代償9
再度流れ込んでくる記憶。
母親に手を引かれ、足を踏み入れた店内には先客がいた。
店主と話していた銀髪の先客は、ふいにその美しい髪を束ねている髪留めをはずし、カウンターに置いた。
『うちは質屋じゃないんだがね』
『それは分かってるわ。でも、これは銀も紫水晶も本物よ。お釣りはいらないから、これで薬草を売ってちょうだい。そちらに損はないはずよ』
『まあ、それはそうだがねぇ』
二人が話している間も、少女の目はカウンターに置かれた髪留めから離れなかった。
遠目にもそれと分かるほど紫水晶がふんだんに飾られている銀の髪留め――。
やっぱり見間違いなどではない。
あれはミリッシュの髪留めだ。
店主と話している銀髪の人物は、ミリッシュその人だ。
少女から唇を離し、そのちいさな頭を撫でながら、私は虚空を見つめた。
ミリッシュがこんなところにいるのも驚きだったけど、それ以上に衝撃だったのは、国務卿から貰い受けた髪留めを手放したことだ。
周囲から髪留めを褒められると、「あまりつけていたくはないの。でも、国務大臣から貰ったものとなると、仕立て屋としての私に箔がつくから」と、すこし苦笑いしつつ、いつも愛おしげに髪留めに指を這わせていた。
そんなに大切な髪留めを手放さないといけないほど金子に困っていたなら、ひとこと私に相談してくれればよかったのに……。
少女の肩を抱き寄せながら、つい小さく溜息がこぼれる。
連続して《真実の雫》の力を使ったので、目を開けていても世界が白黒にしか見えなかった。
色まで失ったのは何年ぶりだろう。
ブリアール城で《真実の雫》の力を使うことがなくなったのは、お父さまに会いたいと思わなくなったとか、お兄さまとは別に想い人ができたことを知られては困るとか、そういうことだけじゃない。
他人の心を覗くと、本来なら知らなくてすむはずのことまで知ってしまうから──。
仲良しだと思っていた侍女が、心の内でほんとうは口汚く自分を罵っていたとか、嫌っていたとか、自分を利用しようと考えているだけだったとか……。そんな醜い真実を知ることなんて珍しくもなかった。
もともと《真実の雫》は、結婚する相手の愛が真実かどうかを知るためのものだから、そういう意味で十分に効果があるのはたしかだ。
だけど、人に裏表があることを知ってからは、何を思っているのか知りたいと思うことはあっても、実際には他人の心なんて覗かなくなった。自分のそばにいる人ほど。
醜い真実を知るたびに傷ついたし、それがその人の本音だと分かるからこそ、気のせいだとか勘違いだとか言って受けた傷を誤魔化すこともできず、自分の本心からも目を背けて、ただただ平気な顔をして笑っていることしかできなかった。
だって、悪意を読まれたことに気づいた人は、もうその本心を隠そうとはしなかったから。開き直って、あからさまに悪意と嫌悪を向けてくるから。
人の心なんて無闇に覗くものじゃない。覗いてから後悔することになっても取り返しがつかないことを、私はもう嫌というほど学んでいる。
「ラウラス、早く戻ってこないかなぁ」
湖を渡る舟が出るまで、あとどのくらいだろう。
少女がなくした薬はラウラスが買ってきてくれるからいいとして、母親がすぐに見つからなかった場合は、町の人にこの子のことを頼むか、一時的に預かってもらって、あとから私が人を手配して家まで送り届けるしかないかな。
そんなことを考えていると。
「きゃ……っ! なな、なに!?」
いきなり体が吹っ飛んだ。
他人じゃない。私の体が吹っ飛んだ。
とっさに受け身はとったけど、左肩が外れたかと思うほど痛んだ。
あわてて顔を上げると、そこには一見して傭兵崩れと分かる男が三人、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
なにか喋っているようだったけど、あいにく今の私の耳には聞こえない。
とにかく少女をかばおうと、とっさに前に出る。
その男たちには見覚えがあった。少女の記憶の中で。




