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過去と幻想4


     ◇  ◇  ◇


 どんよりとした雲におおわれた空も、目の前を流れる大きな河も、すべてが灰色に染まっていて、とても重苦しい景色だった。

 その場に立っているだけで胸が圧迫されていくかのような錯覚を覚えてしまう。


 ああ、だけど、これは夢だわ。

 なぜか私は、はっきりとそう思った。

 足元を確認しようとして、何とはなしに下を向いた私は、目に入った自分のドレスに思わず息を詰めた。

 

 薄いピンクが基調で、袖や裾は鮮やかな濃いピンクのグラデーションになっているドレス。

 これは……子供の頃に着ていた服だ。

 グラデーションがとても綺麗で、あの頃はお兄さまもまだブリアール城でいっしょに暮らしていたから、お兄さまに見てもらいたくて足早に城内を歩いていたことを憶えている。

 そうして、女中たちが話しているところに出くわしたのよ。


『お嬢さまとはあまり目を合わせないほうがいいし、話すのも最低限にしたほうがいいよ。ここのお嬢さまは他人の心を読むし、いきなり耳が聞こえなくなったり何だりですごく変わっているから、深く関わると面倒よ』


『ドレスもね、よく見せに来られるから、当たり前だけど、似合っていなくても、よくお似合いですと答えるのよ。とにかく当たり障りのない返事をしておけばいいから。あまり気に入られると、それもまた面倒だから気をつけてね。側仕えのナリアート嬢のことを知っている? あの方はね──』


 古参の女中が、新しく入った若い女中にあれこれ話をしているようだった。

 姿は見えなかったけど、たしかに聞き覚えのある声だった。

 新しい綺麗なドレスにウキウキしていた気持ちが急激にしぼんでいって、そのままうつむきながら部屋に引き返したことをよく憶えている。

 泣きそうになりながら部屋に戻る途中、ふと庭園に目をやると、自分の着ているドレスとよく似た色の、薔薇のような花が見えて。

 引き寄せられるようにして庭園に出たところで、初めてラウラスに会ったのよ。


 嫌な思い出と、良い思い出がいっしょに刻まれているドレス。

 複雑な気持ちで顔を上げると、河のそばに誰かが立っているのが見えた。

 後ろを向いていたけど、それが誰なのかは確認しなくても分かる。

 華奢な身だけど、とても姿勢がよくて、凛としている立ち姿。うなじで結ばれている艶やかな褐色の髪。

 私のよく知っている大好きな人。


 ドレスにまつわる思い出として夢に引っぱられてきたのが、女中のほうではなくてラウラスのほうでよかったと、心底ホッとした。


 夢だから、声をかけても平気よね。


 今までにないくらい心を弾ませながらラウラスのほうに駆け寄る。

 ブリアール城にいたときは、彼に駆け寄るなんてことは一度もしたことがなかった。特別な感情を周囲に悟られるわけにはいかなかったから。

 ラウラスにはあくまでも庭師の一人として接していたし、怪しまれないように他の庭師たちとも同じように親しく言葉を交わすよう気をつけていたのだけど。そのおかげで、私はいつの間にか庭師たちととても仲良くなっていて、本当にブリアール城の庭園で過ごすのが好きになっていたのよ。


「ラウラス!」


 夢は夢でしかないけど、それでもラウラスに会えるのは素直に嬉しい。

 声を弾ませて名前を呼ぶと、彼はゆっくりと私のほうを振り返った。


「……ラウラス?」


 振り返った彼の瞳を見て、私は思わず立ち止まってしまった。

 その緑の瞳はまるでガラス玉のようで、何の感情も映してはいなかった。ただ深い深い虚無が覗いている。


「どうしたの……」


 うまく言葉が出てこなくて、私が立ち尽くしていると、ラウラスはゆっくりと瞬きをした。

 そうして、にっこりと笑った。それはそれは嬉しそうに。

 そのあまりにも鮮やかな表情の変化に、私の視線が釘づけになる。


「お嬢さま」


 その表情は私が知っているラウラスよりもあどけなくて、どこか無邪気な感じがした。 

 本当に心から笑っているように見えた。

 いつも他人とは一定の距離をおいているラウラスがこんなふうに笑うのを、私は今まで見たことがない。

 知らず知らずのうちに、私までつられて笑顔を返していた。


「ねぇ、ラウラス。このドレスを憶えている?」


 私自身も子供の頃に返ったような気持ちで、無邪気に笑って両腕を広げて見せた。まるであのときに叶えられなかった、お兄さまに新しいドレスを見せるという目的を果たそうとするかのように。

 だって、これは夢なんだもの。夢の中でまであれこれ我慢しなくたっていいじゃない。


「もちろん憶えていますよ。初めてお会いしたときにお召しになっていたドレスですよね」


 現実だったらドレスのことなんて憶えているはずがないけど、さすが夢なだけはある。ラウラスは笑顔のままさらりと答えてくれた。


 あのとき、お兄さまに見てもらいたかったドレスは、けっきょく見てもらうことはなかった。それどころか、あれ以降、誰にもドレスを見てもらうことはしなくなった。

 みんなが私と関わることを迷惑に思っていたと知ってショックだったし、本当は似合ってないのに、似合っていると心にもないことを言われていたことにも傷ついた。

 今思えば、侯爵令嬢の私に、似合っていないだなんて言えるわけないことくらい、当たり前に分かるのだけど。

 それに、心を読まれるのだって不快に感じて当然だもの。幼かったとはいえ、考えの足りなかった私がすべて悪い。


「ねぇ、私って野暮ったい?」


 なぜだか唐突にレクカオール嬢が心の中で呟いていた言葉が思い起こされて、私は知らず知らずのうちに唇を尖らせていた。


「このドレスも、本当は私には似合ってない?」


 それはラウラスに尋ねているというよりも、ただの独り言だった。

 だって、いくら夢とはいえ、ラウラスだって似合っていないだなんて言えないことくらい、よくよく理解しているもの。

 そもそもラウラスなら、相手が誰であろうとそんなこと言わないと思うし。


 ただ私がずっと心の奥底で燻っていた気持ちを吐き出したかっただけのこと。



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