容疑者3
男爵は毒入りのパイを食べて亡くなったということで、殺人の容疑をかけられたのは、実際にパイを運んだ私と、直接男爵にパイを渡した従僕。それから、もともとパイを運ぶ予定だった赤毛の若い女中。
パイそのものを作った人物に容疑がかかっていないのは、パイを作ったのがトルナード男爵夫人だからだった。
私からすれば、夫人も十分に容疑者の中に入ると思うのだけど、ここは男爵夫妻の城。男爵がいない今、トルナード男爵夫人を容疑者として表立って糾弾する人物などいるわけがなかった。
「遅くなって申し訳ございません」
女中はそう言って、テーブルの上に食事ののったお盆をおいた。
「私の供人たちには、きちんと食事を出していただけているのですか?」
なかなか沈まない太陽はまだ燦々と輝いていたけど、さっき六の鐘が鳴ったから、もう夕刻だ。
今ごろになって、今日最初の食事が運ばれてくるなんて。
私でこの扱いなら、イデルたちはどんな扱いを受けているのかと心配になってくる。
それもこれも私の軽率な行動のせいだと思うと言葉もないけど、今さらそんなことをぐちぐち言っても仕方ない。過ぎ去ったことよりも、いま目の前にある現実に向き合うことのほうが大事だ。
「ご安心ください。今ごろ他の方々にも同じように食事が届いているはずです。食事のお届けがこのような時間になってしまいましたこと、心からお詫びいたします」
ふんと胸の内で鼻を鳴らしつつ、表面上は目を伏せて、喉の奥でか細い声を絞り出す。
最初から牙を剥き出しにした狼よりも、温厚そうな動物の皮をかぶった狼のほうが、獲物の急所を狙いやすいというもの。
「私は食事があろうとなかろうと構いません。今は食欲もありませんし……。けれど、私の供人たちは別です。あなたたちが私を疑うのは仕方ないことですが、私の供人まで犯罪者扱いするのはやめてください」
「誤解ですわ。私たちは侯爵家の皆さまを不当に貶めるつもりなどございません。それに正直なところ、私自身はあなたさまが犯人だとは思っておりませんわ。だって、あのグラースタ伯爵の妹君ですもの」
そう言って微笑む女中の頬にはえくぼが浮かび、とても愛らしかった。けれど、そのえくぼはすぐに消え去る。
「こちらにお食事をお持ちできなかったのは、シュリアさまを罪人と疑って軽んじていたからではなく、奥方さまが倒れられたからなのです」
私は自らの腕を抱えるようにして、肩でちいさく息をついた。
「まあ、無理もありませんわね。男爵があんなことになったんですもの」
「いえ、そうでは……」
女中の視線がなにかを躊躇うように床の上を彷徨う。
「まさか、夫人も……?」
思わず猫をかぶるのも忘れ、大きく一歩踏み込んでしまったけど、女中は自分の思考に忙しくて私のことなど気にしていないようだ。うつむく彼女の手はちいさく震えていた。
「はい。おそらく奥方さまも毒を盛られたのではないかと。医師もこれ以上はどうにもと……」
「そんな、医師が匙を投げたというのですか? 何の毒が使われたのかも分からないと?」
「はい」
夫人が倒れたのは朝食の後だったそうで、朝食に毒が盛られていたのではないかと、厨房を隅から隅まで調べたという。それでも毒は出てこなかったそうだ。
出された朝食自体も調べたけれど、毒が含まれている様子はなかったという。