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僕は背後から迫ってくる夜から逃げるように小舟を操った。沿岸には電燈以外の光がほとんど見えず、自動車も全く動いていない。恐らく、地球上のほとんどの都市がこんな有様なのだろう。マーテリアンたちが去った後のことを想像し、また戦争時代に逆戻りするかもしれないと恐れているのだ。
逆に、この期に及んでまだ引き留めようとしている人々もいた。右舷方向には山々が連なっていて、その内の一つに「いかないで」という五文字が浮かび上がっていた。マーテリアン信仰の持ち主たちが集まって、松明を片手に立っているのだ。全世界的な運動のようで、今頃アメリカやイギリスでは英語で、中国では漢字で同じような意味を持つ言葉が描かれているに違いない。
多分、あの文字の中には僕の母も混ざっているだろう。ことあるごとに星子様、星子様と言っていたにも関わらず、マーテリアンの旅立つ日が近づくとどんどん情緒不安定になっていって、「星母様にはいつまでもいてもらわなあかん」と呟き続けた。
なら、僕の親にはならなくて良いのか、という話だ。
思えば両親が提督に僕を預けるようになったのもそういう心理的な背景があったのかもしれない。高校に進学する時だって両親に話を聞いてもらうことよりも、提督に相談を持ち掛けることの方がずっと多かった気がする。僕がどこに行って何をしようが、あの人たちにとってはどうでもよいことだったのだろう。だから、僕がこうして地球を離れようとしていることも話していない。
ただ、皆が皆こんな有様になってしまったわけではない。僕の両親、特に母なんてずいぶん極端な例に入ると思う。僕も含めて、誰もが大なり小なりマーテリアンに依存していることは間違いないけど、常識を捨てずに持ち続けている人間の数は決して少なくは無い。そして中には、全く依存しないよう自己を律している人々もいる。久保さんはまさにそういう人種だった。
こうして舟を動かしていると初めて久保さんと会った時のことを思い出す。まだ僕が高校生になったばかりのころだ。クラブにも入らず、友達も決して多くなかった僕は休日を手持無沙汰の状態で過ごすことが多かった。そんな怠惰さに恥を覚えて、本を片手に沿岸を散歩していると、沖の方に一艘の舟が浮かんでいるのが見えた。
舟には釣り人が一人だけ乗っていて、釣竿を持ったまま微動だにしない。結構距離があったから、僕にはその時久保さんがどういう表情をしていたかは見えなかったのだけれど、 不思議とその光景に心が惹かれた。
誰も居ない海に一艘だけ小舟が浮いているという情景は、僕に新訳聖書のワンシーンを思い出させた。マルコの福音書だ。イエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰を下ろされ、群衆はみな岸辺の陸地にいた、云々。その後の説教の方が大切なのだろうけど、僕はキリスト教徒ではないので、本の挿絵で見た情景だけが頭の中に残っていた。
僕はしばらくその場に立って、釣り人の様子を観察し続けた。その日の海はずいぶん穏やかだったのだけれど、西の方から吹いてくる風がにわかに強くなって、久保さんのかぶっていた野球帽を吹き飛ばしそうになった。それを契機に久保さんは釣りを切り上げ岸へと戻って来た。
「もうやめるんですか?」
僕はたずねた。久保さんは表情を変えずに「風が吹いてきたから、あかんわ」と答えた。
「風が吹いたら、水の濁りが消えるねん。そうなったら、魚はもう寄って来てくれへんわ」
そういうものなのか、と思ったが、後々釣をするようになってからは、僕も経験則でそれを実感するようになった。風が吹いていると魚は釣れてくれない。
その日久保さんと話したのは、その程度のことだけだった。だが、沖合で釣をする久保さんの姿は強く印象に残っていた。いつの間にかそこに僕が居る構図を想像するようになっていた。
一週間後、僕はまた久保さんに会った。互いに自己紹介をしたのもその時だ。調度、釣りから戻って来たところだった。
「三上シンっていいます」
