運命の縁談9
私がトゥーアルに行きたいと言ったら、お兄さまは少し驚いた顔をしていたけど、すぐに笑ってあっさり了承してくれた。
きっとメリディエル家との縁談については、お兄さまも知らないことなんだろう。
あえて虹の話には触れなかったけど、ラウラスと違って、お兄さまなら縁談のことを知っていれば、トゥーアルと聞いただけでピンときたはずだ。
あんなにあっさりトゥーアル行きを許してくれたということは、お兄さまがおばあさまと組んではいない証拠だ。
私のお母さまは私が生まれたときに亡くなっていて、いまだにブリアール城の中ではおばあさまが幅を利かせているけど、外務大臣としてお父さまが都にいらっしゃる今、我がレールティ家はお兄さまが実質的に領主としての役割を果たしている。
お兄さまはブリアール城に住んでいるわけではないけど、ブリアール城の人間を動かすだけの大きな力を持っていることに変わりはない。だから、おばあさまとお兄さまが縁談の件で手を組んでいないことは、ほんとうに不幸中の幸いだし、政略結婚ではないということだろう。
「グラースタ伯爵の妹君がいらっしゃるというので、お会いできるのを楽しみにしていましたが、ほんとうに愛らしい方ですのね」
そう言ってくすくす笑うトルナード男爵夫人。
私は顔が引きつりそうになるのを、なんとか強引に笑顔をつくって誤魔化した。
グラースタ伯爵というのは、私のお兄さまのこと。
お父さまの領地の一部であるグラースタ伯爵領を相続して、今はグラースタ伯爵と呼ばれているのだ。
私はトルナード男爵夫人ともその夫君とも面識がないけど、お兄さまは夫妻と知り合いらしく、そもそも私がこのバーン城に泊まれるようにしてくれたのもお兄さまだった。
由緒あるレールティ家の長男で、根っからのお坊ちゃまであるはずの我が兄上は、なぜか体を鍛えることを最大の趣味にしていて、筋骨隆々とした百戦錬磨の武人のような人なのよね。
その妹というので、おおかた私のこともお兄さまと同じような感じで想像していたのだろう。
わるいけど、お兄さまのあれは血筋でも何でもなくて、ただの突然変異。お兄さまのことは好きだけど、私まで同じ目で見られるのは心外だ。
「それにしましても、ここはとても素敵な庭園ですよね。目の前にはこんなに綺麗な海もありますし。私、こんなに澄んだ海ははじめて見ました」
お兄さまとは違うことをアピールしようと、小首を傾げて、できるだけ家柄のいいお嬢さまっぽく見えるように微笑んでみせる。
日頃おばあさまに鍛えられているから、猫をかぶるのは朝飯前だ。
トルナード男爵夫人はおっとりした様子で笑みを返しながら、手にしている扇で優雅に口もとを隠した。
「名高いブリアール城の庭園に比べればお恥ずかしいものですわ。それでも、少しでもお気に召していただけたなら光栄です。何もないところですけれど、ここの景色は私もほんとうに好きですの」
どこか遠い目で海をながめるトルナード男爵夫人の横顔を見て、私は「ああ」と、あることを思い出した。
トルナード男爵夫人のフルネームは、シルワ・オルドーグ・デュ・モリフという。
オルドーグというのは父方の姓をさす。つまり、トルナード男爵夫人はオルドーグ家から嫁いできたということ。
ちなみに、結婚前の女子は母の旧姓を名乗ることになっている。私の名前も今はシュリア・シガリーン・デュ・レールティだけど、結婚すればシュリア・レールティなんとかかんとかになるのだ。
いかにも血筋を重視する貴族のみみっちい根性があらわれている。
オルドーグ家というのは、今も昔も伯爵の爵位を持っているから、トルナード男爵夫人はもともと伯爵家の人間だったのだろう。それが、今はこんな片田舎に城を構える男爵家の人間。
それでも、トルナード男爵夫人はここにいることが幸せだと言っているのだ、きっと。
華やかな世界にいるよりも、ここにいるほうがいいと。