月桂樹1
殺風景としか思えない広い広い庭園を、僕はただ無感動に歩いていく。
いや、正確に言えばそこは殺風景というわけではない。
広い園路を中心にして左右対称に柘植が幾何学模様を描いている。緑はたくさんあるのだ。
立派な彫刻と共に噴水もあるし、園路の両脇には小さな水路もある。花もあって、柘植に囲まれて整然と並んでいる。
緻密な計算のもとに設計された庭園。
貴族の方には評判のようだけど、僕の目には殺風景で味気ない場所としか映らない。
興味もないし、見たくもないので、庭園の向こうに見える宮殿だけを見て歩いた。
ついつい溜息がこぼれそうになってしまうけれど、王宮で溜息なんてついたら睨まれそうだし、何度息をつめたか分からない。
王妃さまの侍従の方の案内で王宮の中を歩いている間、僕はずっと無表情だったんじゃないだろうか。
知り合いもいないし、べつに愛想を振りまく必要もないのでかまわないかと思いつつ、いちおう僕はグラースタ伯爵との繋がりもあるので、あまり印象が悪いのも伯爵に迷惑がかかってしまうかもしれない……なんてことをあれこれ考えてしまう。
考えたところで、僕の表情は動いてくれないのだけど。
「こちらでしばらくお待ちください」
侍従の方に通された部屋で言われたとおりにおとなしく待っていると、しばらくして王妃さまの来訪を告げられたので、僕は黙って頭を下げた。
「そんなに畏まらず、面を上げてください。あなたが薬草の書物をお書きになったラウラス・ウィリディリスですね」
言われるままに顔を上げると、濃い蜂蜜色の髪が目をひく笑顔の優しいご婦人がじっと僕のほうを見ていた。
「遠路はるばるご苦労様でした。どうぞ楽になさって」
そう言って、手でそばの椅子を示されたから、僕は恐る恐る腰かけた。
王妃さまもテーブルを挟んで僕の向かい側に座られる。
「まだお若い方なのね。ずいぶん様々な薬草の効能が詳しく記されていたので、失礼ですが、もう少しお年を召した方がお書きになったのかと思っていましたわ」
僕は何とも返事のしようがなくて、曖昧に笑うことしかできなかった。
「ウィリディリスとおっしゃるようですが、あなたはガルフノー士爵のお身内か何かですか?」
……ああ、当然訊かれるよな。ここは王宮だし。
「はい。息子です」
予想していた質問なので、僕はよどみなく答える。ただし、声は無機質になっていたかもしれない。
王妃さまはにっこりと笑われた。
「ガルフノー士爵のご子息なら納得ですわ」
それ以上は父について何かを尋ねられることはなく、王妃さまは侍従の方に持たせていた僕の著書をテーブルの上に置き、本の内容についてあれこれ質問をしてこられた。
植物の話であれば、僕も何も身構える必要がないから、話をしているうちに次第に表情筋がほぐれていくのが自分でも分かった。
「あなたはアモル伯爵夫人の百薬園をご存じ?」
「はい。存じております」
アモル伯爵夫人は、本来であれば僕なんかが関われるような方ではないのだけど、以前にご縁があって百薬園を訪れたことがある。けれど、余計なことは言わないにかぎるので、最低限の返答にとどめた。
なぜ百薬園を訪れることになったのかを尋ねられると、答えるのが非常に面倒になるから。
「わたくし、アモル伯爵夫人の百薬園のような場所を公的に創りたいと思っているんです。医療院のような施設を。あなたはどう思われまして?」
「それは具体的に、どのような方たちを対象としたものとお考えでしょうか」
王妃さまは一瞬、言葉に詰まられた。
もしかして、考えていらっしゃらなかったんだろうか。
「いま現在、貴族の方と庶民では受けられる医療に大きな隔たりがあります。王妃陛下がお創りになりたいとお考えになっている施設というのは、どのような身分の方を対象にしたものでしょうか」
「……そうですね。わたくしはただ広く人々の役に立てばいいと思っていただけなのですが......」
「身分に関係なく利用できるということですか?」
それは今のこの国ではあまり現実的ではない気がする。
王妃さまも同じことを思ったのだろう。なんだか困った顔をしていらっしゃった。
「薬草の利用を専門とした医療院をお創りになること自体は良い考えだとは思います。ただ、まずは対象者を明確にしなければ、規模も明確になりませんし、役割も明確にならないかと思いますが、いかがでしょうか」
「そうね。あなたの言うとおりですわ。わたくしの考えていることは漠然とし過ぎていました。もう少しよく考える必要がありますね。ラウラス? あなた、明日も時間をとれるかしら? わたくし、今日はこれから少し予定が入っていてこれ以上の時間をとれないのですけど、まだお話を伺いたいわ」
本を閉じて子供のように胸に抱えながら、王妃さまは目を輝かせていた。
たしか王妃さまは四十代前半だったと思うけど、どこか少女のようなあどけなさを持っている方だ。
僕はとくに断る理由もないので、王妃さまの要望を受け入れて、また翌日もお会いすることになった。
なにはともあれ今日の用事は済んだので、僕みたいな人間には場違いでしかない王宮からは早々に退散しようと廊下を少し早足で歩いていると、唐突に後ろから名前を呼ばれた。
「ラウラス・ウィリディリス?」
「はい?」
王妃さまとの謁見以外で僕の名前が呼ばれることがあるとは思ってもいなかったので、少々間の抜けた声が出てしまった。
振り返った先にいたのは、王妃さまと似たような年齢と思われる貴族男性だった。とても穏やかな緑の瞳が印象的だ。
「よかった。うまく会えて。私は明日から隣国に行かないといけないのでね。きみと話をするなら今日しかないと思ってたんだ」
「私に何か……?」
どなただろう?
当然だけど、僕は王宮に知り合いなんていない。
僕が首を傾げていると、男性も気づいたのか苦笑いを浮かべた。
「ああ、すまない。名乗り遅れたね。私はクレイヴ・オディアッカ・デュ・レールティだ」
それはレールティ家の現当主であるブリアール侯爵。
シュリアお嬢さまの父上のお名前だった。