10 魔法薬。
学校の化学室みたいな匂いをさせた研究室は、綺麗に整頓されていた。大きなテーブルの上には、刃物とすり鉢や秤が並んでいる。壁際には、かまどがあってグツグツと何かを煮込んでいた。鍋の中を覗いてみれば、紫色と緑色の液体が棒で混ぜられている。棒はひとりでにかき混ぜていた。
匂いはしない。臭い消しの魔法をかけたのだろうか。その液体には、星型の花が浮き沈みしている。この前、摘んだスミレン華みたいだ。
「これは、何ですか? ギデオン様」
「味見してみろ、ルビドット」
味見。この紫色と緑色の液体が混ざりかけているドロドロの正体も知らずに、味見をしろと言うのですか。
私はついてきたヴェルデを振り返る。思いっきり逸らされた。
何その態度。道連れにするよ?
「飲める薬なのですよね?」
「ああ。飲む薬だ」
「じゃあヴェルデと味見しま」
「しませんから。何を言っちゃってるんですか。ルビドット」
「毒味は、多いほうがいいわ。ヴェルデ」
「少ない方がいいに決めっているじゃないですが、アホ」
「アホって言った! 絶対に飲ます!」
「道連れにしたいだけじゃないですか!」
鍋をかき混ぜていた棒は、木のスプーンだった。そのスプーンで掬って、ヴェルデに差し出せば、がしりとしっかり掴まれて止められる。ヴェルデは私の口に運ぼうとした。押し返そうしても、同い年の獣人の力にも勝てない。
「ぐぐぐっ魔法を行使するよ!?」
「観念して一人で毒味してください!」
飲まされまいと仰け反って避ける。
「ははっ。作った本人を目の前にして、よくやるな」
ギデオン様は気を悪くした様子も見せず、ただ頬杖をついて傍観した。
やめさせてください。
「何の薬、なんですかっ!?」
仰け反った態勢、つらい。
「まぁ、飲んでみろ」
無茶振り!
「ヴェルデが先に飲んだら飲む!」
「オレは飲みませんので、ルビドット一人で毒味してください!」
「毒味なら一緒に!」
「道連れはやめてください!」
「私達、息ぴったりのコンビでしょ!?」
「それとこれとは話が別です!」
いいコンビなんだから、毒味も一緒にしよう!
「いいコンビだとは思うな」
くつくつとギデオン様は笑う。
「その薬は、ただの魔力増幅薬の一種だ」
「……」
「……」
やっと薬の正体を教えてくれたギデオン様。私とヴェルデはピタリと動きを止めた。けれども、ヴェルデはそれでも飲むことは嫌なようで、私の口元にスプーンを突き付ける。
私は諦めて、ペロッと舐めた。苦味が、舌を刺激する。
「ギデオン様……味をどうにかした方がいいと思います」
「味にはこだわらないんだ」
「私はミックスベリー風の味にして、勇者ダイスケと一緒に飲みました」
「ではルビドット。お前が味を変えてくれ」
「え。私でいいのですか?」
「ああ。構わない」
味付けを一任されてしまった。それならと余っているオレンジを運んできて、オレンジをまた風の魔法で切り刻んで中に入れる。
煮込んでいる間、その魔力増幅の薬の作り方が載っている本を読ませてもらったけれど、私が以前ダイスケに飲ませたものよりワンランク上の薬みたいだ。材料も入手が難しいものだから当然か。
「これ、勇者に飲ませたかったのですか?」
「元々、勇者には膨大な魔力がある。魔力増幅はあまり効果がない」
「え……じゃあ私が飲ませたのは……」
「多少は魔力が高まっただろう。だがこれを飲ませても結果は同じ。多少高まるだけだ」
無駄じゃなかったと聞き、胸を撫で下ろす。少しでも糧になれたなら、お礼が出来たということだ。
「じゃあ、これは誰が飲むのですか?」
「ん? オレだが」
「……そうなのですか」
自分のために作ったにしては、量が多すぎると思う。
「ギデオン様の薬と聞いて、飲む人はまずいませんからねー」
「ははっ、言ってくれるな。ヴェル坊」
「……そう呼ばないでくださいよ」
ヴェルデが、飲む人はいないのだと言う。
どれだけ信用ないのだ。ギデオン様は。
ヴェル坊呼びからして、ギデオン様はかなり歳上だと予想。
「魔力もいくらあっても足りない時もあるからな。魔力を増幅させておきたい。ああ、そうだ。噂のルビドットが作ったと聞けば、飲みたがる者も出るかもしれない。何せ勇者も飲んだのだからな」
ニヤリと笑って見せた。きっとそれが狙いで、私に味付けを頼んだに違いない。
「安心してください。ルビドットとギデオン様の合作だと触れ回っておきますから」
「こら、ヴェル坊。支払われた金はルビドットに全てやるから、オレが作ったことは伏せておけ」
お金をとるのか。そして、それは詐欺なのでは。
ヴェルデは、私を見た。
「……そういうことなら、黙っておきますー」
コクン、と頷く。いいのかなー。
「よし。じゃあ瓶に詰めてくれ、ルビドット」
「はい」
オレンジの味が付いたところで、私は棚からふわふわと飛び出してきた小瓶に次々と薬を入れた。
