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静かな嵐3

「ラウラスがお母さまの命を奪ったって……どういうことですか?」


 ラウラスのお母さまが亡くなっていることは知っていたけど、どうして亡くなったのかまでは聞いていない。単純に病気で亡くなったものとばかり思っていたけど。

 そうではなかったの?


「少々事情があってね、もともとあいつのせいで妻は苦しんでいたんだが、あいつが七歳のときに、妻はあいつといっしょに川に身投げしたんだ。けっきょく妻だけが亡くなり、あいつは生き残ったが」


 ……それってつまり、親子心中をしようとして、ラウラスだけが助かったということ……?


 想像したら、胸がつまった。

 いいえ、とても想像なんてしきれない。幼いラウラスが抱いたであろう恐怖と絶望感、そして罪悪感は、私なんかの想像を絶するものだったろう。


 気がついたら、私の頬を涙が伝っていた。

 だって、あんまりじゃないの。生まれたときから父親に邪険にされ、母親には道連れにされようとして、自分だけが生き残ってしまうなんて……。挙句の果てに、今もまだ父親がこんな調子だ。

 あの心根の優しいラウラスが、目の前で母親を喪って自分だけが生き残ってしまったなんて、どんなに自分を責めたことだろう。

 ラウラスが頑なに他人との間に壁をつくって、心を閉じているのも無理はない……。


 いつも穏やかに笑っていた彼の胸の内には、いったい何があったんだろう。彼は心から笑えていたんだろうか。本当は、空っぽのままだったんじゃないだろうか。

 いつだったか、私はラウラスにとって〝お嬢さま〟という中身のない記号だけの存在なのではないかと思ったことがあるけど。そんなふうになったとしても仕方ない。

 何も見たくないし、何も感じたくなくなるわ。あまりにも傷が痛すぎて。


 ああ、私……。ラウラスを独りにしてしまった。

 唐突に激しい後悔がおそってくる。

 今すぐ宿に戻ってラウラスに謝りたかった。力いっぱいラウラスを抱きしめたかった。


 目の前に白いハンカチが差し出されて、ふいに顔を上げる。

 おじさまが心配そうに私のほうを見ていた。


「……おじさま」


 ハンカチを受け取り、涙をぬぐう。

 そして、私はまっすぐにおじさまを見つめた。


「でも、それって、ラウラスは何も悪くありませんよね?」


 もちろん分かっていますよねと、確認の意味で尋ねる。

 ラウラスが生まれたのは、もちろんラウラスに何の罪もない。

 お母さまが亡くなったのも、けっしてラウラスのせいではない。

 すべて周りの大人の事情だ。


 だって、そんなことを言っていたら、私だってお母さまの命を奪ったことになる。

 私のお母さまは私を生んだせいで亡くなったのだから。

 でも、今まで誰にもそのことを責められたことなんてない。たったの一度も。

 だから私も、お母さまがいなくて寂しいと思いはしても、自分を責めたことなんてなかった。

 たしかにおばあさまは厳しくて行き過ぎな面もあったけど、それは侯爵令嬢としてきちんと育てようとしてくれたからで、完全に理不尽な理由で私を不当に扱ったことなんてない。

 だけど、ラウラスは唯一の家族と呼べる人から責められ続けて、辛く当たられ続けたんだ。


「おじさまが悪いです」


 私は言い切った。

 おじさまにどう思われようと、私には関係ないし、どうでもいいから。

 

「自分が悪いのに、すべてラウラスのせいにしているおじさまは狡いし、ひどいです」


 おじさまの顔が強張る。

 けれど、私はかまわなかった。


「おじさまもいろいろ辛い思いをしたのは分かります。でも、どんな感情があったとしても、それを子供にぶつけるのは間違いだったんじゃないですか。いつまでも自分の過ちを認めたくないためにラウラスを責め続けるなんて、大人として恥ずかしいことなのではありませんか」


 おじさまは、現実から逃げている自分を正当化するためにラウラスを悪者にしているに過ぎない。

 本当は、心の奥底で分かっているはずだ。

 傷ついて辛い思いをした自分を受け止めきれなくて、消化しきれなくて、ラウラスに責任転嫁をしていること。

 自分の過ちをラウラスのせいにしているだけ。

 自分が子供のようなことをしていると。


「お嬢さんは、手厳しいね……」


 そう言うおじさまの目は、なんだか潤んでいるような気がした。

 長い長い沈黙のあと、おじさまはポツリと呟くように言った。


「……だけど、どうすればいいのか、もう分からないんだ」


「まずはラウラスに笑いかけてあげればいいんですよ。私にそうしてくださるように」


 できるかぎり穏やかな声を心がけて、おじさまに向かって微笑む。

 おじさまが自分自身に向き合って、いろんな感情に折り合いをつけて呑み込んでいくのは一朝一夕で出来ることではないはず。きっと長い長い時間がかかるだろう。ここまで頑なに逃げ続けてきたくらいなのだから。

 それでも、罪のないラウラスを犠牲にするのは、もう終わりにしてほしい。

 今からでもいい。なんとか負けずに自分自身と闘ってもらいたい。


「ひとりで抱えきれないときは、お話くらいならいつでも私が聞きますから」


 たとえ大人でも、誰かに支えてもらわないと立っていられないことは、きっとあるから。

 ラウラスのお母さまのことを今も大切に想っているおじさまだからこそ、きちんと前を向いてほしい。

 辛い思い出だけで終わらせてほしくないと思う。

 そういえば以前にラウラスが言っていた。父の造る庭園は時の流れない庭園だと。それは父の姿だと。

 もうそろそろ時を前に進めてもいいのではないかしら。ねえ、おじさま。


「では、お嬢さんに会いたいときは、どこに行けば会えるのかな」


 おじさまにそう言われてハッとする。

 私ったら、迂闊なことを言ってしまった。

 私は、本当はここには存在しない幻の人間なのに。


「あ……えと、それは……」


 私が口ごもっていると、おじさまは意外なことを口にした。


「ブリアール侯爵のところかな?」


「え……なぜ……」


 まったく思いもよらなかった言葉に、おじさまが貸してくれたハンカチが私の手から滑り落ちた。

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