親友
教室に帰ったのは、四時前だった。十二時を過ぎてからご飯を食べて、そのあと一時間くらいトランプで遊んでいたから、一時間以上も澪と話していたことになる。そんだけ待たせる友達って大丈夫なのかと冗談で言ってみたりもしたけれど、澪も「わけがあるんだよ」と言っていたから何かあるのだろう。結局その友達が誰か知る前に、澪はもう大丈夫だからと言って僕を追い返してしまった。
教室では、まだトランプが続いていた。
よく飽きないな。と思いつつ、僕も参戦する。勉強する気は、いまだに起きない。数人しかいない教室の中で、盛り上がって、時間は飛ぶように過ぎていった。ひとり、また一人といなくなっていく。
最後に残ったのは、僕と優希だった。
優希も澪と同じく小学からの幼馴染で、家も近くだった。大学は別々の場所で、二人とも同じくらいのレベルのところを受けた。
「帰る?」
優希が立ち上がりながら言った。彼はいつも僕より、頭一つ分高いところから、全体を見渡していた。
「帰ろっか」
二人しかいなくなった教室は、少し寂しかった。
通学には、自転車と電車を使う。
家から学校までは自転車。そして電車に乗ったあと、駅から学校までは徒歩で行く。センター入試が終わるまでは駅から学校までも自転車できていたけど、最近はもっぱら徒歩だ。わざわざ徒歩で学校まで行っている理由は何かわからない。単純に、あの歩く時間が楽しみなのかもしれない。優希は、一年の時から徒歩だった。
二人並んで、駅まで歩いた。
優希とはたいてい一緒に帰っているから、特にこれといった話題はない。ただ、二人とも合否の発表を明日に控えて、やっぱり緊張はしているようだった。僕も期待はしていないつもりだったけど、今日、友達が合否発表の結果を話しているのを聞いて、受かっていて欲しいなっていう気持ちをどうしても消しきれなかった。
「俊のやつ、ちゃっかりしてるよな」
歩きながら、優希が言った。俊は僕らの幼馴染の一人だ。勉強の方はイマイチだったけど、バスケができて、それでそこそこの私立に推薦で入った。みんなより一足先に受験を終えていたけれど、僕がそれを知ったのはセンターが終わってからだった。一人だけ早く受験を終えたのを、少し申し訳なく思っていたらしい。
それを知って、僕と優希は「気兼ねすんじゃねーよ」と、二人で俊の背中を思いっきりぶっ叩いた。あれはあれでいい思い出だ。
「明日、どうなるかなあ」
「優希は大丈夫だろ」
「ん~、だといいケドね」
ポケットに手を突っ込んで、優希はいつも通りの低い声で言った。身長の割には横幅はないけれど、最近は雰囲気が大人びてきていた。私服だったら大人と間違えられるだろう。対して、僕はいつまでも子どものままだった。見た目も、内面も。
駅のホームに着くと、ちょうど電車が来た。
それに乗って、揺られる。つい一週間前までは、この時間も勉強に使っていたけれど、二人とも抜け殻のようになっていて、今更勉強する気なんて起きなかった。かといって、別に話すことがあるというわけでもなく、二人はとにかく、電車に揺られていた。
電車が駅に着く。電車を降りて改札を出る。駐輪場に行って自転車を探す。体に染みついた作業を今日も繰り返して、今僕は細い暗がりの道を優希と並走している。車はほとんど通らない。多少遠回りでもよけるのが面倒だからという理由で、そういう道を通っていた。
「なぁ直哉」
「なに」
「明日ヒマ?」
「ん~、暇ではない。かな?」
そうはいったけど、「明日は澪と会うから」という理由で優希の誘いを断ってしまうのは、後ろめたかった。だからだろうか、なんとなくぼんやりと考えていたけれど、今その思いが形になったような気がして、気が付いたら、口に出していた。
「僕さ、あした澪に告白しよっかなって……」
澪を誘った時からそうすると決めていたわけではない。いま、なんとなくそうしたいと思っただけだった。多分それも優希はわかっていて、かれは少し僕の方を見て、小さくため息をついた。直感的に、やっちゃったかな。と思った。
「おまえさ、今どんなタイミングかわかってんの?」
案の定、返ってきた言葉には、呆れと困惑と、そしてちょっとだけ、なぜか怒りが込められていた。
「わかってるつもり。り……」
「理屈では?」
優希が被せてきた。よくあることだった。というか「理屈では」は僕の口癖の一つだった。
「理屈でわかっててもさ、それだけじゃダメだって、いっつも言ってるじゃん」
「返す言葉もない」
「だいたい、澪は春には向こうに行くんだよ? たとえ澪がオッケー出したとしてさ、直哉にできるの、遠距離恋愛?」
「……このままだと無理」
といって、変われるという気もしない。こういうのは、実行する側に確固たる信念があってこそ成り立つんだろうけど、今の僕にそんなのはない。ないままに、実行しようとしている。たしかに、馬鹿だ。
「少なくとも頭ではわかってるんだろ? なんで明日なの。落ちたかもって言ってたじゃん。そのメンタルで、告れるの?」
「わからない」
「じゃあなんで?」
「わからないよ。なんとなく、明日言わなくちゃいけないって思った」
「またかよ」
「うん。また」
優希は、軽く笑った。鼻で笑うような笑い方だったけど、これは優希の「降参」の合図だった。
「直哉のさ、そういう意味の分かんないところでの思い切りの良さは、嫌いじゃないんだ。でもほら、だいたい失敗するじゃん? だから、ほんとは止めるべきなんだろうなって、いっつも思ってるんだよ。だけど、やっぱり今回も止められる気がしない」
「馬鹿にされてんの?」
「いいや、断じて馬鹿にしてはない。ちょっと憐れんでるだけ」
「それ、馬鹿にしてるんじゃん」
「うそうそ、心配してんだって」
また、優希は軽く笑った。まともな会話はそこまでだった。あとはどうしようもない、雑談をして別れた。
家に帰っても、別段することはない。ツイッターはかなり盛り上がっていたけど、僕はその輪に入っていくことができそうもなかった。だって僕は、後期組なんだから。
明日の発表は午前十時。九時ぐらいまでは寝ておくつもりで、僕は二時まで起きていた。そして、本を読みながら、気が付くと眠っていた。