過去と幻想6
「お嬢さまは今、幸せではないのですか?」
困惑げな声で問いかけてくるラウラスに、私は黙って頷いた。
まったく望んでいない最悪な結婚をさせられたものの、心から信頼できるイデルがそばにいてくれて、まだ恵まれているとは思っているわ。
それでも私、やっぱり幸せだとは言えない。
全然言えない。
「だって、私が好きなのはあなたなのよ。どうして他の人と結婚して幸せだと思えるの? 諦めようと思って、忘れようと思って努力したけど……やっぱりどうしても、あなたに会いたくてたまらなかった」
ラウラスの平穏な日常を壊してしてはいけないことは、痛いほど理解している。
それでも、体が捩れそうになるくらい、ラウラスの声が聴きたくてたまらなかった。
お城の窓からラウラスの姿を見かけるたびに、何度駆け出しそうになったか分からない。
恐る恐る顔を上げると、ラウラスは青い顔で眉間にシワを寄せていて、今にも頭を抱えそうな何とも言えない表情をしていた。まるで人生最悪のひどい失敗をしたとでも言いたげな……。
どうせなら夢の中くらい甘いロマンスを楽しませてくれてもいいのに。私の頭の中って、変にリアリストなのね。
「お嬢さま、ほんとうに申し訳ありません......。私、頭がどうかしているようで……」
「相変わらず頓珍漢なことを言う人ね。あなたの頭はどうもしていないわよ」
そうねぇ。
考えてみれば、たしかに現実のラウラスも、こんな反応をしそうかも。
そう思うと、なんだか急に可笑しくなってきてしまった。
これはこれで、まあいいかと思えてしまう。そもそもヘンに現実離れした甘い夢だと、かえって目が覚めたときに辛くなるし、羞恥心と自己嫌悪で悶絶することになりそうだもの。
「いえ、私、本当にどうかしているんです。すみません」
まさに文字通り完全に頭を抱えてしまったラウラスを見て、私はいよいよ可笑しくなってしまって、気づいたら声を上げて笑いだしていた。
「そんなに真剣に困らないで。夢なんだから」
「夢……。そうですよね。そうです……けど……」
うーんと、遠い目で空を見上げたまま今にもへたり込みそうになっているラウラスが可笑しすぎて、私はラウラスに抱きついたまま思いっきり笑った。
こんなふうに笑ったのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
冷静に考えると、告白した相手が血の気を失くして頭を抱えている状況なんて、傷ついて泣きたくなってもおかしくないのに、不思議なほど晴れやかな気分だった。
甘いロマンスにはほど遠くても、こんな夢も悪くない。
何より、久しぶりに声を上げて笑えたことが嬉しい。
「……いえ、やっぱりすみません。お赦しください」
「本当にあなたって人は……何をそんなに謝ることがあるの? それとも、それは私への返事なの?」
笑いながら軽い気持ちで尋ねる。
「いえ、返事だなんて滅相もございません。ただただお嬢さまに申し訳なく……」
「あなたの言っていることの意味が今ひとつ分からないけど、私があなたのことを好きでも、あなたが応じる必要はないし、返事もしなくていいのよ。私がただ言いたかっただけだから、そんなに気にしないで」
私がそう言ったとたん、なぜかラウラスの表情が一変した。
急に真剣な表情になるものだから、私は驚いてラウラスから手を離し、目をしばたたいてしまった。
「……お嬢さま、もしかして何か隠していらっしゃいませんか?」
「え?」
「何か、切羽詰まっていることがおありなのではありませんか? お嬢さまはいつもそうやって平気そうなフリをして一人で抱え込んでしまわれますから。何か困っていることがあるならおっしゃってください。私では役に立たないかもしれませんが......」
まったく思ってもみなかったことを言われて、私はとっさに答えに窮してしまった。
だって、本当にただ言いたくて言っただけなんだもの。現実では言えないことだから。
「考えすぎよ。そこまで深い意味なんてないわ」
ラウラスが心配するような切羽詰まっていることは何もないけど、でも、少しだけ疲れているのかもしれない。
とくにメリディエル家に嫁いでからは、負けたらいけないと歯を食い縛ることが多くて。
だから、こんな夢も見てしまうのかもしれない。
だったら──。
「……あのね……。あの……ひとつだけ私のお願いをきいてくれるかしら」
「何でしょう?」
ちゃんと顔を上げられなくて、うつむいたまま少しだけ口ごもってしまう。
「あのね? その……少しだけでいいから、私を抱きしめてくれない? そうしたら私、また頑張るから」
さすがにラウラスの反応が怖くて、思わずぎゅっと目を瞑ってしまう。
「やっぱり何か隠していらっしゃいますね」
ラウラスが小さく溜息をついたのが分かって、胸の奥に鉛を流し込まれたような気持ちになったけど、次の瞬間にはなぜか体が軽くなる感覚があった。
「お嬢さまはいつも頑張り過ぎです。そんなに何でもお一人で頑張らなくていいんですよ」
優しい声そのままに、ラウラスがそっと私を抱きしめてくれていた。
残念ながら、夢だから抱きしめられている感触なんて何もなかったけど、胸の中があたたかくなるのが分かった。
気がついたら、私も腕をラウラスの背中にまわしていた。
「大丈夫。私、今度は一人じゃないから。ちゃんと頑張れるわ」
「お嬢さま……、私が申し上げたいのはそういうことではなくてですね……」
気のせいかもしれないけど、ほんの少しだけ私を抱きしめているラウラスの腕に力がこもった気がした。
「心が擦りきれてボロボロになるまで頑張り過ぎないでほしいんです。どうかご自分を大切になさってください」
私は言葉が出てこなくて、ラウラスの胸に顔をうずめたまま子供のようにうんうんと頷いた。
ああ、なんだか心の中が一気に満たされていく感じがする。本当に明日からまた頑張ろうと思えるわ。
「ラウラス、大好きよ」
そう呟いて、ラウラスの胸にぎゅっと頬を寄せたあと、少しだけ体を離して視線を上げた私は、思わず息を詰めた。
だって、ラウラスの頬を涙が伝っていたから。
どうして泣いているの?
そう尋ねたかったのに、私の目はそこで覚めてしまった。