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過去と幻想3

「だけど、お父さまは国のために働いていらっしゃってて、お忙しいから……。離縁に関しては、できるかぎり自分で何とかするつもりよ。とはいえ、離縁となるとレールティ家にも関わる問題だから、お父さまには事前に話を通しておく必要があるわ。手紙だと不安だから、直接お会いして話したいのだけど……」


 私と目が合ったイデルは、心持ち眉根を寄せた。


「ここから都は遠いですし、うまく侯爵さまの都合がつくかも問題ですよね」


「そうなのよ。外遊に出られていることもあるし……。あと、これが大事なんだけど、絶対にラウラスに迷惑がかからない形で離縁しなくちゃいけないわ。おばあさまに変な疑いをかけられないように、明らかにメリディエル家側に非があるようにしないと」


 もしもラウラスの件で疑いの目を向けられたら……、次はない。確実にラウラスはブリアールを追放される。

 私のせいで彼の大切な居場所が奪われるようなことだけは、絶対にあってはならない。

 ラウラスには何の落ち度もないのに、それはあまりにも理不尽すぎるもの。


 もしもラウラスが居場所を失うことになってしまうようなら、私がここで生きていくことを選ぶしかないと思ってはいるけど、それでも、私は尊い自己犠牲なんてものを気取るつもりはないのよね。結果的に涙を呑むことはあるかもしれないけど、最初から何もせずに人生を諦めるなんてごめんよ。できるかぎりのことはやらせてもらうわ。

 そもそも自分すら幸せにできない人間が、他人を幸せになんてできるはずがないもの。ラウラスの幸せを願うなら、私も幸せにならなくては。

 ラウラスは私を銀梅花に譬えてくれたんだもの。


 銀梅花は幸せに添える花。

 萎れた花では、話にならない。

 できることなら、私は最後までラウラスに銀梅花のようだと思ってもらえる存在でありたい。

 たとえ私の手には何も残らなくても、せめてそれくらいは……。

 せめてラウラスの記憶の中くらいは、銀梅花と呼ぶに相応しい存在として残っていてほしい。

 大丈夫。必ずうまくやってみせるわ。


「私からすれば、現時点でも十分にメリディエル家に非があるように思えますが。水をかぶったことも、お茶会の件も、シュリアさまへの仕打ちはレールティ家を侮辱しているようにしか思えませんわ。証言なら私がいくらでも致しますし、大奥さまも許してくださるような気はしますが」


「甘いわね、イデル。水をかぶったのは偶然で片付けられるし、お茶会の件だって、実際に私は体調が悪いと言って寝込んでいたのだから、いくらでも言い逃れできるし、リナベスさまの非にはならないわ」


 私がそう言うと、イデルは悔しそうに唇を引き結んだ。

 そうして、ゆっくりと息を吐き出す。


「たしかにそうですね……。やはりアトラグさまに頼るのが最善かもしれませんわね。アトラグさまにご相談なさるのでしたら、私が文を手配致しますわ。この家の人間を通しては、面倒を起こしかねませんから」


「そうね」


 とくにリナベスさまにとって私の存在は目障りなはずだもの。私の足をすくおうと、常に機会を窺っていてもおかしくない。私が出す手紙だって逐一チェックされている可能性がある。

 ほんと、こういうときに気心の知れた侍女がいてくれるのはありがたいわ。


「だけど、お兄さまは敵と見なした相手には容赦がないし、やり方が怖いから……正直なところ、あまり頼りたくはないのよね。そもそも、いつまでもお兄さまに頼ってばかりなのもどうかと思うし。私ひとりではどうしようもなくなったときには力を借りないといけないと思っているけど……。それに、離縁する前に、やらないといけないことがあるのよ」


「何ですか?」


 レールティ家に伝わる《真実の雫》のことは、イデルもよく知っている。

 というか、その力はイデルがいちばん体感している。私が幼い頃から真珠の副作用を利用するためにいちばん心を読んでいたのがイデルだから。

 だからこそ、私はイデルだけは本当に信頼しているのよ。

 私のことを心から好いてくれていて、私に対して悪意なんて微塵も抱いていないことが分かっているから。


 真珠に宿っている魂のことや、メリディエル家に伝わる懐剣のこと、夢で見たリィリスという女性のことなどを説明し、メリディエル家に取り憑いているであろうお姫さまの魂を何とかしたいことを、イデルの反応を窺いつつ伝えてみる。

 真珠の不思議な力のことはよく分かっているからか、真珠にまつわる話とあれば、かなり荒唐無稽に思えることでも、イデルは怪訝そうな様子ひとつ見せず、真剣な眼差しで私の話に耳を傾けてくれていた。