「シン、シン……なんて書くんや? 真実のシンか?」
「ああ、そうですね」
「ふうん。なんや、漢字一文字やとややこしいなあ」
本当は漢字の無い名前なのだけれど、そういう誤解をしてくれたことで僕は久保さんが好きになった。
久保さんは気難しそうな人だけれど、知り合って話をしてみると、全然そうではないことが分かった。単に口下手なだけなのだ。
「先週も居たやろ?」
「はい、居ました」
「なんか、ずっと見とるから、変な奴やと思ってたわ。俺やってそんな珍しいことをやってるわけでもないんやけどなあ」
「今時、舟釣りしてる人なんてあんまいませんよ」
「そうか。もう流行らんかあ」
そう呟きながら、久保さんはクーラーと釣竿を舟から下ろした。僕がその様子をじっと見ていると、久保さんは竿を持ち上げて「今度、やってみるか?」と言ってくれた。
「良いんですか?」
「昔は乗合船の船長とかもしとった。海釣りが趣味の人間もいなくなって、廃業したんやけどな。もしその気があるんやったら、明日の七時ごろにまた来たらええわ。道具もこっちで揃えといたる」
と、そういうわけでいきなり舟釣りに出してもらえることになった。
翌朝、なるべく動きやすい格好で行くと、久保さんはもう着いていて、道具の点検をしているところだった。長靴やベストを着込んでから二人で舟を押し出して沖へと向かう。その日は波が高く、風も少し強かったが、早朝ということもあって日差しは穏やかだった。
今となっては舟が揺れる感覚にも慣れてしまったのだけれど、その時は心底感動していた。修学旅行で大型のフェリーに乗った経験はあったのだが、あんなに小さな舟で沖まで出たことはなかった。波の感覚がダイレクトに伝わってきて、足と海水とを隔てるものが薄い船腹だけだということに怖気づいたり、逆にその不安定さを楽しんだりしていた。轟々と吹き付ける風と、波と、それから船外機の鳴らす爆音だけが聴覚を支配した。舟を自分で操って、思い切り水上を飛ばしてみたいと思ったのはその時だった。
ポイントまで来ると久保さんは舟を泊めてクーラーを開いた。
「釣りは初めてやな?」
「はい」
「やったら、シロギスや」
てきぱきと準備を進めながら久保さんは言った。手持無沙汰な僕は落ち着かない気分で波を眺めていたのだが、不意に竿と仕掛けを突き出されて驚いた。穂先の柔らかい小物竿だったから、最初から僕にシロギスを狙わせるつもりだったのだろう。
その日の午前は、釣りの基礎を教えてもらうことで過ぎてしまった。僕はそれなりに呑み込みの早い方らしく、細々としたことはすぐに覚えてしまった。
ところが、準備が終わってさあこれからというところで、久保さんが唐突に「昼飯や」と言い出したから、出鼻を挫かれたような気分になった。だが、後になって何故久保さんがあのタイミングで言い出したのか分かった。
ハリにつけるジャリメやアオイソメのグロテスクさ、しかも直接触ってハリに通さなければならないというのは強烈だった。助けを求めるように久保さんの方を向いても、ニヤニヤしながら糸を垂らしているだけで、何の手助けもしてくれない。なるほどこれが通過儀礼なのだな、と思った。
思い返すと、何であの程度のことで狼狽していたのか分からなくて、自然と笑い声が出てしまった。あんなものは序の口で、オキアミのミンチは見た目や臭い共にかなりの威力があった。初めて嗅いだ時は文字通り鼻がひん曲がるかと思ったものだ。色々と形容のしようはあるのだけれど、「誰かに嗅がせたくなる臭い」と表現した方が伝わり易いだろう。それである時、撒き餌にオキアミを使ってソウダガツオを四尾釣り、舞い上がって提督の所に持って行ったら「頼むからシャワーを浴びてくれ」と怒られたことがある。
ともあれ、釣りには色々な思い出がある。カツオのこともその内の一つなのだが、やはり久保さんに連れられてシロギスを釣った時の感動は忘れられない。意外に引きが強くて、不意を突かれた僕はずいぶん大騒ぎしてしまった。なまじ久保さんが簡単に吊り上げているのを見て、油断していたせいもあるだろう。
