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月桂樹2

「きみがシュリアを外に連れ出してくれたんだろう? アトラグから聞いているよ。ずっときちんとお礼を言いたいと思っていたんだが、なかなか機会がなくてね」


 まったく思ってもみなかったことを言われて、僕は面食らってしまった。


「お礼だなんて、そんな。私はとくに何もしていないですから……」


「いや、そんなことはない。あの子は頑固でね、外に出ないと言ったら本当に出ないんだ。兄のアトラグ以外は誰がどんなに誘っても城内から出ないと、みんな心配していたんだ。私はこのとおり都住まいだから、なかなかそばにいてやれないしね。だから、シュリアがきみの造る庭園を気に入って外に出てくれるようになったのは本当にありがたいと思っているんだ」


 たしかに僕がグラースタ伯爵から声をかけられた理由は、『妹が庭園に出るのを嫌う』というものだった。

 でも、僕はお城に引きこもっている頃のお嬢さまは見ていないから、どんな様子だったのかは分からない。そんなに深刻な様子だったんだろうか?

 僕が初めて直接お会いしたときのお嬢さまは、他人が隠し持つ悪意に怯えている様子はあったけれど、基本的には人懐っこくて明るい方だった。

 ここ一年ほどはあまりお見かけしていないけれど、他の庭師たちがときどきお嬢さまが庭園に出られているのを見ているし、僕自身も何度かお見かけしているので、庭園を嫌って引きこもっているというわけではないだろう。

 お嬢さまももう十八歳になられているし、立派な大人なので、子供のときのように無邪気に庭園に出て庭師と言葉を交わしたりしないのは当然だ。

 

「このあと何か予定はあるかい? もしなければ、うちに来てくれないか。ブリアールでの話を聞かせてほしい」


 宿に残してきたミルテのことが気にはなったけど、侯爵のお誘いも無下にはできなかった。

 とても嬉しそうに話をされている侯爵からは、お嬢さまのことを心から可愛がっていらっしゃるのが伝わってきて、必要以上に人と関わりたくない僕でもつい侯爵のお気持ちに応えたいと思ってしまったんだ。

 こういうところはお嬢さまに似ているかもしれない。...いや、お嬢さまが侯爵に似ているのか。

 とにかくお嬢さまもとてもまっすぐ気持ちを向けてくる方なので、こんな僕でも、いつもついできるかぎり応えたくなってしまうんだ。

 グラースタ伯爵も含めて、なぜか人を惹きつける不思議な親子。身分どうこうではなく、根本的に僕とは住む世界が違う人たちだ。



 侯爵邸に着くと、侯爵はいったん着替えをなさるというので、僕は客間で待っていた。

 壁にはお嬢さまの母親であるブリアール侯爵夫人の肖像画が飾られてあった。

 茶色い瞳が優しいダークブロンドの貴婦人だ。

 どちらかといえば、シュリアお嬢さまは侯爵のほうに似ているかな?

 お嬢さまの明るい金髪も侯爵と同じだし。


 あれ……?


 僕は唐突になんだか違和感をおぼえた。

 侯爵の瞳は緑だ。グラースタ伯爵の瞳は茶色。大奥さまは近くでお目にかかったことがないので分からないけれど……。

 壁に何枚か飾られている肖像画の中に大奥さまがいないか探してみる。


 ああ、あった。前侯爵と幼いころの侯爵と共に描かれている。

 大奥さまは緑、前侯爵は灰色だ。


 お嬢さまの瞳の色は綺麗な水色だったはず。

 壁には幼いお嬢さまの肖像画もあって、その瞳はたしかに水色で描かれている。いつも身に付けているブレスレットの水宝玉と同じ色だ。

 どうしてお嬢さまだけ瞳の色が違うんだろう?


 僕が食い入るように肖像画を見ていると、いつの間にか侯爵が僕の隣に立っていて、僕はほんとうに肝が潰れる思いをした。

 冷や汗が噴き出すやら、鼓動が速くなりすぎて吐き気をおぼえるやらで、僕はもうどうしていいのか分からなくなったほどだ。


「す、すみません。気がつかなくて」


「いや、気にしなくていい。声をかけなかったのは私だからね」


 ほんとうに何も気にしていない様子で、侯爵も僕の隣で肖像画を見上げた。


 型破りなのは、もしかしてこのご家族の特徴なのだろうか。

 グラースタ伯爵も、お嬢さまも少し変わっていらっしゃるところがあるから。


「ずいぶん熱心に見ていたが、シュリアの画がどうかしたのか?」


「いえ……」


 どうしてお嬢さまだけ瞳の色が違うのかとは、さすがに訊けない。

 そんな話は聞いたことがないけど、まかり間違ってお嬢さまが侯爵夫妻の娘じゃないとかいう話だったら怖いじゃないか。


「かまわないよ。訊かれて困るようなことは何もないから。気になることがあるなら言えばいい」


 侯爵はほんとうに気さくなお方なんだな。

 お嬢さまのルーツがこの侯爵にあることが、すんなり納得できてしまう。


「では、あの……。お嬢さまの瞳の色なんですが……、どうしてお一人だけ違う色をしておられるのでしょうか」


「ああ。瞳の色か。レールティ家の長女には昔からときどき水色の瞳で生まれる人間がいるんだよ」


「なぜですか?」


「それは私にも分からんのだがね、あの真珠に関係しているんじゃないかとは思っている。シュリアが持っている真珠のことは知っているんだろう?」


「はい」


 人の心を覗くという不思議な真珠だ。

 同時に、持ち主の感覚を奪うという恐ろしい面も持ち合わせている真珠。


「あれが魂の宿った真珠であることも聞いているだろう?」


「はい」


 ……侯爵は、じつは僕が何をどこまで知っているのか正確に把握しているんじゃないだろうか。

 ふとそんなことが脳裏をよぎった。

 事前にグラースタ伯爵から情報を得ている可能性は高い。

 いくら何でも、誰にでも真珠のことをむやみに話すとは思えない。

 訊かれて困ることは何もないとおっしゃっていたけど、それは都合の悪いことは何もないということを意味するわけではないし、すべてに正直に答えるという意味にもならないことに気づいて、僕はハッとした。

 あの言葉は、ただ単純に侯爵が困らないということしか意味しない。


 この方はたしかにグラースタ伯爵の父親だと、僕は妙に感心してしまった。

 おそらくブリアール侯爵は、グラースタ伯爵以上に見た目の印象と中身が異なる策士なのだ。だからこそ政治の中枢にいて、外務大臣も務まるのだろう。

 だけど、逆に僕は安心した。

 何を訊いても侯爵は困らないとおっしゃるし、答えたくないことにはお答えにならないだろう。


「あの真珠に宿っている魂の持ち主が、生前に水色の瞳だったという話だ」


 侯爵はさらりとおっしゃったけれど、聞いていた僕は思わずゾッとしてしまった。

 だって……。


「それは……なんだか呪いのようではありませんか……?」


 口にしてから、しまったと思った。

 侯爵家の方に呪いだなんて不吉なことを言ってしまうなんて、さすがに侯爵も気分を害されたに違いない。

 またしても冷や汗をかきながら侯爵のほうを窺い見ると、侯爵はとくに表情を動かすこともなく、淡々とした様子でお嬢さまの肖像画を眺めていた。


「呪いか。まあ、そうかもしれんな。あの真珠を受け継いだ人間は、幸せな結婚ができないと早くに亡くなることが多いしな」


「え……?」


 僕は一瞬耳を疑った。

 今、なにかとんでもないことが聞こえた気がする。

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