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結婚生活1

「今日はとくに何の予定も入れていないので、ゆっくりしていればいいですよ」


 私が横になっているベッドに腰かけているエスカラーチェ子爵は、濃紺のズボンに白いチュニックだけを着ているというくだけた服装だった。

 ということは、今はまだ朝の早い時間?

 顔は子爵に向けたまま、視線だけで窓を探す。

 まだカーテンが閉められたままだったけど、隙間から白い陽光が入り込んできていた。


「いい夢は見られましたか」


「さあ、覚えていませんわ」


 しれっと言い放つ。

 私じゃないブリアール侯爵令嬢を使って、いったい何をしてくれたんだ、この子爵さまは。

 頭が働きはじめるにつれて、ふつふつと怒りが込み上げてきた。


「私がエスカラーチェ子爵夫人というのは、いったいどういうことですの?」


「ですから、あなたはもう私の妻なんですよ」


「そんなこと、私は記憶にありませんわ」


「シュリアの記憶にはね」と、子爵は笑った。

 ぴくりと、私のこめかみが引き攣った。


「気安く私の名前を呼ばないでいただけます? 不愉快ですから」


「それは困りましたね。妻の名前も呼べないなんて」


 ああ、その妻って単語、寒気がするわ。

 ぶるっと身震いして思わず腕をさする。

 ……そして、気づいた。

 私、肌着しか着てないんですけど。


「……出て行ってもらえます?」


 ものすごく冷たい声が出た。

 子爵も私の声音の意味を理解したのか、ちいさく笑った。


「夫婦なんだから、そんなもの気にしなくていいでしょうに」


「誰があなたなんかと!!」


 子爵の顔めがけて力いっぱい枕を投げつけ、私は頭からブランケットをかぶった。


「あなたがどう思おうと勝手ですが、世間的には私たちは夫婦で、あなたはエスカラーチェ子爵夫人ですから、そこはお忘れなく」


「あなたは、いったいどんな手を使って私との婚約を成立させたのです?」


 ブランケットに潜ったままで尋ねる。

 本当はもっと口汚く罵って問い詰めてやりたかったけど、必死に抑えたから、必然的に声も口調も平坦なものになった。

 何の反撃もできないのは歯軋りしたくなるほど悔しかったけど、下手なことをして警戒されるのは避けたいところ。今はなんとか猫をかぶり続けて、いずれ急所を一撃して仕留めてやるわ。

 ああ、さっきちょっとだけつい本性が出て攻撃的になってしまったのは失敗だったな。

 もっと徹底して弱々しい女性を演じればよかった。今後は気をつけなくては。

 そんなことをあれやこれやと考えている私をよそに、子爵は淡々とした口調で私の質問に答えた。


「私はあなたに言いましたよね。しばらく舞台から降りていただきます、と。少しの間、眠っていただいただけのことです」


「意識だけ眠らせていたと?」

 

 じゃあ、私がラウラスと旅をしていたというのは夢だったのかしら。

 ……まあ、たしかに夢と言われたほうが納得はいくけど。

 でも、ラウラスといっしょに食べたパンやお粥の味も、あの強烈な葡萄酒の味も舌が明確におぼえているし、水路に落ちたときの水の冷たさも夢とは思えない。


 手首を触って確かめると、そこには当たり前のように《真実の雫》のブレスレットがあった。


「でも、その間、私の体は起きて活動していたわけですよね? どういうことですか。そもそもあなたは私を懐剣で刺しましたよね?」


 しばらく待っても返答がないので、ほんの少しだけブランケットをめくって子爵のほうを窺い見た。

 子爵はなぜだか微笑んでいた。


「答えていただけないんですか」


「いえ、失礼。姫があなたの体を少し借りていただけのことです。覚えていませんか? 我がメリディエル家に伝わる懐剣の話を」


 なんだっけ。

 死の懐剣が何とか言っていた気がするけど。


「そういえば、魂の宿った懐剣で、話もできるとかおっしゃっていましたわね……」


「そうです。べつに本物の懐剣であなたを刺したわけではありませんよ。まあ、何でしょうね……。呪物のようなものです」


 淡々と話している子爵の表情はとても穏やかで、ふとラウラスを思い出してしまった。

 ──ああ、そうか。

 この人も仮面をかぶっているんだわ。

 心の内に何かを隠してるから、こんなにも感情を見せないんだ。

 ラウラスと違って、子爵にはうすら寒いものを感じるけど。


「いったい何が目的なんです? どうしてそこまでして私と結婚する必要があったのですか」


「すべてを清算するためですよ。いずれあなたも分かるでしょう。真珠の継承者ですからね」


 そう言うと、子爵は立ち上がった。


「侍女を呼んできましょう。しばらくは私もこのシカトリス城にいますが、ふだん私は仕事で留守にしていることが多いですから、あなたは日中好きに過ごしていていいですよ。私の補佐などもとくにしていただかなくて結構ですので」


 私はブランケットに潜ったままいっさい動かなかったけど、子爵はとくに気にしている様子もなく、ブランケットの隙間から目だけを覗かせている私に、「では、また朝食のときに」と微笑みかけてから部屋を出て行った。

 得体が知れなくて薄気味悪い人ではあるけど、冷たい人という感じではないのよね。

 

 子爵が退室してからもブランケットに潜ったまま考えごとをしていたら、扉をノックする音と共に懐かしい声が聞こえてきた。


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