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夢と現8


 食事を終えて部屋に行くなり、私はどさっとベッドに腰かけた。さすがに今日は脚が疲れてふくらはぎのあたりが痛い。

 私は一般的な貴族令嬢より鍛えられているし、このお姉さんの体もけっして頑健とは言えないまでも、社交に明け暮れる貴族令嬢ほど軟弱ではないようなので、ふだん歩く分にはそこまで困らなかったんだけど。

 ふくらはぎを手でマッサージしながら部屋を見まわす。


 置いてある家具はベッドが一つだけという、ものすごく簡素な部屋だったけど、庶民の宿というのはどうやらこれがふつうらしかった。どこに泊まっても同じような感じだったから。

 大きなベッドが一つだけというのも宿の主人が私とラウラスのことを夫婦とか恋人とかと勘違いしたわけではなくて、それが庶民の間では当たり前のことで、男女関係なく見知らぬ人間同士でも雑魚寝するものらしい。貴族では到底考えられない習慣だ。

 もっとも、ラウラスによれば、男女が同一の部屋で休むこと自体を厳しく禁じている土地もあるとのことだけど。違反したら即座に追放されるところもあるらしい。そのへんは領主によるということかしらね。


 ラウラスはいつも私にベッドを譲って、自分は床の上で寝ていた。私がシュリアじゃなくても、そこはきっちり線引きをしているらしい。

 ほんとうに真面目な人で、そういう一面を知れるのも嬉しかった。

 いつも「慣れてるから」と言って床で休むラウラスだけど、本来なら彼がベッドで休めるはずなのに、私が同行しているせいで毎回床に寝ないといけないなんて、考えてみればなんだかとても理不尽な気がした。


「ねえ、ラウラス。今日は私が下で寝るから、あなたはベッドで休んで」


「いきなりどうしたの」


「だって、あなたが宿代を出しているのに、あなたが床で寝るなんて、やっぱりおかしな話じゃない?」


 今までどうして気がつかなかったんだろう。私が床で寝ればいいのだ。

 私ったらお嬢さま根性が染みついていて、ほんとうにダメね。

 するりとベッドから下りて、ラウラスの真似をして床の上に外套を広げる。


「そんなの気にしなくていいよ。そもそも宿代を出してくれているのは、正確にはグラースタ伯爵だし。ミルテがベッドで休みなって」


「でも、本来はラウラスがベッドで休めるはずでしょ。私が無理を言って同行しているだけなんだもの。それに、床の上は寒いでしょう」


 今は冬なのだ。この部屋には暖をとるものなんて何もない。

 実際、板張りの床はかなり冷たかった。


「僕は野宿とかも慣れてるし、寒いのもこれくらいなら平気だよ。ミルテこそ風邪をひいたら困るから、ちゃんとベッドで休んで。それに、今日はたくさん歩いたから疲れてるだろう? 僕のことは気にしなくていいから」


「そういうわけにはいかないわ」


 ここで引き下がったら、自分のお嬢さま根性に負けた気がしてイヤだ。

 私は外套にくるまってそのまま横になった。


「もう……頑固だね」


 困り果てたようなラウラスの声が聞こえた。

 いくら分厚い外套があっても、冷たい床と、そこを這うような冷気が容赦なく体温を奪っていく。あっという間に爪先が氷のようになって痛みさえ感じた。

 今までずっとラウラスにこんな思いをさせていたなんて泣きたくなった。

 なんでもっと早く気づかなかったんだろう。


 動く気配のないラウラスを、外套にくるまったまま手でベッドのほうに押しやる。


「ミルテ」


 なぜだかラウラスの声が険しくなった気がした。

 そっと外套から顔を覗かせてラウラスのほうを見ると、彼は眉間にシワを寄せていた。


「ちょっと待ってて」


 そう言ってラウラスは部屋を出ていく。

 しばらくすると、彼はカップを持って戻ってきた。


「ほら、これ飲んで」


「これは?」


「体が温まるお茶だよ。あまり手持ちがなくて、ミルテの口に合うかどうか分からないけど、リンデンが入っているから甘みがあるし、大丈夫だと思うんだけど」


「ありがとう。いただくわ」


 ラウラスのお茶を飲むのはずいぶん久しぶりだ。

 自然と頬がゆるむ。

 もそもそと外套から這い出して座る。ラウラスも同じように向き合って床に座っていた。


 カップから立ち込めるほのかな甘い香りが、なんだか疲れた体を癒してくれる気がした。

 ラウラスが言うようにお茶も上品な甘みがあって飲みやすかった。ほんの少しピリッとするのは生姜だろう。


「ミルテってさ、どこかで行儀作法とか習った?」


「え……なんで」


「いや、なんとなくそんな感じがして」


「どど、どうなのかしらね。記憶がないから分からないわ」


 落ち着くのよ、私。

 いくらミルテが教育を受けた人間だと分かったとしても、そこから私の正体にまでは辿り着くはずなんてないんだから。

 だって、常識的に考えて有り得ないことだし、ミルテとシュリアの外見も全然違う。大丈夫よ。なにも心配することなんてないわ。


「まあ、それはともかく。ミルテはちゃんとベッドで休むんだよ。あんなに手が冷たくちゃ、ろくに眠れないよ」


「それはあなたも同じでしょ? 私、今日は絶対に下で寝るわ。お茶も飲んだし、もう平気よ。ラウラスがベッドで寝てちょうだい」


「ほんとうに頑固だね……」


 盛大にため息をつきながらカップを部屋の隅に片付けると、ラウラスはベッドに腰かけた。

 私がホッとして、ふたたび外套にくるまろうとしたときだった。


「おいで、ミルテ」


 なぜか名前を呼ばれた。


「いっしょに寝よ」


 私は何を言われたのか理解できなくて目をしばたたいた。


「僕がベッドで寝れば納得するんだろう? 大きなベッドだから十分にスペースはあるし、僕はミルテに床で寝てほしくないし。ミルテが嫌じゃないなら、二人ともベッドで寝るって案でどう? もちろん僕は何もしないって約束するから」


 ラウラスの提案に頷いていいのか分からなくて、私は固まってしまった。

 いや、これはさすがに頷いたらダメだろう。


「じゃあ、僕は床で寝るから、ミルテはベッドね。これは譲れないよ」


 頑固なのはラウラスも同じだと思うんだけど……。

 どこまでいっても話は平行線で、どんどん夜も更けていくため、けっきょく私はラウラスの案で妥協することにした。

 大きなベッドの端と端で寝ることにしたものの、まさかまさかラウラスと同じベッドで眠る日が来るなんて……夢にも思わなかった。


 布団はあたたかくて疲れた体に難なく眠気を呼び込むけど、すぐそこにラウラスがいると思うとドキドキして眠気が吹っ飛ぶというよく分からない状態に陥ってしまって、私はそのまま何時間も眠れなかった。

 でも、意識しているのは私だけのようで、私に背中を向けて休んでいるラウラスのほうからはすぐに寝息が聞こえてきた。

 ほんとうに罪づくりな庭師だわ。



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