アラーシュト入国
───ばしゃん
彼は沈んでく中ただ空を見上げていた。冷たい水に白い氷が落ちてきてそれはどんどんと降り積もろうとする。だけどそれは積もることなく水面に触れれば溶けてしまう。揺蕩うこともなく。熱した鉄に水を落としたように一瞬に。
沈んでく体は重かった。滲んだ赤がゆらゆらと混じりあって、まるで彼と水との境界線をぼかしていくかのように滲んで交わって霞んでく。彼は微かに残る力で目を瞑った。見ることを拒否るように、全てを…世界を…自分すらも否定するかのように。
───ばしゃっ
何かがまた落ちて沈んでくる。思わず彼が目を開けてみればその影は小さくどんどんと自分に向かってくるのに気づき悲しんだ。そして口から最後の空気を吐き出して───その目を閉じた。その影すらも見ることをやめた彼は、深く深く沈んで溶けて交わって──誰も知られぬその場所で静かに眠りについた。
◇
アルヴィス達はアラーシュトの関所に来て困り果てていた。馬と言うには大きすぎるベルグ。見慣れない金の羽を持つカナリア。深く被ったフードを外すことのないアルヴィス。怪しすぎるこの一行は困ったことに関所を通れる為の身分証がないのだ。
テルナマリンは戦になる可能性が低い国だ。その為に出るのも入るのも自由。身分証など必要としなかった。だがアラーシュトは別だ。民と兵が逃げることを恐れたこともある、そして敵国からの王暗殺の可能性を潰すためにも身分証を示す必要があったのだ。
「えっ、身分証がない?」
「はい、身分証が必要な国は始めてなんで……」
ベルグを一度見て「でかっ、これは……馬なのか?」と疑問を持ちつつ茶色い翼が背に生えた門番は部下に木の板を持ってこさせると焚き火に突っ込んでいた火かき棒のようなものを取り出す。どうやらそれは火かき棒ではなく、焼き印だった用でそれを慎重に地面に置いた木の板へと押し付ける。焼き印を元通りにしてから木の板に付いていた砂を払うと彼はにんまりと笑った。
「はい、仮身分証……これは出る時には返してもらうよ。今君の魔力は登録したけど、使い捨てなものだからね。身分証をちゃんと作るなら冒険者ギルド、商人ギルド、鍛冶ギルド、用心棒ギルドとかそこら辺で登録すればいいから。仮身分証では入れない場所とかもあるし、作ることを進めるよ。では、何も無いとこだけど───アラーシュトへようこそ」
ベルグとカナリアにも木の札をぶら下げさせてから、門番は小さな扉を開けてくれる。小さいと言っても馬車一台ほどなら余裕で通れるものだ。大きな門の方は出軍などの一度に多く通る時だけ開けられる。
「とりあえずなんとか入れたけど」
『主よ、私は馬小屋に預けることを進める、この体躯だとどうにも目立つのでな。』
『私はアルヴィスさんと一緒に行くわ。迷子になったりしたら道を教えてあげられるし』
二匹の申し出に有難くうなづいてアルヴィスの足は馬小屋へと向かう。もちろん、カナリアの案内に従って。
馬小屋に着くと餌と水は飼い主提供しなければならないらしい。馬を預かるための小屋という名の通りの場所で、世話と場所代と餌、水を渡してアルヴィス達はベルグを残してその場を立ち去る。
街にはやはりテルナマリンのような活気はない。各水場は国兵によって、見張られており勝手に水を持ち出すことは禁止されているらしい。水について揉めてる人も何人か見かけるが強行に走る者はいないようだ。管理が行き届いていると言える。
「カナリア、とりあえず冒険者ギルド教えて」
『うん、案内するわ……ついてきて』
返事をしたカナリアはアルヴィスをちらりと見てからピィピィと鳴くと翼を広げ飛び始める。静かに羽ばたきアルヴィスの前を一定の距離を保つように飛び続けるカナリアに案内されて彼等は初めての冒険者ギルドへと向かった。