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衝撃的な噂4

 完全に頭を殴られたかのような衝撃を受けたまま、私はそのあとも別の場所に移動して他の旅芸人からも情報を集めた。

 その結果わかったことは、ブリアール侯爵令嬢とエスカラーチェ子爵の婚約話が当代きってのロマンスとして人々の圧倒的な興味関心をさらっていること。子爵どころか、侯爵令嬢わたしもかなり結婚に積極的であるらしいということ。二人の婚儀が今月の末に執り行われるということだった。


 つまり、私の結婚まであと十日ほどしかないということだ。

 こんな状況で、結婚を阻止する方法なんてあるのだろうか。

 私は他人の体に入ってしまっていて、戻り方すら分からないのに。


《真実の雫》の継承者である私の結婚がこんなことで許されるの?

 こんなのもう、真実の愛どころの騒ぎじゃないわ。


 胸元に隠してあるブレスレットを服の上からそっと押さえ、ふらふらと歩く。

 へたり込みそうになる自分を叱咤して、何度も人にぶつかりながら、なんとか宿に戻るための道を行く。

 そうして、煉瓦で造られた小さなアーチ状の橋を通りかかったときだった。

 橋から身を乗り出して、今にも運河に転がり落ちそうになっている恰幅のいいおじさんがいた。

 私は思わず走り出していた。


「おじさんっ! 早まったことをしてはダメよ!!」


 がしっと、おじさんの腰に腕をまわして引きずり降ろそうと力を込める。


「世の中ツライことがあるのはよく分かるわ。でも、自分から命を捨てたらダメよ!」


 私だって耐えてるんだから! と、内心で付け加える。

 おじさんは橋から身を乗り出すのをやめて、私のほうを振り返った。


「びっくりした。ほんとに落ちるかと思ったよ」


「……え?」


「心配しなくていいよ。私は身投げをしようとしていたわけじゃないから。ちょっと大事な帽子を落としてしまってね」


「ええ?」


 おじさんは少し薄くなっている頭を撫でながら運河のほうに視線を向けた。

 今度は私が橋から身を乗り出して下のほうを覗き込む。

 たしかに運河にぷかぷかと浮いている茶色い帽子があった。

 運河といっても、人が陸路の代わりに使うような小さな水路だけど。


「なんだ……。勘違いしちゃった。ごめんなさい」


「かまわないよ。優しいお嬢さんだね」


 人の好さそうな笑顔でおじさんが言う。

 私は改めて橋の下を見た。

 でも、あの帽子、もう取れないのかな。

 大事な帽子なら、取ってあげたいけど。


「おじさん、ちょっとここで待ってて」


 私は少し思案してから橋の脇を通り、水路のほうに下りていった。水路の端に舟がいくつかあるから、あれに乗り移れば小さな水路だし、手が届くかもしれないと思ったのだ。

 恰幅のいいおじさんなら水路に落ちそうだけど、身軽な私ならたぶん大丈夫。運動神経もわりといいほうだし。

 外套を脱ぎ捨て、裾の長いスカートを見苦しくない程度にたくし上げ、少し動きやすくしてから舟に飛び移る。舟が大きく揺れてから、しまったと思い出す。

 私、舟がダメなんだった……。

 目の前のことに夢中になったら、すぐに他のことを忘れてしまうのは私の悪い癖だ。

 でも、今回は舟に乗って移動するわけじゃない。帽子を取るまでのほんの少しの間、足場にするだけだ。

 自分にそう言い聞かせて、落ちている帽子に手を伸ばす。

 ゆらゆら揺れる舟に早々に酔いそうになりながら、ギリギリまで身を乗り出してめいっぱい手を伸ばす。

 指先に触れた帽子をなんとか必死に引き寄せたと思ったら──。


 バシャーン!!!


 身を乗り出し過ぎたのか、見事に私が水路に落ちてしまった。

 遠くでおじさんの悲鳴のような声が聞こえたけど、手を振って大丈夫だと合図する。

 子供の頃、お兄さまにこういう訓練もされたのよね。ほんと、ふつうの令嬢にはまったく必要のない技能だと思うけど……。

 水を吸った服が重かったし、水も身を切るように冷たかったけど、私はすぐに舟によじ登って手に掴んでいるものを確かめた。

 うん。帽子は無事だ。


「大丈夫かい!?」


 走ってきてくれたおじさんが私に手を差し伸べてくれた。


「私なら大丈夫です。それより、帽子取れましたよ。大事な帽子なんでしょう?」


「ありがとう。妻の形見なんだ」


 そう言って、おじさんは帽子についている石を見せてくれた。

 艶々した深い色の美しい瑠璃だ。

 私でも、とてもいい品だと分かる。

 奥さんの形見なら、なおさら帽子を拾ってよかったと思えるわ。


「なんだか吸い込まれそうなくらい綺麗な瑠璃ですね。私、こんなに綺麗な瑠璃は見たことないです。おじさん、奥さんのことをとても大事になさっているんですね」


 親指の爪ほどの大きさのその瑠璃は、もともとはきっとペンダントか何かだったに違いない。それを自分の帽子に付け替えてまで身に着けているなんて、なんだか素敵だわ。

 夫婦っていうのは、こういうのがいい。

 エスカラーチェ子爵なんて、私が死んだら形見なんて何も残さないだろう。全部あっという間に処分して、私のことなんて忘却の彼方に違いない。


「妻は裕福な商人の娘だったんだが、キラキラしている宝石はあまり好まなくてね、こういう青とか緑の天然石が好きだったんだ。それよりお嬢さん、この寒空の下でそんな格好をしていたら風邪をひいてしまう。なんとかしないと。ついておいで」


 そう言って、おじさんは私の手を掴んで急ぎ足で歩き出した。

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