月桂樹3
「あの……それはどういう……?」
侯爵の言葉があまりにも予想外で衝撃的で、僕の頭では意味が理解できなかった。
「言葉そのままの意味だよ。あの真珠の持ち主は、幸せな結婚ができないと一年以内に亡くなる人間が確率的に多いんだ。もともとあの《真実の雫》という真珠は、真実の愛を得るために存在するわけだしな」
なるほど。だから真実の愛を得られなかったら死ぬのか。
……って、そんなお伽噺みたいな理由で納得できるわけがない。
だったら、ほんとうに呪いになってしまうじゃないか。
今はお嬢さまが真珠の持ち主なのに。
「お嬢さま、婚約されましたよね……?」
大丈夫なんだろうか。
そんな不吉なことを聞いたら、なんだか急に不安になってしまう。
「ああ。エスカラーチェ子爵とだろ。最初の婚約が双頭の蛇のアクシデントで解消になったから、正直なところ私はあまり気が進まないんだがな。双頭の蛇での婚約解消は、つまり神からの警告ということだからな。だが、そうは言っても、一応きちんと手順を踏んで神の許しも得たわけだし、シュリアがその気なら、まあ大丈夫かと思って許可したが」
「お嬢さまはご存じなんですか? その……一年以内にというのは……」
「ああ、もちろん知っている。それに、全員が亡くなるわけじゃない。実際、私の姉はまだ生きているしな。ただ望まない結婚だったときに亡くなる人もいるというだけだ。そこまで深刻に考えることでもない」
「そうですか」
侯爵がそうおっしゃるなら、大丈夫なのかな。
聞くところによると、二人のしっかりした意志がないと婚約解消は覆せないらしいから。
再婚約が成立したということは、お嬢さまがエスカラーチェ子爵との結婚を望まれたということだし。
お嬢さまはちゃんと幸せになってくださる、きっと。
そうじゃないと困る。
「それはそうと、いつまでも立ち話をしていないで座ってゆっくり話をしようではないか? いったいどんなふうにしてシュリアが庭園に出るようになったのか聞かせておくれ」
侯爵に乞われるままに、僕はお嬢さまと薔薇の話をした。
話しながら、なんだか過去の思い出を幻のように感じている自分に気づく。
しばらくお嬢さまにお会いしていないから現実感が薄れているのだろう。お嬢さまと親しく言葉を交わしていたこと自体が、どこか夢のように思える。
だけど、僕はいつだってお嬢さまのために仕事をしているので、お嬢さまの存在が幻だと思うようなことはない。
……ああ、でも。
お嬢さまが結婚してブリアール城を出られたら、僕はどうしたらいいんだろう。
お嬢さまがいないなら、僕がブリアール城にいる意味はなくなるわけで……。
べつに追い出されたりはしないだろうけど、僕自身がブリアール城で庭師をしている意味を失ってしまう気がする。
そんな事実に気づいて、僕は愕然としてしまった。
以前、ブリアールの庭園が好きかとミルテに訊かれたことがあるけど、そのとき僕は好きだと即答した。
そこに嘘はない。僕はブリアール城の庭園が好きだ。
大奥さまに謹慎を命じられたとき、ブリアール城を出ていくことに対して戸惑いをおぼえたくらい愛着が湧いてしまった場所。
それなのに、僕がそこにいる動機はお嬢さまありきのものだったんだと、初めて気づいたのだ。
困ったなと、僕は胸のうちで嘆息した。
無為に庭師の仕事を続けるのは本意ではない。それなら、いっそのことブリアール城での仕事を辞めて旅に出たほうが有意義なんじゃないかと思えてしまう。
もともとグラースタ伯爵直々にどうしてもと乞われたから受けた仕事だし。お嬢さまが気に入る庭園を造るという当初の目的も果たせたわけだし……。
お嬢さまにブリアールにいてほしいと言われたけど、そのお嬢さま自身がいなくなるのだから、きっと僕がブリアールを出て行っても何もおっしゃらないだろう。
所詮、僕の好きはその程度なんだなと、自嘲せずにはいられない。
ほんとうにどこまでも淡泊というか、薄情な人間に思えて嫌になる。
「そういえば、二年ほど前の秋だったかな。前回シュリアがここに来たときに、きみがくれたという薔薇の花を持ってきていたんだが」
「二年前ですか?」
お嬢さまには室内でも鑑賞できるようにと、ときどき薔薇をお渡ししていたので、時期を特定されてもとっさに思い出せない。
考え込んでしまった僕を見て、侯爵はさらに付け加えた。
「社交デビューのために都に来たときだ。綺麗に乾燥させてある花だったよ」
ああ、もしかして、あのときの薔薇だろうか。
お嬢さまに乾燥させた薔薇をお渡ししたことは一度しかないから。
お父さまにブリアールの薔薇を見せたいと言われたので、乾燥させてお渡ししたのだ。
「シュリアにずいぶん自慢されたよ。ブリアール城は秋でも薔薇が咲いているんだと。どうやって薔薇を四季咲きにしたんだい?」
「東方の薔薇と交雑させたんです。この国で見かける薔薇とは少々形が異なっていましたが、以前東方を訪れたときに四季咲きの薔薇がありましたので」
「なるほど。きみは探求心が旺盛なんだね。シュリアがあんなにニコニコ笑って楽しそうに話しているのは久しぶりに見たよ」
僕は思わず首を傾げた。
僕が庭園で見かけるお嬢さまはいつもニコニコなさっていて、楽しそうにお話しされていたように思うのだけど。
ときどき習い事の愚痴もこぼしておられたけど、そんなときでも最後は必ず笑っていらっしゃった。僕も思わずつられて笑ってしまうくらいに。
大奥さまが厳しい方だから、お城の中や家族の前では少し違う顔をされていたんだろうか。
「不思議そうな顔をしているね。そんなきみに社交デビューのときのシュリアの顔を見せてやりたいよ。いちおう笑顔を貼りつけてはいたが、ものすごくつまらなさそうな顔をしていたよ。ふつうは目を輝かせて参加するものだろうに」
当時のことを思い出しているのか、侯爵は我慢できないといった様子で笑われる。
「話しかけられるたびに、どんどん遠い目になっていくんだ。それはそれは可哀想だったよ、シュリアに話しかけていた令息たちがね」
あははと、侯爵は快活に笑っていらっしゃるけど、僕はそんなお嬢さまの姿は見たことがなかったし、想像もできなかった。
貴族の方々というのは、ほんとうにいろいろあって大変なんだな……。