表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/165

夢と現7


 なんとか閉門ギリギリでパルドークに滑り込むことができた私たちは、急いで今夜の宿を探すことにした。

 といっても、宿を探してくれるのはいつもラウラスなのだけど。

 ひとくちに宿と言ってもいろいろあって、中には娼館を兼ねている宿もあるので、迂闊にどこでも入るわけにはいかないらしい。侯爵令嬢の私はもちろん街の宿になんて泊まったことがないから、そのへんの事情にはまったくもって疎い。


「おいでミルテ。今日はここに泊まらせてもらおう。ちょうど部屋も空いているそうだ」


 そう言って、ラウラスが手招きしてくれる。

 店の主人とラウラスが話をしているところから少しだけ離れて待っていた私は、いそいそとラウラスに歩み寄った。


「泊まるのは、このお嬢さんとおまえさんの二人だな? 今日はうまい芋が入ってるぞ。よかったら食べて行きな」


「ありがとうございます」


 ラウラスが人好きのする笑みを浮かべて言うと、私に手を差し出して「行こう」と声をかけてくれた。

 えーと……。この手……、差し出してくれてるってことは、握ってもいいってこと? 私が? ラウラスの手を?

 というか、ラウラスがこんなにも自然に私に手を差し出してくれるなんて!

 私が侯爵令嬢のシュリアだったときには、絶対に絶対にありえなかった。

 このお姉さんの体で初めて目が覚めたときも、ラウラスは手を差し出してくれたけど、あれは私の体調がよくないと思ったからであって。でも、今はそうじゃないわけで。えーと、つまり……。

 嬉しい気持ちよりも、混乱と困惑が私を支配してしまって、私はラウラスの手を凝視したまま立ち尽くしてしまった。


「薄暗くて足元が危ないから、ほら」


 促されて、おそるおそるラウラスの手を握る。

 男の人なのに、やわらかくてあたたかい手だった。

 ほんとうに、これは夢じゃないかしら。


「疲れたろ。食事をしたらすぐに休むといいよ」


 ラウラスが私の手を引いて店の奥に入っていく。

 私はうるさく暴れる心臓を宥めつつ、黙ってラウラスについていくだけで精一杯だった。少しでも気を抜いたら足がもつれて転びそう。


 宿というものは、だいたい一階が酒場になっていて、二階に宿泊する部屋があるものらしかった。

 この宿は日用雑貨も売っているようで、入口付近に雑貨を並べたスペースがあり、そのすぐ奥が酒場になっていた。

 日没の今はすでにたくさんの人が集まっていて、美味しそうな料理の匂いとお酒の匂いで満ちていた。すでに出来上がっている人たちもいるようで、話し声も賑やかだ。


 同じようにたくさん人がいるとはいえ、貴族の晩餐会や舞踏会とはまったく様相が違うので、こういう酒場はまだ慣れなかったし、貴族の社交とは違う意味で少し苦手だった。

 なにせ酔っ払った人たちがとにかく絡んでくるのだ。殴り合いの喧嘩もしょっちゅう。貴族の社交の場では、まず有り得ない。


 空いていた隅っこの席に座り、店の主人のオススメである馬鈴薯を蒸かしたものとパン、それに豆のスープをいただく。

 ラウラスといっしょに食事ができるのは最高に幸せなんだけどなぁ。


「林檎酒、もう少し飲む?」


「ええ、いただくわ。水割りでお願いできるかしら」


 葡萄酒はなんだかトラウマになってしまって、なんとなく林檎酒を飲むようになっていた。

 林檎酒の水割りなんて子供の飲むものだけど、恥も外聞もない酔っ払いたちを見ていると、私は絶対にこんなところで酔いたくないと思ってしまうのよね……。


「水割りだね。わかった。少し待ってて」


 そう言って、ラウラスはカウンターのほうに向かっていく。

 すでに店の片隅では大声で何やら言い争いをしている人たちがいて、人だかりが出来はじめていた。店の人たちも宥めてはいるが、その顔は笑っていて、本気で止めようとしている気配がない。どちらかと言うと、楽しんでいる感じさえする。

 私は頬杖をついて、その喧騒を横目に眺めた。

 こういう酒場の喧嘩も、きっと庶民にとっては娯楽のひとつなんだろう。


「お姉ちゃん、俺たちといっしょに飲もうぜ」


 ああ、来た来た。

 私は胡乱うろんな目で男たちを見やった。

 若い男が三人。傭兵なのか街の兵士なのかは分からなかったけど、腰に剣を佩いている。でも、完全にだらしない酔っ払いで、凛々しさの欠片もなかった。

 騎士や武人よりも武人らしいお兄さまを見慣れている私にとって、目の前の酔っ払いは同じ剣を持つ人間でも、完全に別世界の人間にしか思えなかった。


「ほら、ビール飲みなよ。奢ってやるから」


「ありがとう。でも、今ちょうど私の連れが別のお酒を持ってきてくれるところだから」


「そんなつれないこと言うなよぉ」


 どんっと、私の目の前に大きなゴブレットを置いてくる。なみなみと入れられているビールが波打って、少しテーブルにこぼれた。

 面倒くさいなぁと、ため息がこぼれる。


「お姉ちゃん、今日は泊まりか?」


 丸顔の男が強引に私の隣に座ってくる。

 私はおもいっきり顔をしかめた。

 と、そのとき。先ほどすでに人だかりが出来ていた場所から派手な音がしたかと思うと、いきなり人が吹っ飛んできた。そのまま私に絡んできていた男の一人にぶつかる。ゴブレットを手に持っていた彼は、見事にビールまみれになった。


「何しやがる!」


 もはやカオスだ。

 私の隣に座ってきた男も、いきなり始まった乱闘騒ぎに加勢していた。こういうのを血の気が多いと言うのかしら。

 私のすぐ横で乱闘騒ぎなんて勘弁してほしいわ。これでは落ち着いて食事なんて出来ないじゃないの。

 盛大なため息をついて、目でラウラスを探そうとしたら、抜き身の剣が私の目の端に入った。

 ちょっとちょっと、さすがに刃傷沙汰はマズイんじゃないの。

 でも、完全に酔っ払っている兵士崩れの男にはそんな理性なんて残ってないらしい。ためらいなく剣を振り下ろそうとしていた。

 とっさに近くにいた別の男の腰から剣を引き抜き、下から受け止める。


「おやめなさい! ただの喧嘩で剣を抜くなんてみっともなくてよ」


 思わずきつい口調で一喝し、男を睨みつける。

 一瞬で場が静まり返った。


「ミルテ!」


 ラウラスの慌てた声だけが妙に店内に響いた。


「ごめん、大丈夫? 怪我とかしてない?」


「平気よ。林檎酒ありがとう」


 手にしていた剣をポイっと投げ捨て、なに食わぬ顔でラウラスから林檎酒を受け取る。


「あんた、何者だ?」


 私に斬撃を止められた男が不審げな顔をして私のほうを見ていた。

 まあ、無理もない。か弱い女性がいきなり剣を扱えるわけがないし、ましてや男の斬撃を受け止めるとなったら、けっこうな力が必要だもの。

 でも、私は子供の頃からお兄さまに鍛えられているからね。そのへんの兵士崩れなんかに剣術で負けたりしないわ。


「私はただの旅人よ」


 それだけ答えると、心配そうな顔をしているラウラスにニコッと笑いかけ、残りの食事を胃に流し込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