「……なるほど。それでは、キアルさまがシュリアさまを花嫁にと望まれたのは、シュリアさまがどうこうというわけではなく、遠い昔の因縁があってのこと、というわけですね。そして、再婚約をして結婚までもっていくために、シュリアさまの体を乗っ取っていたのがそのお姫さまである、と」


「そういうことらしいのよね」


「まったくもってふざけた話ですわ。そのお姫さまとやらは、かつてリィリス嬢を酷い目にあわせた女なのでございましょう? 今になって、またシュリアさまに何の用があるというのです? いったいシュリアさまのご結婚を何だと思っているのでしょう。許せませんわ」


 息まくイデルに、私は肩をすくめた。


「他人の結婚のことなんて何とも思ってないんじゃない? だって、友人に自分の恋人をあてがって破滅にまで追い込むような人間なのよ? ふつうの感覚なんて期待しないほうがいいと思うわ」


「それはそうかもしれませんが......。とにかく許せませんわ」


「その気持ちは分かるけど、まあ、落ち着いて。私だって人生をめちゃくちゃにされて腹が立つし、今すぐにでもやり返してやりたい気持ちは山々なんだけど、まずは下準備が必要よ」


「何でございましょう? 私は何をすればよろしいですか」


 ずいぶんと前のめりなイデルに苦笑を禁じ得なかったけど、同時に心強くもあった。

 私、今はもう独りじゃない。

 誰にも何も相談できなくて涙したミルテのときのことを思えば、今の私はほんとうに恵まれているわ。

 そばにイデルがいてくれるんだもの。


 そのとき、ふいに扉をノックする音が聞こえた。

 私と一瞬視線を交わし合うと、イデルが心得たようにいらえを返す。


「デュ・レクカオールさまがシュリアさまにお渡ししたいものがあるとのことで、いらしているのですが」


 レイルの声だ。


「いいわ。お通しして」


 小声でそうイデルに伝えると、イデルは神妙な顔で頷き、扉を開けた。


「ごきげんよう、子爵夫人。お加減はいかがです?」


 にこやかに声をかけてくるレクカオール嬢だったけど、一度心の内で毒を吐いているのを聞いているだけに、その優しげな声も素直には受け取れない。今もまた何を心の内で呟いているのやら……。

 思わず、手首にブレスレットをつけていないことを確認してしまう。


「じつはまだあまり具合がよくありませんの。このままお迎えする失礼をお許しくださいませ」


 おもむろにソファから立ち上がり、しおらしく目を伏せて見せる。

 面倒ごとを起こしたくないのでいちおう通しはしたものの、長居はしてほしくないからね。


「どうかご無理なさらず。それほどお時間をいただくつもりはございませんの。少しでも病床の慰めになればと思い、贈り物をお届けに上がっただけですから」


 レクカオール嬢が視線を向けると、後ろに控えていた青年がすっと前に出てきて、レクカオール嬢に花束を渡した。

 それをそのまま、レクカオール嬢はゆっくりとした動作で私に差し出してくる。


 小指の半分ほどの大きさの白い花が複数咲いている花。ひとつひとつの花の形は少しだけ百合に似ているかしら。

 でも、百合みたいに強烈な存在感がある花ではなくて、小さな百合がいくつか集まって咲いているような、そんな感じ。ブリアール城の庭園では見たことのない花だわ。


「とても可愛らしい花でございますね。眺めていると気持ちが晴れやかになりますわ。すてきな贈り物をありがとうございます」


「気に入っていただけたなら良かったですわ。元気になられましたら、ぜひいっしょにお茶でもいただきながら、たくさんお話を致しましょうね」


 あのときにレクカオール嬢の心の声さえ聞いていなければ、きっと私は満面の笑みで応えていたに違いない。それくらい彼女は慕わしげな笑みを浮かべていた。


 おそらくリオンさまの婚約者という立場上、私との関係を配慮しただけの、ただの社交辞令に過ぎないとは思うものの……。

 それでも、わざわざ花束を用意して持ってきてくださった気持ちは蔑ろにすべきではないのかもしれない。


 そう思い直すと、私は花束を胸に抱え、微笑んで見せた。

 花の甘い香りがかすかに鼻腔をくすぐる。

 いつも様々な花に溢れていたブリアール城の庭園が思い出されて、胸を締め付けるような郷愁にかられた。

 ジンと、目頭が熱くなる。


「ええ。その日を楽しみにしておりますわ」


 今度は私も心からそう答えた。

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