「ところで、魔族に狙われているから、勇者の頼みもあって保護されたそうだが……狙われている理由はなんだ?」
「さぁ。逃げることに必死だったので」
私はそうとぼける。逃げることに必死だったのは、本当。
「考えられるとしたら、魔法薬の材料か」
「材料ですか?」
「紅髪のエルフは、そうはいない。何か特殊な魔法薬か儀式に必要なのかもしれない。どんなものか興味があるな」
「……あはは」
ギデオン様は、金色の瞳を爛々と輝かせた。
私が必要な魔法薬も儀式も、知りたくはない。
「大丈夫ですよ、ルビドット。オレ達が守りますし、そもそも魔族はこのキオノレウ国には入って来れませんから」
「ヴェルデ……」
守るって言葉が心強い。ヴェルデが真面目な顔をしてそう言ってくれたことが、嬉しかった。
「いや、魔族がこの国に入る方法ならいくつかあるぞ」
ギデオン様に、私もヴェルデも注目した。
「魔族の魔力に反応して、結界は入ることを拒む。だから、魔族の魔力さえ封じてしまえば、結界の中に入ることは可能だ」
「……でも、魔族を封じて入ったところで何も出来ませんよねー。どうせ魔法が使えない状態なんですから」
「まぁな。だが、半分魔族で半分他の種族なら、魔法を使うことが可能な場合もある」
私の胸の中に、焦りがチクリと走る。
「半分魔族で半分他の種族、ですか?」
「例えば半分魔族で半分人間の場合、魔族の魔力と人間の魔力を完全に分ける必要がある。そうして、魔族側の魔力だけを封じて中に入ってしまえば、人間の魔力だけで魔法を使うことも可能になる」
「そんなこと……出来ちゃうんですか?」
「可能の話さ。しかし魔力を分けるまで、何年かかかるだろうな。魔力も半分あるいはそれ以上減るデメリットもある。オレもやってはみたいものだが、純血の人間だからなー」
ギデオン様は残念そうに、頭の後ろで腕を組んだ。
私は魔力を分けるのに、二年かかった。
「まー生粋の魔族は入っては来ないってことでしょう。特に魔王は」
「魔王がわざわざ乗り込むなんて愚行をするわけないだろう」
「側近もしかりですねー」
「ああ、側近の魔族に狙われていたのだっけか」
「はい。名前はオルトです」
魔王の側近に狙われていると話せば、大事だと保護してもらえると思ったけれど、今思えば余計だったかもしれない。
「そのオルトは、純血の魔族か? それとも混血か?」
「……さぁ……わかりません」
事実だ。四年間付きっきりだったけれど、オルトさんの家族構成は、聞いたことがない。
「純血の魔族であることを願うんだな。もしも混血なら、入ってくる可能性は十分にあるだろう。ルビドット、お前が必要であればあるほど、な」
ギデオン様はそう言って、ひと瓶を飲み干した。
私はゴクリと息を飲んだ。必要であればあるほど、魔力を封じてまで乗り込んでくる可能性がある。身震いする話だ。
「ルビドットを脅さないでくださいよー」
「ん? すまん、すまん。可能性の話だ」
「そうですね……その可能性はありますね……」
小瓶に詰め終わった私は、ひと瓶を飲み干した。オレンジとちょっとした苦味。エルフの魔力が、少し高まっただろうか。
「それで、ルビドット? お前は半分エルフで半分はなんだ?」
嫌な質問がきた。
「母親はエルフです。父親は……」
魔王の弟だなんて、言えない。
「ルビドットは父親を知らないんですよ」
ヴェルデが、助け舟を出してくれた。ありがとう。
「それは不躾な質問をしてしまったな」
「いえ、いいのです」
「何なら調べてやろうか? 血があれば、どの種族の混血かわかるぞ」
「……せっかくですが、それはいいです」
「そうなのか……まぁ気が変わったらいつでも言ってくれ」
「はい、ありがとうございます。ギデオン様」
魔力増幅薬は、シャンプーが好評だったからなのか瞬く間に売れていった。あとになってギデオン様が作った薬だとバレたけれども、それでも苦情はこなかったので、大丈夫だろう。
それから私は、ギデオン様の研究室に通った。
初歩的なまじないの薬から、入手困難な材料の魔法薬まで学んだ。
ギデオン様は子どもが作るようなまじないも、一緒に作ってくれた。ちょっとした惚れ薬。飲んで初めて見た相手に、胸の高鳴りを覚える薬だ。
「飲んでくれますか? ギデオン様」
「オレは断る」
「私が飲んであげましょうか?」
その日ついてきてくれたシアン様が、自ら買って出てくれた。瓶に詰めたピンクの液体を、渡そうとすれば、ひょいっとギデオン様が取ってしまった。
「それでは面白くない」
「面白くない?」
「ああ。アルヴェにしよう。コーヒーを毎日淹れているのだろう? では盛るのも容易いだろう。これは命令だ」
ニヤリと悪い笑みを浮かべるギデオン様を見て、私とシアン様は顔を合わせた。
アルヴェ様に……惚れ薬を盛るだと……!?
20170923




