結婚生活4
このアヴァルク王国の貴族社会では、昼食がメインの食事になるため、朝食と夕食はごくごく軽いものしか口にしない。
メリディエル家の朝食もパンとチーズ、葡萄酒という一般的なものだった。
食卓についているのは、私も含めて六人。
事前にイデルから情報を得ているから、初対面ではあるけど、すでに名前や関係はしっかり頭に入っている。
私は朝食を摂りながら、不自然にならない程度に一人一人の顔を確認して名前と情報を一致させていった。
まず、ソルラーブ境守伯である当主のカウル・クアント・デュ・メリディエルさま。黒髪に青い瞳の凛々しいおじさまだ。いかにも武人という感じで、ちょっと気難しそう。
そして、その正妻であるリナベスさま。こちらも気難しそうな人で、私が挨拶をしてもにこりともしなかったし、逆に睨まれた。今のところ食事中もいっさい表情を動かしていない。
……というか、めちゃくちゃ空気が凍ってて怖いんですけど。この家族。
無言と無音がものすごく重くのしかかってくる。食器の些細な音どころか、息をするのも気を遣うほどの雰囲気だわ。
リナベスさまの隣に座っているのが、当主との間に生まれたメリディエル家の長男であるリオンさま。
父親と同じ黒髪に、母親譲りの茶色の瞳をしていて、こちらも憮然とした表情で食事をしている。
ああ、もしかして、得体が知れなくて不気味だと思っていた子爵が、この中ではいちばんまともというか、人間らしい表情がある感じなの? 冗談キツいわよ……。
なんだか頭痛がしてきたわ。
私の隣に座っているのがエスカラーチェ子爵であるキアルさまだ。彼はメリディエル家の次男。しかも、イデルの話では愛妾の子らしかった。
普通に考えれば、メリディエル家の後継ぎは正妻の子で長男であるリオンさまのはず。
おまけに、子爵の母親は、子爵が幼い時に亡くなっているらしいから、なおさらその立場は弱いはずで、本来であれば後継ぎになる余地なんてない。
ややこしいのは、メリディエル家の後継ぎというのは、家に古くから伝わる懐剣のお姫さまが選ぶものらしいということ。
以前、レールティ家の後ろ盾が欲しいから私と結婚したいのかと子爵に尋ねたら、姫が自分を選んだ時点で後継者は決まっていると答えていたもの。
お姫さまがメリディエル家にとってどういう存在なのか、私にはよく分からないけど、普通に考えればこの状況は正妻側は面白くないに決まっているわ。
それなのに、さらに事態をややこしくさせているのが、当主の態度らしい。
食事中もいっさい視線すら合わせない当主のカウルさまと正妻のリナベスさま。いかにも冷え切った夫婦という感じだ。
それだけならまあ、政略結婚なんかだとよくあることだと思うけど、イデルの話では、当主があからさまにリオンさまよりもキアルさまのほうを可愛がっているらしい。
これではどちらが正妻側で、どちらが愛妾側なのか分からない。立場がまったく逆転してしまっているのだから、諍いも起こって当然だわ。
あと、リオンさまの隣に座っているのは、当主の年の離れた妹であるレンティアさま。この凍りついた空気の中で、すました顔で平然と食事をしている。なかなか肝が据わった人のようだ。
まだ30歳らしいけど、夫と死別して嫁ぎ先から出戻ってきたとのことだった。
ほんとに羨ましいかぎりだわ。私も出戻りたい……。
つい、ちらっと隣に座る子爵を見てしまう。いや、べつに彼が死ぬことを願っているわけではないけども……。
私の視線に気づいたのか、ふいに子爵が私のほうを見て優しげに微笑みながら小首を傾げた。
なんだか勝手に一人で気まずくなってしまって、私は視線を落としながら葡萄酒を口に含んだ。
(……っ!?)
とたんに葡萄酒を盛大に噴きそうになった。ブリアール侯爵令嬢の名に懸けて死ぬ気で息を詰めて堪えたけど。
何なの、これ! すごく酸っぱいし渋いんだけど!
私、もう完全に葡萄酒恐怖症になりそうだわ。
目を白黒させながら周りを見るけど、メリディエル家の人たちは平然としている。今まさにリオンさまが葡萄酒を口にしているけど、何ともなさそうに飲んでいた。
私がしばらく林檎酒ばかり飲んでいたから、舌がおかしくなったの?
いやいや。そんなはずはない。だって、おじさまと飲んだ葡萄酒は美味しかったもの。こんな味じゃなかった。
メリディエル家の人たちはこれが普通なの? ラウラスが平気そうにすごく酸っぱい葡萄酒を飲んでいたみたいに?
軍事のお家柄だし、境守伯という性質上、非常時に備えて平時からこういうのに慣れておくため? そういえば、パンも少しパサついている気がするもんな。
なにこれ。
無音が重苦しくのしかかる凍りついた空気の中で食事して、酸っぱい葡萄酒を飲まないといけないとか、何の罰ゲームなのよ。
毎日これに耐えろって?
たしかに食事くらい静かにしたいと思ったわよ。でも、これはいくら何でも行き過ぎでしょう。
もともと私の結婚なんて墓場も同然だと思っていたけど、こんなの墓場を通り越して地獄なんですけど。
食べるものは質素でも、ラウラスとの食事のほうが百万倍楽しかったし、美味しく食べられたわ。私が我慢できないくらいの酸っぱい葡萄酒でも、ラウラスはすぐに気づいて蜂蜜を入れてくれたし。
でも、ここにはそんな気遣いをしてくれる人なんていないし、もはや溜息すら出ない。というか、溜息なんかついたとたんに、ここにいる全員の視線が私に突き刺さって瞬殺されそう。
ラウラスといっしょに飲んだ葡萄酒のほうが酸っぱくて渋かったから、それに比べれば、この家の葡萄酒は我慢できないほどではないけどさ。
パンだって、ライ麦の硬いパンに比べたらパサついているうちにも入らないから、普通に食べられるけどさ。
この空気の中でこの食事は、間違いなく食欲減退するわ。
私の貧相な見た目がさらに貧相になりそう。
まあ、見た目なんて、もうどうでもいいけど。
少しでも可愛い私で会いたいラウラスには、もう会えないんだもの。
それにしても、このメリディエル家っていうのは人間関係が想像以上に面倒くさそう。
迂闊に動くと痛い目を見そうだわ。
私はメリディエル家の跡取り息子の嫁という立場だけど、少なくとも当主の正妻から歓迎されていないのは明らかだ。睨まれたくらいだし。
子爵は日中好きに過ごしていていいって言うけど、本当に好きに過ごしたら大変なことになりそうな気がするわ……。