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過去と幻想1

 長椅子に腰かけていた私は、ブレスレットを握っていた左手を開き、かるく首を左右に振った。


「これだと聞こえないわ」


 私の隣に座り、神妙な顔で私の様子をうかがっていたイデルの肩から力が抜けたのが分かった。


「では、ブレスレットを手首につけた状態で、シュリアさまの手が相手の体のどこかに触れたときだけ心の声が聞こえるということですね」


「そうみたい。口づけて心を読むときみたいに耳が聞こえなくなるとかの副作用がないのは救いだけど、厄介だわ……。もう迂闊にブレスレットをつけられないわね」


 口づけて心を読むときは、映像も見えるし、感情も読める。けれど、イデルに実験台になってもらってあれこれ試してみた結果、手を触れただけのときは、声しか聞こえないようだった。

 それでも、手が触れただけで心の声が聞こえてしまうなんて、考えただけでゾッとする。人の心の声なんて、大抵ろくなもんじゃないもの。

 あのレクカオール嬢のように、笑顔を浮かべながら内心で毒を吐いている人なんて山のようにいるのだから。


 頻繁に傷つくのはもうイヤだし、頻繁に他人の悪意に触れるのもイヤ。

 私が真珠の力を使わなくなったのは、それが理由なのに……。

 意図せず他人の心の声を聞かされるなんて冗談じゃない。


「いったいなぜ突然そのようなことになってしまわれたのですか?」


「それが全然分からないのよ」


「本当に少しも心当たりはないのですか?」


「本当にまったくないのよ……。いきなりレクカオール嬢の心の声が聞こえて驚愕したくらいだもの」


 イデルには、レクカオール嬢が心の中で何を呟いていたかについては教えていなかった。知ったらきっと、また顔を真っ赤にして怒り狂うに違いないもの。怒ったところでどうしようもないことなのだし、無駄に彼女の綺麗な顔を歪ませる必要はない。

 そう思って黙っていたのに、イデルは眉間にシワを寄せ、苛立たしげに息をついた。


「私は境守伯夫人がお茶会の件をシュリアさまに黙っていたことに驚愕しましたわ。本当になんと失礼な方なんでしょう」


 ……ああ、たしかにイデルにとってはそれも怒りの対象になるわね……。

 憤りを隠さないイデルを見て、私は肩をすくめた。


「それについてはそんなに腹を立てる必要なんてないわよ。はっきり言って、私はメリディエル家の人たちのことなんて全然眼中にないもの」


「それはどういう意味ですか?」


 一瞬躊躇ったけれど、意を決して私は答えた。


「私は子爵と離縁するつもりよ。そう遠くない未来にね」


 イデルが絶句したのが分かったけど、その反応は想定内だ。

 そもそも誰だっていきなりそんなことを言われたら戸惑うに決まっている。

 だから、私は努めて冷静に話を続けた。誰に何を言われたって結論は変わらないし、決意は揺るがないもの。


「あなたには言ったでしょう? 私は子爵に嵌められてここへ無理に嫁がされたのよ。それでも私を愛して大切にしてくれるならまだしも、この扱いよ? レールティ家のために絶対に必要な結婚というのであれば、どんな扱いをされようと私だって我慢するし、離縁なんて考えないわ。だけど、この結婚はそうじゃないもの。私の大切なものを全部捨ててまで、こんなところに一生いたくないわ。イデルは反対かもしれないけど」


「なぜ私が反対すると?」


「だって、貴族の娘として生まれたからには、家を背負って果たすべき義務と責任があるし、イデルは私がメリディエル家に嫁いで良かったと思っているでしょう?」


 イデルは最初からメリディエル家が私の家格と釣り合っていて相応しいって立場だったし、昔から私がラウラスに想いを寄せていることをよく思っていなかったもの。ラウラスが貴族ではなくて、一介の庭師に過ぎないから。


 私はまっすぐにイデルの目を見つめた。

 イデルの薄茶の瞳は光の加減によっては青みがかって見える、とても美しくて魅惑的な瞳だった。まさに吸い込まれそうな瞳と表現するのがふさわしいと思う。子供の頃から一緒にいる私でさえ、今でも見入ってしまうことがあるくらいだもの。たとえるなら、美しくカッティングされ、微妙に色を変える様々な光をたたえた宝石のような……。

 そう。イデルの瞳はまさに一対の宝石と言っても過言ではないと思うわ。

 だけど、今はそんなイデルの瞳の美しさに呆けることもなく、私は背筋を伸ばして言葉を紡いだ。


「たしかに貴族の女は地位も財産もある相手と結婚することが家のために必要とされているし、それが幸せだとされているわ。お金持ちであれば食べる物にも着る物にも不自由はしないでしょう。きらびやかな宝石で綺麗に着飾ることだって、いくらでもできる。それはたしかにとても恵まれていることだと思うわ」


 きっとそれで満たされる人もたくさんいるんだと思う。

 でも、どんなに綺麗なドレスで着飾ることができても、どんなに美味しい料理を並べられても、私の心の中は虚しさでいっぱいで……。何ひとつ満たされないの。


「イデルはメリディエル家の食卓がどんなものか知ってる? 物音ひとつ立てられないくらい凍りついた空気のなか、みんな目も合わせずに無表情で食べているのよ。料理の味なんてさっぱり分からないわ。私は、私はね……」


 レールティ家の食卓はいつも温かい空気に包まれていた。

 おばあさまはテーブルマナーにうるさいけど、それでもそれなりに会話はあったし、お兄さまがいるときは、さらに楽しくて料理も一段と美味しく感じた。お父さまと食事するときはお喋りに夢中になってしまって食事時間が長くなってしまうくらいだった。それでもお父さまはにこにこ笑いながら私の話を聞いてくださっていて……。

 それは間違いなく優しい幸せに満ちた空間だった。

 だけど、ここには……、メリディエル家には、そういう温かいものが何もない。


 言葉に詰まって唇を噛み、私はうつむいた。


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