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静かな嵐4

 おじさまは《真実の雫》のブレスレットとお姉さんの指輪を差し出してきた。

 私はとっさに胸元に手をやる。

 しまった。着替えるときにうっかり忘れていた。

 ブレスレットにはレールティ家の紋章が入っているから、おじさまはそれを見たのだろう。


「しかし、それはブリアール侯爵令嬢のものではないか?」


「なぜそれを?」


 落としてしまったおじさまのハンカチを拾い、ブレスレットを受け取りながらおじさまの顔を見つめる。

 メダルに刻まれている紋章から、これがレールティ家のものであることは分かるだろうけど、なぜこのブレスレットが令嬢のものということまで分かるのだろう。


「以前、令嬢に見せてもらったことがあるからね」


 ……え? そんなことあったっけ……?

 ということは私、おじさまに会ったことがあるということ?

 どこで?

 

「いったいどこで見せてもらったんですか?」


「ブリアール侯爵邸だよ。まだ幼い令嬢にね」


 たしかに私は幼いとき、ほんの一時期だけ都のブリアール侯爵邸に住んでいたことがある。お父さまにお会いするために真珠の力を頻繁に使っていた頃だ。ブリアール城と都は距離があるので、いくらお父さまが時間を作ってくださるといっても、そう頻繁に往復できないし、そもそも私の皮膚感覚を失うという副作用の三日間なんて移動している間に過ぎてしまう。

 そんなわけで、手をやいたおばあさまがほんの一時期だけ私を都に移したのよね。

 そのときにおじさまに会っていたの? まったく記憶にないんだけど。


「おじさまはどうしてブリアール侯爵邸にいらしていたの?」


「仕事だよ。侯爵邸の庭園を設計したのは私だからね」


 ああ、なるほど。

 そう言われてみれば、あの頃、庭園の改修作業をしていた記憶はあるわ。

 おじさまのことはまったく憶えてないけど。


「令嬢のものをなぜお嬢さんが持っているんだい? レールティ家の紋章が入ったものを」


 たしかに家の紋章が入ったものを他人が持っているのは問題だ。場合によっては罪になりかねない。でも、これは私のものだから罪もへったくれもない。


「おじさま、ちょっと信じられない話なんですけど、信じてくださいます?」


 ラウラスにシュリアだと名乗れなかったのは、私だと知られてしまったら、またお嬢さまという壁を作られてしまうと思ったからだ。

 でも、おじさまならそんなことは関係ない。

 私は深く息を吸った。


「じつは、私がそのブリアール侯爵令嬢なんです」


 さすがにおじさまの顔が奇妙に歪んだ。


「私が会った令嬢は金髪だったが?」


「ええ。本来の私は金髪です。瞳もこんな色ではありません。というか、そもそもこれは私の体じゃないんです」


 そうして、私はエスカラーチェ子爵に懐剣で刺されたこと、目が覚めたらこの体になっていたことをありのままにおじさまに説明した。

 さすがにあまりにも荒唐無稽な話のせいか、おじさまは眉間にしわを寄せていた。

 まあ、当然よね。


「とても信じられない話だが......。お嬢さんがブリアール侯爵令嬢であることを証明できるかい? そのブレスレット以外で」


 今度は私が眉間にしわを寄せる番だ。

 たとえ他に身分を明かすものを持っていたとしても、それがすなわちシュリアだという証明にはならないし、そもそもおじさまはシュリアである私を知っているわけでもないから、証明しろと言われても困る。

 私もおじさまも、しばし黙り込んでしまった。

 おじさまは葡萄酒を一口飲んでから、おもむろに口を開いた。


「ブリアール侯爵邸の庭園のベンチ横に……今もあるかどうかは分からないが、以前私が造園した際には小さな木があったんだが、お嬢さんはそれが何か分かるかい?」


「小さな木? ベンチ横に?」


 そう言われて、ブリアール侯爵邸の庭園を思い返す。

 私は領地のブリアール城に住んでいるので、都にあるブリアール侯爵邸には普段出入りしていない。私が最後にブリアール侯爵邸に行ったのも二年前の社交デビューのときだし、庭園の細かいところまではとても覚えていない。

 たしかに庭園にベンチはあったけど……。


 ──ああ、待って。あったわ。木。

 もう小さな木ではなくて、とても大きな木になっていたけど。


 お父さまがシュリアの木だと言って笑っていた。

 私が植えた木だから。

 小さい頃、私はトマトスープが好きで、これを入れたらもっと美味しくなるそうだと言って、お父さまが鉢植えの小さな木をくださって。

 その木を私が勝手に庭園のベンチ横に植え替えたのよ。とても小さくて可愛かったから、いつもそのベンチに座って眺めていたの。生前のお母さまがよくそのベンチに座っていたと聞いたから。

 前回ブリアール侯爵邸に行ったときには、見上げるほど大きくて、立派に木と呼べるほどに育っていてびっくりしたのよ。

 あの木はたしか──。


「月桂樹、ですか?」


 ああ、もしかして。


「おじさま、あの木を抜こうとした……?」

 

「そうだ。それで、小さな令嬢に怒られた」


「私の大事な木を抜いたらダメ、ベンチの横じゃなきゃイヤだと?」


 ああ、思い出したわ。

 ちょうど庭園の改修工事をしているとき、あの木が抜かれようとしたことがあって、近くにいたおじさんにものすごい剣幕で怒ったのよ。それがおじさまだったの?


「お嬢さん、本当にあのときの小さな令嬢なのか……」


 まだ信じられないといった様子で、おじさまが私を上から下まで何度も眺める。

 いくら眺めたところで、今の私は他人の体の中にいるんだから、昔の面影なんて見つかるはずもないんだけど。

 それより、ふと気になったことがあった。


「ねえ、おじさま。ラウラスの名前って、誰が付けたんですか」


「妻だ」


「ラウラスって、月桂樹という意味ですよね……?」


「そうだろうな。由来は聞いていないが」


 ……おじさま、その徹底したラウラスへの無関心が、ラウラスのお母さまを追い詰めた原因のひとつではないかしら。

 今これ以上おじさまを責めるつもりはないので、もう言葉にはしなかったけれど。


 それはともかく。庭師であり植物学者であるラウラスが、自分の名前の意味を知らないはずはない。

 いつかラウラスに、あのブリアール侯爵邸にある月桂樹を見せてあげたいなと思った。

 大きくて、のびのびしていて、どんな季節も変わらずに優しい木陰をつくっているあの月桂樹の木を。






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