運命の縁談14
陰でひそかに〈ブリアールの薔薇〉と呼ばれるくらい美人で頭もいい、まさに才色兼備なイデルの唯一にして最大の欠点が、この味音痴といっても過言ではない。
そんなイデルが喜ぶくらいだから、女中が持ってきた焼き菓子は、そうとう刺激的な味がするに違いなかった。
余っていたから貰ってきたと言っていたけど、イデルの反応を見ていると、実際は失敗作で捨てるためによけられていたものなんじゃないかという疑惑が濃厚になってくる。
あの女中、じつはかなりおっちょこちょいなのかもしれない。
そう思うと、とたんに双頭の蛇の話も大丈夫なのかと、不安が頭をもたげてきた。
私に許されている時間は五日間。一日だって無駄にはできない。
ここは、どちらかいっぽうに賭けるんじゃなくて、双頭の蛇の捕獲は別の誰かに頼んで、私自身は虹の端を探したほうが賢明かもしれない。
晩餐の時間になり、食卓についても、私の頭の中は蛇と虹のことでいっぱいだった。
だから、自分が食卓についてどのくらい時間が経っているのかなんて、まるで分かっていなかった。
「何をなさっているの?」
咎めるような口調でトルナード男爵夫人がそう言ったとき、私がぼんやりしていることを指摘されたのかと思って、斜め前に座っている夫人に慌てて目を向けた。
だけど、夫人は私のほうなどまったく見ていなくて、そばに立っている男性に険しい表情を向けていた。
あの男性はトルナード男爵の従僕だ。つい数時間前に私がお茶とお茶菓子を渡した相手なので覚えている。
そういえば……と、改めて食卓を見まわして気づく。男爵がまだ来ていないことに。
「今日はお客さまがいらっしゃるのですよ。早く男爵をお呼びしてきて」
従僕の男性はかるく一礼すると、トルナード男爵夫人に言われるまま広間を出ていった。
「シュリアさま、申し訳ありません。男爵は仕事に夢中になると時間を忘れてしまう人で……。声をかけても返事だけしてそのまま時間が過ぎてしまうことが多くて。シュリアさまにお会いできるのを楽しみにしている様子でしたし、今日は大丈夫だろうと思っていたのですが」
「気になさらないでください。私の兄も夢中になるとすぐ時間を忘れる人ですから」
もっとも、うちのお兄さまの場合は仕事ではなく、筋力の鍛錬に夢中になって時間を忘れるんだけど。
「シュリアさま、お先に林檎酒でもいかがです? 今日はなんだか蒸し暑いですから、喉が渇かれるのではないかしら」
給仕に林檎酒を持ってくるよう言いつけると、夫人はわずかに身を乗り出した。
「ところで、シュリアさまは刺繍はお好きでして?」
「……え、あ……刺繍ですか?」
トルナード男爵夫人の声は女性にしてはすこし低くて、つい聴き入ってしまう。
ハンカチを取り出し、この刺繍を刺した人がどうの、使われている技法がどうのと話しつづける夫人を見ていると、夢中になるとすぐ時間を忘れるのは男爵だけではなさそうだと、思わず苦笑いが浮かんだ。
「もしよろしければ、シュリアさまもご一緒なさいませんか? ちょうど明日の午後、私が教えを乞うている刺繍の先生がいらっしゃいますの」
癖のある栗色の髪がほんの少し頬にかかっているさまが妙に艶っぽいのに、トルナード男爵夫人の澄んだ青い瞳は子供のように輝いていた。
私は呑気に刺繍なんて刺している場合じゃないし、どう言って断ろうかと思案していると、どこからかカタカタと奇妙な音が聞こえてきた。