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過去と幻想2

「シュリアさま……。私も、相手に地位と財産さえあればいいなどとは思っておりませんわ」


 いつもよりイデルの声が優しく聞こえて、私は思わず顔を上げた。


「でも、イデルはそれが必要条件だと思っているでしょう?」


「そんなことはございませんわ」


 さらりと答えるイデルに私はカチンときて、思わず尖った声が出る。


「嘘よ。あなたは私の片恋をよく思っていなかったじゃない」


 ラウラスの話題を出したら、イデルがいつも眉宇を曇らせていたこと、私はちゃんと憶えているわよ。

 何でも気兼ねなく話せるイデルだけど、唯一ラウラスのことだけは例外だったもの。


「何か誤解していらっしゃるようですが……。私がシュリアさまの片恋をよく思っていなかったのは、あの庭師の身分が低いからではございませんわ」


「じゃあ、なぜなの? ラウラスが嫌いなの? あんなに礼儀正しくて誠実な人なのに」


「ええ。彼がとても誠実な人で、周囲の人間からも慕われていることはよく存じておりますわ。ブリアール城で働く人間は、怪我や病気をすると彼のところに行くのが当たり前のようになっていますからね。私はべつに彼の人間性を疑ったことはありませんし、彼を嫌ってなどもいませんわ。そのようなことはまったく関係ないのです。ただ……侯爵令嬢であるシュリアさまがどんなに想っても叶うことのない想いだからこそ、深く傷つく前に諦めていただきたいと思っていただけなのです。まさか成人しても想いつづけられるとは思ってもいませんでしたし、よもやシュリアさまのご結婚がこのようなことになるなんて夢にも思っていませんでしたから……」


「イデル……」


 なんだ……。そうだったのね。

 ラウラスのことを低く見ているから眉をひそめていたわけではなかったのね。

 なんだか心の片隅にあった小さな氷の欠片が、ほろりと溶けて消えていくような気がした。


「それならそうと、最初から言ってくれていればよかったのに」


「申し上げたところで、シュリアさまは反発なさるだけで、まともにお聞きにはなりませんでしょう? 恋は盲目と申しますから」


 ……たしかに昔の私だったら、イデルに何を言われたところで受け入れなかったでしょうね。どんなに正論を述べられても、諦めるように言われたら、腹を立てたに違いないわ。

 実際、私はミリッシュと、叶わない片恋であっても想いつづけることを誓い合っていたくらいだもの。そのために結婚もしないと言い張っていたわけだし。

 だけど、今の私はもうあの頃とは違う。片恋にしがみついて周りを振りまわすようなことはしないし、こうしてイデルの話も冷静に聞くことができる。

 少しだけ、あの頃よりは成長したのかもしれない。


「例えばですが、離縁なさったあと、シュリアさまはどうなさるおつもりですか。はっきりと申し上げますが、ブリアールに戻ったところで、あの庭師と一緒になれる望みなどはございませんよ。そもそも彼に想いを寄せている娘は多いですから、シュリアさまにとっては嫌なものを目にするだけかもしれませんわ」


「……それは分かっているわ」


 ラウラスは男装の麗人と言われても違和感がないくらい整った容姿の持ち主で、いつも穏やかな笑顔を浮かべている上に、頭もよくて病気や怪我をしたときに助けてくれるとなれば、心奪われる乙女は一人や二人ではないことくらい、容易に想像がつくもの。

 以前、ラウラスが下働きの女の子と親しげに草摘みをしているのも見たことがあるし。


 あの子はラウラスに当たり前のように名前を呼んでもらえていて、本当にすごく羨ましかった。

 当たり前のように隣に並んで、親しく視線を交わし合って……。

 どれも私では叶わないことだから、羨ましいと同時に悔しかったし、すごく悲しかった。

 そして、きっと他にも同じような女の子がたくさんいるんだと思う。


「イデルの言っていることはもっともよ。でも、今の私は昔と違って、彼が幸せであればいいと思えるようになっていて……。イデルの言うとおり、将来彼の隣にいるのは私じゃないでしょう。それでもいいと、今は思っているのよ」


 胸が痛まないと言えば、それは大きな嘘になる。

 もしかしたら、そのときには泣いてしまうかもしれないけど、それでも私はいつかまた前を向いて歩いていける気がしているの。それで私の人生が終わるわけではないから。


「お兄さまがね、前に言っていたの。ほんとうの大人っていうのは、何があってもちゃんと次の一歩を踏み出して自分を幸せにできる人のことを言うんだ、って。今はまだそれがどんな形のものかは分からないけど、私、自分を幸せにするために頑張るつもりよ。そのために今できることを一つずつやっていきたいの」


「その今できることというのが、子爵さまとの離縁だとおっしゃるのですか?」


 私は頷いた。


「ですが、本当に少しも可能性はありませんか? この先、子爵さまがシュリアさまを愛して大切にしてくださる可能性は……」


「ないと思うわ、そんなおとぎ話みたいに都合のいい話」


 子爵にはたぶん、他に想う人がいるし……。

 たとえ子爵の想い人云々が私の勘違いだったとしても、そもそもメリディエル家の跡取りである子爵に愛されたら死ぬって言うし。

 おとぎ話みたいに、望まない結婚だったけど、最終的には夫に愛されてめでたしめでたし……なんていう結末はまったく見えない。


「そうですか……」


 イデルは深く息をついた。


「離縁なさりたいのでしたら、アトラグさまに相談なさってはどうでしょう」


「反対しないの?」


「メリディエル家のシュリアさまに対する仕打ちは私も苦々しく思っておりますし、シュリアさまのお気持ちと申しますか、覚悟を伺ったこの状況では、私が反対する理由などございませんわ。私はシュリアさまが少しでも幸せであれるように努めるだけでございます。もしかしたら、状況を説明すればブリアール侯爵も協力してくださるかもしれませんわ」


 完全にイデルが味方になってくれたことが嬉しくて、思わずイデルに抱きついてしまった。


「ありがとう。本当にイデルがいてくれてよかったわ」


「身に余るお言葉でございます」


 そう言って微笑んだイデルは、本当に女神のように美しかった。





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