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銀梅花4

 何やら考え込みながらエリダが部屋を出て行ったかと思うと、すぐにまたノックの音がした。てっきりエリダが何か言い忘れて戻ってきたのかと思ったけど、それにしてはノックの音がゆっくりだった。


「ラウラス、薔薇の実はあるか?」


 訪ねてきたのは、レールティ家のお抱えであるグレン医師だった。

 グレン医師は急ぎの時など、ときどき僕のところへ薬草をもらいに来ることがある。


「薔薇の実ならございますが、どのくらいご要りようですか?」


「そうだな……。とりあえず一人分で十日くらいか」


「そのくらいでしたら、すぐにご用意できます。すこしお待ちください」


 薔薇の花や実は、一般的に薬剤として使用されることが多い。もちろん城の庭園などで観賞用として育てられることもあるけど、神殿の庭園などでも薔薇が栽培されているのは、その薬用成分のためだ。

 さまざまな植物を調合して作られる薬にも、薔薇が使われている場合は多い。もはや薔薇に対する信仰といっても過言ではなかったけど、実際に薔薇の実は壊血病と呼ばれるものに対して大きな効果をもたらすため、庶民のみならず、海軍の間でも重用されている。


「どなたか具合がお悪いのですか?」


 薔薇の実をグレン医師に渡しながら尋ねる。

 グレン医師は原則的にレールティ家の方々しか診ない。

 グラースタ伯爵夫妻は今この城にはいないし、ブリアール侯爵が戻ってきているという話も聞かない。だったら、今この城でグレン医師が診る人物は二人しかいない。


「ああ、シュリアさまが臥せっておいででな。なかなか熱が引かんのだ。まあ、疲労と気鬱が重なってのことだろう」


「疲労と気鬱、ですか……」


 お嬢さまが寝込んでおられるなんて。

 しかも、気鬱だなんて。

 きっとメリディエル家との縁談がなかったことになってしまったせいだろう。

 春生まれのお嬢さまは今年で十七歳になられているから、貴族の令嬢としてはそろそろ嫁がなければいけない年齢だ。


 年頃の貴族の令嬢やその母親は、頻繁にあちこち社交の場に出て行って、自らの家に相応しい結婚相手を血眼になって探すのだとか。

 良い結婚をすることこそが、貴族の娘として生まれた人間の最大の務めなのだそうだ。

 良い結婚というのは、もちろん家にとって最大限に利益をもたらしてくれる結婚のことを意味する。

 エリダの言っていたことだから、どこまで本当かは分からないものの、それらにまつわる話はあまりに生々しく熾烈で、人間不信になりそうなくらいだった。貴族に生まれなくて良かったと心底思うほどに。


 お嬢さまは頻繁に出かけている様子こそなかったものの、貴族の令嬢である以上、やはり地位も財産もある相応しい相手との結婚を願っていたはず。

 叶うはずだった願いが目前で消えてしまったのだから、それは気鬱にもなるだろう。


「あの、これも一緒にお嬢さまのところへ届けていただけませんか。私からだとは言わなくていいので」


 僕は庭師としてはまだまだ未熟者ではあったけど、特別に個室を与えてもらっていた。

 もとはただの植物の研究者でしかない僕を呼んでくださったグラースタ伯爵が、ブリアール城でもこれまで通り植物の研究が自由にできるようにと配慮してくださっているからだ。

 だから、僕の部屋には植物がいくつも置いてあった。


 四季咲きの薔薇と言えども、夏は秋に向けてあまり花が咲かないように剪定するので、この時期に花開いている薔薇は少ないし、花自体も小ぶりだ。

 それでも、お嬢さまのために冬以外はいくつか花が咲くようにしてあるので、その中からまだ咲ききっていない小さな深紅の薔薇の花を切って、グレン医師へと手渡した。お嬢さまは花が開ききる前の薔薇がお好きだから。

 わずかなりとも病床の慰めになれば……。


「他に何か必要な薬草などがあれば、いつでもおっしゃってください」


「おまえさん、庭師はやめて私のところで働かんか。おまえさんなら薬草師として十二分にやっていけると思うがね。そのほうが助かる人も多かろう」


「ありがたいお話ですが、私には植物を育てるほうが性に合っていますので」


 それに、人を助けたいと思うなら、なおのこと今のままがいい。

 とくだん自分から怪我や病気を診ると言ったおぼえはないけれど、エリダをはじめ、この城で働く人たちは病気や怪我をすると僕のところへ来ることが多い。それは庶民にとって医者に診てもらうことが容易ではないからだ。


「植物を育てるのが好きなだけのわりには、おまえさんはずいぶんと毒に耐性があるようだが」


 僕は曖昧に笑って、何も答えなかった。

 僕が毒に強いのは、植物への好奇心からでも興味本位からでもない。本当に単純に、死んでもいいという自暴自棄な気持ちから図らずも身についてしまったものだから。


「まあ、無理強いはせんがな」


 グレン医師のほんの少しかすれた声はいつも穏やかで、耳にするだけで不思議なほど心が落ち着く。


「なにはともあれ、この薔薇は私がお嬢さまにお届けしておこう。花をご覧になるだけの余裕がおありかどうかは分からんが」


「そんなにお悪いのですか?」


「食事もなかなか口になさらない状態でな、あまり良いとは言えん。体がどうこうと言うより、気力の問題のほうが大きい」


「そうですか……」


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