結婚生活11
「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」
食事を運んできた女性を見て、私は思わず息を呑んだ。銀髪のその女性が一瞬ミリッシュと重なって見えたのだ。
もちろん別人で、容姿もまったく似ていない。ただ髪の色が同じというだけなのだけど。
歳は私より少し上くらいだろうか。女中にしては上等な服を着ているような気がするし、何よりキャップをかぶっていないのが少し不思議だった。この国では侍女も女中も服は自由だけど、女中のほうは白いキャップをかぶっているものだから。
「お食事はこちらのテーブルのほうにご用意してよろしいですか?」
「ああ、そこでかまわない。アイシャ、食事を置いたら、こちらにおいで」
子爵が穏やかな声で言う。
アイシャと呼ばれた銀髪の女性は手早く配膳を終えると、言われたとおり子爵のそばに来た。
「シュリア、今日からあなたの侍女として仕えるアイシャです。本当は昼間に紹介したかったのですが、そういう状況ではなかったので今になってしまいました」
私は思わず眉根を寄せてしまった。
わざわざ子爵が私に侍女を紹介するというのはどういうことだろう。常識ではちょっと考えられない。そもそもそのような人員の采配は子爵の仕事ではないし。
私が訝っていることを察したのか、子爵は小さく笑った。
「リナベスさまはあまり関心がないようですが、ソルラーブとブリアールでは細かいしきたりなどが違うこともあるでしょうから、ブリアールから来た侍女だけでは心許ないでしょう。アイシャは幼い頃からここにいるので、ソルラーブのこともシカトリス城のことも何でもよく知っています」
子爵はやわらかく言っているけど、要するにリナベスさまは私が困ろうがどうしようがどうでもいいと思っているということよね。私のために便宜を図るつもりなんてないということ。
私が何か失態をさらせば、それは子爵の失態につながるし、恥になりかねないものね。後継者という立場を狙われている身としては、少しでも不安要素があるなら潰しておくのは当然か。
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
「では、私はこれで」
そう言って子爵が退室しようとしたときだった。
「キアルさま、お待ちください。少しお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「なんだい?」
声をかけたアイシャのほうを子爵が振り返る。
子爵に歩み寄るアイシャを見るともなしに見ていると、なぜか妙な違和感をおぼて、いつの間にか私は二人から目が離せなくなっていた。
何かしら……。
アイシャに違和感があるわけではない。話の内容はよく聞こえないけど、彼女は真剣な表情で子爵に何かを話していて、特段おかしなところは感じない。
違和感があるのは……子爵だ。
相変わらず穏やかな笑顔を浮かべてはいるものの、私に見せている笑顔とは何かが違う気がした。
私に向けている笑顔は仮面のように貼りつけたものでしかなくて、いつも胸の内なんてまったく見えない。だけど、アイシャに向けている笑顔はとても自然なものに見えた。何よりも、子爵がアイシャに向けるあの眼差しは──。
私にも、覚えがある。
私だから、わかる気がした。
絶対に誰にも言えない秘密。
もしかして子爵は、アイシャに想いを寄せていたり……しないだろうか。
ずっと得体が知れないと思っていた子爵だけど、アイシャと話している今は、初めて普通の人間のように見えた。
ただの、私の思い違いかもしれないけど……。
二人の間には適切な距離があって、とくべつ親しい感じなどはない。アイシャに至っては伏し目がちで子爵と視線すら合っていないけど、それはラウラスが私と話をするときと似ていて、身分差があるのだからとくに不思議なことでもない。
子爵の片想いなのかな……。
私と結婚した人なのに?
……いや、でも、メリディエル家の後継者は愛のある結婚はしないと言っていたし、愛した相手が死ぬとも言っていたから、たとえもし本当に子爵がアイシャのことを想っていたとしても、結婚なんてできないか……。
思わず溜息がこぼれる。
つくづく私の結婚って何なのだろうと思ってしまうわ。
というか、私の存在って何なのだろう。
私が今ここにいるのは、《真実の雫》という真珠を持っているから。ただそれだけの理由で強引にエスカラーチェ子爵夫人の椅子に座らされたのよ。
それで、夫は他の女に懸想?
私の容姿じゃ誰と結婚しても二番目以下の女になると思ってはいたけど、改めて現実に突きつけられると胸が痛いという以上に、ただただ虚しかった。
どうして私なんだろう。
私じゃなくてもよかったじゃない。
ただ真珠を持っているというだけで、こんな思いをしなくちゃいけないなんて理不尽だわ。
ああ、ほんとうにブリアールに帰りたい。
二人が話し終えて子爵が退室すると、アイシャが私のほうに戻ってきた。
「奥さま、お立ちになれますか? 体調が優れないとお伺いしたのですが」
「大丈夫よ。それより、私のことは奥さまではなく、名前で呼んでいただけるかしら」
「承知いたしました、シュリアさま。給仕は私が致しますが、よろしいでしょうか」
「あなたは侍女なのに、そんなことまでするのですか?」
侍女といえば、お化粧をしたり着替えを手伝ったり、衣装やアクセサリーなどの管理をするのが仕事で、普通は給仕なんてするものではない。
私が驚いていると、アイシャは微笑んで言った。
「本来なら給仕は致しませんが、今日はもう遅い時間ですし、シュリアさまの体調が優れないということですので、あまり人が入れ代わり立ち代わりで訪れるとお疲れになるでしょうから、私がお世話をするようにとキアルさまから申しつかっております」
「そう……。あなたはずいぶんと子爵さまからの信頼が厚いのですね」
「畏れ多いことでございます」
控えめな性格なのか、アイシャはとても口数が少なかった。物怖じせずに堂々と意見してくるイデルやキャナラをはじめ、ブリアール城にいた他の侍女たちも活発でお喋りな人たちが多かっただけに、私のほうがなんだか少しどぎまぎしてしまう。これも土地柄なのかしら。
用意されたパンを少しちぎって口に入れると、やっぱりパサついていて、葡萄酒は相変わらず酸っぱくて渋かった。自然と食事を口に運ぶ手はゆっくりになるし、気分も重くなった。
お腹は空いているはずなのに、あまり食が進まない。