケガをしては、十全に活躍できまい。講義前後の外遊びで、柔軟運動もせえよ」
実際、塾頭も生徒たちが玉蹴り遊びをしている傍らで、前屈を始めとした、様々な運動で身体をよくほぐしていたようだ。
そんな文武両道を地で行き、生き字引と呼べたほどの塾頭だが、ある時、やや不思議なことが起きた。
学問所がまとまった休みに入った頃。たまたま塾頭の友人が、家に遊びに来たらしい。夜には大いに酒を飲んで、時勢や学問について遠慮のない意見をぶつけ合い、やがて布団を敷いて、それぞれ寝入ったんだ。
翌日。朝早くに目が覚めた友人。ごろりと寝返りを打って、隣の布団で眠っているはずの塾頭の方を向いて、息を呑んだ。
寝る時には、確かに枕の上に乗っていた頭。本来あるべきはずの顔の位置が、代わりに両足の裏に占領されている。友人は親指の付け根当たりの皮が剥けた、その両足としばしにらみ合い、知識を回転させる。これは噂に聞く妖怪「まくら返し」なのではないか、と。
人が寝ている間に、頭と足の向きを変える物の怪。そのようにまくらを返すことで、対象の命を奪うことすら可能なのだとか。
友人は横になったまま、息を殺して塾頭の布団の先へと目を向ける。頭を突っこんでいるのであれば、あるべきはずのふくらみがない。もちろん、布団の外に出ているわけでもない。
まさか、伝承の通りに首ごと命を取られたか。あらぬ想像に友人は跳ね起きたが、改めて枕元を見た瞬間、ほうっと安堵のため息をついた。
塾頭の足の後ろ、太もも辺りに、ぴったりと彼自身の頭がくっついていた。足と頭の位置が入れ替わったのではなく、柔軟運動する時のように、下半身が本来あるべき位置から、ちょうど真逆に曲げられ、顔と邂逅していたんだ。
塾頭は変わらず、寝息を立てている。どれだけ寝相が悪いんだ、と友人は苦笑したものの、おかしな寝相に至るまで、自分にぶつかることはおろか、布団までさほど乱れていないことには不審を隠せなかったとか。
塾頭自身も、起きた時に自分の体勢を見て、かなり驚いたらしい。
しかし、他に異状は感じられず、頭を傾げるばかりだったんだ。彼は普段通りに授業を行い、休み時間には柔軟に励んだんだが、やがて、今までに比べ、「前屈を多めにしている」ことを生徒に指摘されたんだ。
手のひらがきっちりと地面につく前屈。その姿を目にする機会が多くなっている、と。
そして、数ヶ月が経った頃。
たまたま早く学問所にやって来た生徒の一人が、学問所の門をくぐると、いつも生徒たちが遊んでいる庭の真ん中で、塾頭がこちらに背を向けながら、また前屈しているんだ。
「また身体を柔らかくしているんですか?」と生徒はのんきに声を掛けたけど、対する塾頭の声はせっぱ詰まっている。
「いいところに来た! 悪いが手を貸してくれないか? 自力では……いがんともしがたくてね」
塾頭は姿勢を変えずに、そう尋ねてきた。
自分で柔軟を止めればいいものを、わけがわからない頼みごとに生徒が首を傾げていると、「早く!」と急き立ててくる塾頭。声に焦りが浮かびだした。
生徒は駆けつけて、思わず悲鳴をあげる。背後からでは見えなかったが、塾頭の手のひらから手首にかけてが、地面にすっかり埋もれていたんだ、更に、生徒が見ている前で、腕はおろか、足まで沈み込み始めている。
生徒は塾頭の沈みゆく腕を掴んで、持ち上げようとした。
重い。まるで漬物石のようで、幼い生徒の膂力りょりょくでは、支えるのが精いっぱいだ。塾頭も抗っているらしく、二人そろって声にならない気合を入れ、引きずり込む力に抗う。
粘っているうちに他の生徒もやってきて、この異様な事態をおさめるべく、力を貸してくれた。皆が皆、塾頭の足や腕に群がってしがみつく様は、はためには亡者の群れもかくやといった不気味さ。しかし、実情は塾頭を救おうとする、力ある生者の団結だ。
小半時ほど頑張って、ようやく塾頭は縛めから解かれる。また引き込まれないよう、一同は畳を敷いた学問所内に退避した。
塾頭は助けてくれた皆に、改めて礼を述べた後に続ける。
あの「誘い」がいつまたやって来て、自分を呑み込むか分からない。いつまで授業ができるかも判断できないから、それぞれ別の学問所に通うことを考えなさい、と。
生徒たちもあの異様さを前にしては、完全な否定もできず、その日はまるで塾頭と過ごす時間を惜しむように、居残り授業を申し出る生徒が大勢いたのだとか。
そして翌日。生き字引とすら称された、若き塾頭は姿を消し、学問所もその門を閉じることになってしまったんだ。
塾頭のゆくえ。それは当時、通っていた生徒たちはとうとう突き止めるに至らなかった。だが、およそ100年の後。かつて学問所があった場所にほど近い山の中で、おかしなものが見つかったんだ。
それは巨大な棚だった。およそ三、四尺の高さで、段を分けるような仕切りはなく、橋から端まで、背の高い本たちがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
手に取ろうとすると、かぴかぴに乾いた皮の感触を残して、本は砂のようにさらさらと散っていってしまったらしい。誰も中身を読むことはできなかった。
しかし、一番右端の本は他のものに比べて、表紙に湿り気が残っていたんだ。やはり触ると崩れ去ってしまったが、少し離れた場所から本を見ていた人は語る。
あの本は、背中が腰で、左右の表紙には二又に分かれる、大きな亀裂が入っていて、あたかも二の腕や二の足に見えた。
まるで、地面にピタリと手足をつくよう、前屈した人間のような姿だった、とな。




