◆白い悪魔
◆
初めて、人を殺した時。案外なんとも思わなかった。
「……」
血だらけの部屋の中で、私だけが立っている。見たこともないほどの綺麗で豪華な調度品もベッドも机も暖炉も……窓すらも赤い血が飛び散っていて。それは私の手も同じだった。ただ、寝ようとしていた男を後ろから刺し殺す。それだけで。簡単な“仕事”だった。
だからだろうか、人を殺したということが現実味がない。もっと、狂うように悲しくなったり、自己嫌悪に陥ったり、殺した時の顔が頭から離れなくなったり……しそうなのに。しなかった。
「白いの。ここはもういい」
その声を掛けられてやっと私は動く。手にもっていた小さな剣を振って血を払う。音もなく散る赤を見届けることなく私は窓を開けて天井付近の窓枠を掴んで。手にぐっと力を入れて踏み込み屋根の上へと登る。屋根に登れば、月なんて出ていない曇り空だった。───珍しい。明日雨でも降るのだろうか。雨が降るなんて本当に珍しい。
「───。」
下げていたお面をかぶり直して夜の屋根の上から、林へと飛び降りると、さっさと走る。見つかりでもしたらあの男に殺されかねない。死にたくない訳では無いけど。今死ぬ訳にはいかない。
ふと、先ほど殺した男が最後に言った言葉が脳裏に蘇る。
─「しろ…い、悪魔」─
「白い悪魔……か」
殺してもなんとも思わなかったのは。私がそう呼ばれる存在だからだろうか。赤い手をちらりと見て。深く息をつく。もちろん、足を止めるなんてことはしない。
一時間ほど走り抜けた場所で、あの男は立っていた。手についた血もいつの間にか乾いていてそれを確認してから、男の前に跪く。
「……報告しろ」
「はい。背後から刺殺しました。」
「確認は」
「確認済みです。一応鷹の、も確認しております。」
そう言えば楽しそうな笑いが辺りに響く。ああ、憎い。この男が。殺したくてたまらない。人一人殺した後だからか、妙に心がざわつく。お咎めがないから、表情には出てないんだろうけど。悟られたりしたら何されるか……。
「一月でここまでになるとはな。さすが悪魔と呼ばれる娘だ」
「……」
「もういい。今日は下がれ」
その言葉をきいて、深く礼をしてから立ち去る。
売られて何ヶ月たったかはわからない。 だけどあの男が私を抱いたことは一度たりともない。こうして殺す武器としてだけ扱われ、殺しの知能だけを植えられる。当然だろう。いわくつきの私を抱かずともあの男ならどんな女だって抱くことが出来る。この点だけは自分の髪と瞳に感謝できる。抱かれるなんてたまったもんじゃない。
与えられた小屋に戻って、小さな桶に水を張り火の魔法で温め髪や体をタオルで拭い、残り湯に血だらけの服をつけてさっさと眠りにつく。
目を閉じた時、殺した男の死に顔が少しだけ浮かんだが。それもすぐ掻き消えた。
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