表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
142/165

月桂樹4

 侯爵邸から帰るときも、侯爵自らが僕に付き添って歩いてくださるという、常識ではちょっと考えられない展開が待っていた。

 レールティ家は大奥さまを別として、きっとこういう方たちなんだなと思って、もう深く考えないことにした。


 玄関ホールを抜けて外に出ると、冷たい風が一気に体温を奪っていくようだった。

 門のところまでは青々とした庭園が広がっている。

 王宮と似たような庭園。ここはきっと……。


「そういえばアトラグが言っていたが、きみはガルフノーの息子なんだろう?」


 僕はなんとか口の端だけで笑い、「ええ」と短く返す。


「ここはその昔、ガルフノーが造った庭園なんだ」


 ……だろうと思った。


 これだから都には来たくなかったんだ。

 あちこちにあの人の影がある。

 ここに立っているだけで存在を責められているような気分になる。

 そうして逃げるように視線を外した先にあったものに、僕は思わず見入ってしまった。


 なんだろう。冷たさを感じるほど整然とした庭園の中で、一本だけすごく不自然な木があった。

 いや、逆にその木だけが自然と言うべきか……。


「あそこだけ変わっているだろう?」


 僕の視線の先にあるものに気がついたのか、侯爵はおかしそうに笑っておっしゃった。


「あれはシュリアの木なんだ。シュリアは昔少しだけここで暮らしていたことがあってね。この庭園を造るとき、あそこだけ触らせてくれなかった。ここにいる間、母親が好きだったあの場所に座って、よくあの木を眺めていたんだ」


 侯爵が指差された先にある白いベンチのすぐそばで泰然と立っている木。

 ──あれは、月桂樹だ。

 僕と同じ名前の木。


 なぜだかふいに涙がこぼれそうになって、僕は慌てて目もとを拭った。

 僕はそんな自分自身に戸惑うしかなかった。

 どうして涙なんて出るんだろう。

 どうしてこんなに胸が痛いんだろう。


「シュリアが大切にしていた木だから、そのままにしておいたんだが、まさかここまで大きくなるとは思わなかったよ」


 そうおっしゃって、侯爵は楽しげに笑われる。

 

 父の造った時の流れない庭園の中で、あの月桂樹だけが悠然と時を刻んでいた。まわりがどうあろうとまったく関係ないと言わんばかりに、のびのびと枝葉を伸ばして。


「あの木は、まだまだ大きくなりますよ」


「そうか。それは大変だなぁ」


 少しも大変だとは思っていない様子の侯爵は、にこにこ笑いながら月桂樹を眺めておられた。

 いつだったか、お嬢さまはご自身をブリアール城の庭園にある針槐はりえんじゅに見立てていらっしゃったけれど。

 僕は、この庭園にある月桂樹が僕に見えた。

 僕は、あの月桂樹のように強くはないけれど、お嬢さまが居場所をつくって守ってくださったという意味で、あの木と同じ。


「侯爵、初夏になったら、あの月桂樹をひと枝いただけませんか」


「かまわないが、どうするんだ?」


「ブリアールの庭園に植えたいと思いまして」


「ああ。それはとてもいい考えだ」


 侯爵は嬉しそうに頷かれた。

 けど、ほんとうは僕が欲しいと思ってしまったんだ。あの木を。

 執着することが嫌いな僕は、今まで何かを欲しいと思ったことなんて一度もなかったのに。

 あの木がブリアール城にあったなら、僕はブリアールで庭師を続けてもいいなと思ったのだ。


「……ああ、そうだ。ひとつだけきみに謝らないといけないと思っていたことがあるんだ」


「なんでしょうか」


 侯爵に謝られるようなことなんて何も思い当たらなくて、僕は首を傾げた。


「もう一年前になるが、シュリアの命を助けてくれたきみに対して、母が大変な迷惑をかけて申し訳なかった」


 一年前? 謹慎のことだろうか。


「私は《真実の雫》を持つシュリアには身分も関係なく自由にしてほしいと思っているんだが、母はどうにも頭が堅くてね。結局きみがとばっちりを受けてしまうかたちになって悪かった」


「はあ……」


 何を言われているのか今ひとつ分からなくて、僕はつい間の抜けた返事をしてしまった。

 そういえば、お嬢さまも大奥さまがお怒りになったのは自分のせいだとおっしゃっていた気がするけど。

 もう過ぎたことだし、僕は何も気にしていないので、今さらわざわざ侯爵にまで謝っていただくようなことではない。

 ふと気がついたら、侯爵はなぜかクスクスと笑っていらっしゃった。


「シュリアはさぞかし苦労していたことだろうね」


 いよいよ侯爵が何をおっしゃっているのか分からない。僕は困惑しきっておずおずと尋ねた。


「あの……、なにか私がお嬢さまのご迷惑になるようなことを……?」


「いや、全然」


 侯爵は笑い上戸なんだろうか。さっきからずっと笑っていらっしゃるけど、何がそんなに面白いのか僕にはよく分からない。

 とりあえず明るいお人で、お嬢さまにめいっぱいの愛情をかけていらっしゃる方なのだということは分かった。

 侯爵みたいな方を父親に持っているグラースタ伯爵やお嬢さまが少し羨ましいと思ってしまった。


「ブリアールにきみが来てくれてよかったよ。シュリアが世話になった。なにより、シュリアを守ってくれて本当にありがとう。あの月桂樹はたしかに来年の初夏にきみの元へ届けるよ」


 そうして、侯爵はとても優しい笑みを浮かべて僕を送り出してくださった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