リールを巻いて水面まで持ち上げてきたところを、久保さんが玉網で取り込んでくれた。網の中で陽光を浴びて白銀のように輝くシロギスを見た時、僕はふとマーテリアンと似ているな、という印象を抱いた。その連想はすぐに釣り上げたという喜びに上書きされた。
「そのまま触ったらあかんで」
逸る僕を咎めるように久保さんが言った。何でです、と聞き返すと、魚の体温は人間のそれよりもはるかに低いからだと答えてくれた。
「水で手ぇ冷やしてからでないと、火傷で死んでまうねん。持って帰って食うにしても、一発で止め刺したらな可哀想や」
「結局殺すのに、ですか?」
「やとしてもや。そもそも釣り自体、人間が勝手にやっとることやしな。やから、魚を火傷させへんのは、まあ、自分への戒めみたいなもんや」
そう言ってから、久保さんはまた釣竿を振り上げた。僕はしばらく海水に両手を浸してから、シロギスをバケツの中に入れた。
一度釣り方を覚えてしまうと、キスは案外釣れてくれるもので、久保さんが切り上げを宣言するまでに合わせてニ十匹ほど釣ることが出来た。ビギナーとしては上々の戦果だと思えた。
それから釣りにはまった僕は、休日になると必ずと言って良いほどの頻度で久保さんのところを訪れ、一緒に舟に乗せてもらうようになった。波が高く、久保さんが舟を出さない日は堤防から糸を垂らすこともあった。とりあえず、釣りという行為自体がとても好きになっていたのだ。自分の手で魚を釣り上げる快感もさることながら、より強く惹かれたのは、釣りをしている時の久保さんの佇まいだった。それは、初めて久保さんを見た時から抱いている憧れだ。
一度、こんな質問をしたことがある。
「なんで舟釣りにこだわるんですか?」
そう訊くと即座に「あんま陸に居たくないからや」という答えが返って来た。
「マーテリアンとかいう……なんや、別に憎々しいとか、嫌いってわけではないんやけど、あんま近くに寄せたくないねん」
ここやったらマーテリアンも来れへんやろ、と言って久保さんは船縁を叩いた。
「釣りを始めた頃なんて、俺も餓鬼やったから全然釣れへんかったわ。餌持ってかれたり、ようやく釣り上げたのが外道やったりしたら、やっぱ悔しいで。やけど、少しずつやり方を変えてったら、結果はついてくるからな」
マーテリアンが苛立ちを無くしたら、そういう経験も無くなってしまうやろ、と久保さんは言っていた。
「生きてたら、そりゃ嫌なことなんて一つや二つじゃ済まへんやろ? やからって宇宙人に無いことにしてもらうのも変な話やと思わんか?」
「ぼくもそう思います」
トライ・アンド・エラーを繰り返すことで、少しずつ技術が向上していく実感は僕も持っていた。だが、久保さんが言おうとしていたことは、もっと広い意味を持っていたのではないだろうか。
マーテリアンに不安を取り除いてもらうということは、その原因と直接対決する機会を自ら潰しているということだ。そうして試行錯誤を放棄し、マーテリアンに精神の安定を委ねることで、人間は本来行うべき挑戦を投げ捨ててしまっている。宇宙開発というのもそうしたものの一つと言えるだろう。
最も、僕も他人を批判出来るわけじゃない。昔から提督に孤独を埋めてもらうことを願っていた節はある。それは認めざるを得ないのだけれど、提督はなるべくマーテリアン的な形質を表出させないようにしていた。移住する際に、整形や手術によってヒーリング能力を故意に削いだとも言っていた。恐らく提督は、その時点で人類が堕落し始めていることに気付いていたのだろう。
僕にも甘ったれた部分はあった。今でも改善しようという努力は続けているつもりだ。マーテリアンの舟に向かうのは、彼女たちの中に居続けたいからではない、この星を離れて未踏の地に踏み出したいからだ。そういう意志を持つようになったきっかけは、やはり久保さんの存在だろう。釣り人の姿にはどこか浮世離れした雰囲気が漂っている。実際、久保さんはマーテリアンに頼り切ることが当たり前となったこの世界では、明らかにアウトローと呼べる存在だった。俗的な人間に囲まれていた分、提督や久保さんの存在はより一層浮き彫りになって僕の目に映っていたのだ。